陽気ゆさん見たいゆえから

 










          中山みき様を  たずねて

唐やと言うてはびかりた  今度かやしを

2017-03-07 17:06:57 |  エッセイ
 おふでさき十号です。

  この心どふしてすます事ならば 月日とびでゝあゝちこゝちと 十 4
   この心どうして澄ます事ならば 月日飛び出てあっちこっちと
 おふでさきは、みかぐらうたの解説を主として教理を展開しているなら、この十号は、みかぐらうたのどの部分がそれに当たるかと留意して手踊りをすると 「石も立木もないかいな」、「ふしん」、「世界から寄り来たことなら」、「この木、あの石と思えど神の胸しだい」と歌い、明らかに普請の用材をおつとめのつとめ人衆に見立てて踊る、八下り目に目が止まる。
 「ふしん」は、おふでさきで唯一、四号 6 に出ていて、「かんろだいづとめ」を完成させることを指している。おふでさきを読んでいれば、おつとめを完成させることが最大のテーマであるとは分かりきったこと。中でも九号、十号は、「かんろふだい、だい」という語を一番多く配列しているから、おつとめの解説に最も重きをおいていることは誰でも分かること。
 八下り目では、その世界助けという「ふしん」、「かんろだいづとめ」にかかるには、「胸の内より思案せよ」、「何か心が澄んだなら」と「欲の心をうち忘れ」て「この度澄み切りましたが胸の内」という状況に至らなくては、と歌っているのです。

 十 4の歌は、その八下り目で歌っていることを思い出させ、その上へ強調を加えるように「心澄ます」ことがいかに大事で、またそうでなければ、目指すかんろだい世界へ踏み出すことは、とてもできないと言っているのです。
 4~11で、「心澄ます」方法として、「にほんの者」 ― この道を聞き分けて、我身思案の「思考」を一掃して、神の意識にある ― には、月日体内入り込こんで、「自由自在」をしてかかるから、その先に「病まず死なず弱りなき」世界が見えるところまで来ていると言い、16~40で、その内容を展開する。

  いまゝでハからやとゆうてはびかりて まゝにしていたこんどかやしを 十 12
   今までは唐やと言うてはびかりて ままにしていた今度かやしを
 「唐」への「かやし」について、12~15で「胸の内」が我身思案の「思考」のエゴに侵されていて、月日が体内へ入り込んで、心を澄まそうにも、そのために留まるスペースすらないから、そのまま出て行かざるを得ない。今までなら、伝えるべきことだけ伝えておけば、そのときは分からなくても、気づいて追っかけてくるだろうと、待つ方法を続けていた。その結果として、「唐」だ「上」だとはびかってままにする姿を見せている。
 ときは正に世界助け、かんろだい世界へ踏み出そうという旬に来ている。それに合わせて「にほんの者」は、「かんろうだい」を立てて、「かんろだいづとめ」さえするなら、目指す「病まず死なず弱りなき」世界へ飛び出すことのできる、高い意識を備えた体勢にある。

 今までのように、「唐」の気づきを待つばかりでは、その差は歴然としてしまい、唐にとっては「にほんの者にとても敵わん」という状況が生まれてしまう。全ての人間の親としては一人残らずかんろだい世界へ導きたいが、今までのように「体内入り込む」手法ではその思いは届きそうにない。この際絶対とも言うべき「飛び出る」手段に打って出ると宣言して、それを41~54の歌で展開する。

   日本にも「こふき」を確か拵えて、それ広めたら「唐」はままなり


                   中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講
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