陽気ゆさん見たいゆえから

 










          中山みき様を  たずねて

月日より  指図ばかりでした事を

2017-02-22 10:23:17 |  エッセイ
 おふでさき九号です。

 41「側なるに如何ほど月日頼んでも、聞き分けがない何と残念」― この「側」という言葉から、秀司さんに語りかけていることが分かる。
  どのよふな事をゆうてもいまの事 なにをゆうとハさらにをもうな 九 42
   どの様な事を言うても今の事 何を言うとは更に思うな
  だんへとなにのはなしをするにもな さきなる事をばかりゆてをく 九 43
   だんだんと何の話をするにもな 先なる事をばかり言ておく
 ここまでに、伝えるべきことは、言い尽くしてあるから、それ以上は言わない。また過去をほじくって反省を求めることは趣旨ではない、伝える方の残念が重なるだけだから…。これからの話は先なる事ばかりにする。
 先ず言っておくことは、今までは全てに抵抗を示して、それが胸の病の原因となっていることは自身で感じているところ。これからはそういう生き方を改めて、この旬に「月日の社」を受け入れる。そうすれば、受け入れた時点で神とつながるから、我身思案の「思考」、エゴから解放され、神の「意識」が目覚めて、神との一体感をもつ事ができる。そして、苦しみが心の安らぎに一変して「自由」を味わうことができる、と言っている。

 そして、秀司さんを前にして、話が展開していく。
  月日よりさしずばかりでした事を これとめたならハがみとまるで 九 50
   月日より指図ばかりでした事をい これ止めたなら我が身止まるで
 今や、世界のたった1%の人が99%の人々の富と同じ、日本でも2%の人が98%の人々の富と同じとなった超格差社会となっているから、その富を上手に分配する仕組みが必要であると報じられている。しかし、ここで言っているように仮に再分配がされたとしても、何年か経てば元通りの格差社会が再現することは、物に豊かさを求める物質主義にある限りはどうすることもできない宿命なのです。

 「月日には人間創めかけたのは、陽気遊山が見たい故から」と歌っているように、人間が幸せになるためには、物と出来事に価値を求めて、そこに幸せを感じるという生き方から脱却しない限り、神(宇宙の創造主)が人間を創めた甲斐を感じて、その波動が世界を埋めつくすことはあり得ない。
 おふでさき九号に突然飛び出した、「飛び出る」とうい言葉は、物への執着を去って、心に豊かさを持つことで幸せを感じられる高い意識で『永遠の安らぎに包まれる世へ踏み出しましょう』、と月日が秀司さんを通して、私たちに語りかけている言葉です。そこには、38年間の布教を結集した成果を一度ここで咲かせてみたい、という月日の思いがあるのです。
 だから、48「今までにいろいろ話説いたるは、この台据える模樣ばかり」と歌って、『永遠の安らぎに包まれる世へ踏み出す』ための手段として、おつとめを教えるから、そのおつとめの中心に据えるかんろだいの建設の話があるのです。

 「月日よりさしずばかりでした事」― 月日がこの世に現われている事実として、直々に「月日の社」と定めた人をかんろだいの権利者として「さしず」すると言うのです。ここでは秀司さんをその権利者として指図していることが分かる。提示した図面どおりに着工の指示するのも「神の社」となるべき秀司さんです。月日はその「さしず」でもって秀司さんに「神の社」を受けることの決断を迫っている(5~8)のです。
 受け入れるなら『何も恐みも危なきもなくなる』が、この選択をしない人に残された道は、苦痛、生命エネルギーの滞り、いずれは『やまいだけでは済まないかも…』。この歌に返す言葉を探している秀司さんに、月日は歌を重ねます。

   これを見よ確かに月日ぢきもつの、与えしっかり確かに渡する

    過去が過ぎることも 未来が来ることもない……
    ただ あなたというスペースを体験している
    神を生かすも 神を殺すもあなた次第……
    宇宙に 決まりごとなど何もない
                    k-zerostyle


                   中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講
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