陽気ゆさん見たいゆえから

 










          中山みき様を  たずねて

口は月日が借りて  心は月日貸している

2017-06-20 21:04:33 |  エッセイ
おふでさき十二号です。

 おふでさきは一、二号が第一のステージ。第二は五年後に59、63で「旬・せへつう」が来たと歌う三号から再開して「火、水、風」の一本(小寒さん)を失ってこのステージは終わる。次は、やはり30で「旬・せへつゝ」が来たと歌う十二号から。そこから対象を3人から2人(秀司まつゑさん)に絞って次のステージに入る。
 十二号は「神・宇宙」と「人間」との相互関係を明確にする。そのために「胸のそうじ」をすると言い出し、じっくり時間をかけて話しを進めていく。

  月日にわだんへ心ざんねんを どんな事てもみなはらすでな 十二 63
   月日にはだんだん心残念を どんな事でもみな晴らすでな
  このさきのみちをたのしめ一れつわ 神のさんねんはらしたるなら 十二 72
   この先は道を楽しめ一列は 神の残念晴らしたるなら
 63で、月日の残念を「晴らす」と言っているその内容は、62~66 ― 「神の思惑」を今日から月日の仕事として働いて、「神の残念を晴らす」。その「残念」をどの様にして「晴らす」のかを72からの歌で展開 ― 「胸のそうじ」をして残念を「晴らす」。そして、その目的は74で「月日体内入り込む」ことにあると分かる。

 64~71で、「月日体内入り込む」のは、何のためか、またその意義は何なのかを明かす。
  いまなるの月日のをもう事なるわ くちわにんけん心月日や 十二 67
   今なるの月日の思う事なるは 口は人間、心月日や
  しかときけくちハ月日がみなかりて 心ハ月日みなかしている 十二 68
   しかと聞け口は月日がみな借りて 心は月日みな貸している
 自分は何者なのか、そして何のためにこの世に生れたのかを知るためには、人間の『見える部分』と『見えない部分』との相互関係を理解することが不可欠。『見えない部分』を認識して、自分との関係を意識的に理解するなら、本当の自分を知ることができる。この歌はその『見えない部分』である心、それを「心」と表現するが内実は、「そうじ」して欲を払いきり、神の意識と一体となることのできる「胸の内」を指す。
 「口は人間」 ― 「口」は、人間の身体を指す。人間の身体が『見えない部分』である「胸の内」をつなぐ入り口であるということ。
 「心は月日」 ― 本当の自分は、借りものである身体(7カ月で全ての細胞が新しいものに入れ代わる)そのものではない。本当の自分は、この世に生を受けたときに宿仕込まれた、神と一体である神の意識 ― 「心は月日みな貸している」 ― 人間の心の奥深くにある神の「意識」は永遠の生命。それが人間の本性、本当の自分であるということ。その『見えない部分』を見る、把握できるようになるために「胸の内のそうじ」が欠かせないのです。
 「口は月日が皆借りて」 ― 神、宇宙(宇宙の意思と宇宙の万物)は、人間の心の中に位置することによって、はじめて存在する。つまり、宇宙は人間の心がつくり出すものだから、人間の心こそが宇宙の本質(宇宙の意思)であり、それを有する人間の存在がなければいかなる実体も存在できないということ。

  こればかりうらみあるならとのよふな 事も月日かみなかやすてな 十二 69
   こればかり恨みあるならどの様な 事も月日がみなかやすでな
 月日は、『見える世界』、すなわち人間をとおして月日自身を知ることができる。人間は、月日が創造したものを使って、月日が目的を達成するために、ここにいるのです。
 『秀司! 自分が如何にかけがえのない存在であるか、これで分かっただろう! 』


                   中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講


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