陽気ゆさん見たいゆえから

 










          中山みき様を  たずねて

やれ怖や  聞くより早くもう見えた

2017-06-13 15:16:18 |  エッセイ
おふでさき十二号です。

 十二号は「銘々の心あらわす(2)」が主要なテーマで、170~182で「しんの心があらわれてくる(177)」と、この号をまとめている。書き起こしてから結論に至るまでがかなり長いから、主題を展開していく中で、終わりまで話しに引き込むための工夫があることに氣づく。
 「真の心をあらわす」ためには先ず「胸のそうじ」、そのためのおつとめ、おつとめについては意義を伝えるだけでなく、実際に実行するなら、どんな病も直る、末は「病まず弱らず暮らす」陽気づくめ世界への扉が開く、と「楽しい」話しをする。そして、その楽しい話しに被せて(22~29、33~43のごとく)今までのようにエゴをとおす生き方では、いつまでたっても先の見えない状況から脱することはできない、と厳しく警告する。このようにして視点を変えて興味を引かせながら、本論へ導いていく。

  いまゝてわなによのはなししたるとも いつの事なるよふにをもふて 十二 58
   今まではなに世の話ししたるとも 何時の事なる様に思うて
 ここも直接的には、秀司さんに言っている ― 今まで、「やまい」から解放されて勇んで暮らせる生き方を伝えてきても、『今はそんなことできない』、『私のしごとがあって今は忙しい』、『そんな時間はない』、『そのうちに…』と何でも先延ばしにしている。しかし、そのうちにと言っても、「今」が定まっていなければ、先のことなどあてになるものではない。
 「いつの事なる様に」 ― お前(秀司)はいつだって『月日に従うなら、いつその楽しみが来る? 』などと嘯いているが…、
 それを言うなら「今」ですよ ― いつだって「今」することを楽しむときに宇宙、月日とつながり自由の喜びを引き入れることができる! 何かにつけ行動こそが楽しみを引き寄せると思っているようだが、それは大きな誤解だ! 楽しみは何か行動、物事から生れるものという慾望があって、世界が自分に楽しみ、幸福をもってきてくれるはずだと期待する。しかし、そんなことはあり得ない。だからいつも欲求不満で、いづんでしまうのだ。

  やれこわやきくよりはやくもふみへた どんな事てもゆたんでけんで 十二 59
   やれ怖や聞くより早くもう見えた どんな事でも油断出来んで
 「楽しむ」ことを通じて、人間は月日の「意識」と一体となるから、「楽しむ」ことの質が高くなり、何か起こらなければ、楽しめないということがなくなる。「楽しみ」を先延ばしにして、「今」をそのための踏み台にするよりも、目の前のことをその瞬間に全身全霊を込めて行動すれば、どんな行動でも楽しむことはできる。本当に楽しいと感じるのは行動ではなく、それにともなって自分の中にわき起こる生きがいで、その生命感は自身と一体のもの。だから行動を楽しむというのは、自身の生きがいを見つけることになる。
 「聞くより早くもう見えた」 ― 楽しくありたいと何かを待っているときよりも、今何かを始めて、それが楽しければ、それに力が加わり前向きの変化が起こりやすくなる。

 「どんな事でも言えばそのまま」 ― おつとめをすると心を定めれば、その目覚めた意識はエゴから自分を取り戻して、どんな行動も神の子として生きがいをもって楽しくすることができる(56) ― 言うこと、考えること、すること一切の迷いはなくなる。そのとき、自分の行動に意識の力が加わって、いつのまにかもっと大きなものになっていくのを感じるようになる。楽しさの他に力強さも加わり、常人の域を越えた自由の創造力が発揮される。


    始まりもなければ 終わりもない……矛盾あふれる 可能性の時空……
    よく分からないけど 何んだか幸せ……その時 君は生きている
                             k-zerostyle


                   中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講
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