陽気ゆさん見たいゆえから

 










          中山みき様を  たずねて

ままにしたとて  月日退く

2017-05-18 23:23:35 |  エッセイ
 おふでさき十二号です。

 おふでさきは「里々、田音々々、平(等)様々々」で結んで終えているように、中山家につらなる者の身上、事情を台として語ることで、人々が「神に凭れて」自分の人生を「病まず死なず弱りなき」ように暮らすことを目指す。それを文字にしたのは、末永く人々の生き方のひながたとなる「こふき」として残すことを最大の目的としているからである。

 十二月二十七日より
  けふからハせかいを月日みさだめて むねのそふぢにかゝる事なり 十二 1
   今日からは世界を月日見定めて 胸のそうじに掛かる事なり
 「胸のそうじ」、いったい誰の胸? を考える…
 特に九、十、十一号は、みき様にとっての片腕、周りの信者さんからも「火、水、風」として期待されている秀司、小寒さんが身上、事情であえいでいる姿に焦点をあてた。月日は、二人に自分の人生、「神の社」のつとめをしっかりと心に定めること、で「やまい」から解放されて陽気づくめに暮らせる生き方を提示する。しかし、小寒さんは周りの了解を取り付けることができず、心を倒してしまい。残念ながら自分のエゴを選択したという形で、亡くなってしまった。結果、「火、水、風」の内の一人が「退く」ことになってしまったので、この歌からの「胸のそうじ」の直接の対象者、その筆頭は秀司さんとまつゑさん。
 おふでさきは、この十二号から十七号にかけて、その二人を台、対象として「こふき」づくりのための話しが展開されていくのです。

  いまゝでわ神んさんねん山へと むねにほこりがつもりあれども 十二 3
   今までは神の残念山々と 胸に埃が積もりあれども
 歌の意味は、秀司、まつゑさんらの「胸に埃がつもりある」ことが、月日にとっては山ほどある残念だと言って、その「胸の埃」の内容を、次の歌で明かすす。

  なさけないひがらもちいときたらんで どのよな事もゆうにゆハれん 十二 4
   情けない日柄も少いと来らんで どのよな事も言うに言われん
  このたびハ月日しんぢつみかねるで どのよな事もみなあらハすで 十二 5
   この度は月日真実見かねるで どの様な事もみなあらわすで
 小寒さんの死亡は(陰暦)明治8年9月27日です。そして、十二号は頭に日付があることで、同年12月27日、書き始めていることが分かる。
 「日柄も来らん」 ― 小寒が死んだ。そのことによって秀司夫婦を含めて周りは何か感じとり、生き方を改めるのではないかと、今日まで4カ月待った。小寒は小寒、我々は我々だと自分らの力を信じて、力任せに突き進むなら、小寒と同じ運命が待っているに違いないと気づき、いつも足りないからと感じてエゴのまま進めていた「しごと」から、「月日のしごと」に添う生き方に改める ― 小寒の死を、自らと周りの人々の生き方に活かして、無念にも散った小寒の心に応える、ことをみなに期待したが…
 「真実見かねる」 ― いっこうにそういう気配がない! という嘆き

  けうの日ハいかほとわがみはびかりて まゝにしたとて月日しりぞく 十二 6
   今日の日は如何ほど我が身はびかりて 儘にしたとて月日退く
 自分の人生(人間創め元の道具という因縁)を信じて、神に凭れて生きるという意識に、神の自由の働き(守護)が作用することで生命がある。
 自らを過信するエゴをつらぬく。それが生命をつくり出し、その生命を維持し続ける調和から外れているなら、神の働き(守護)は届かなくなってしまう ― 月日は「退く」しかないのです。


    自分を信じる人生は 努力と行動の繰り返し…
    人生を信じる人生は 棚ぼたとシフトの繰り返し…、…
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                   中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講
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