陽気ゆさん見たいゆえから

 










          中山みき様を  たずねて

とんとんと  飛びでる事を見たとても

2017-06-09 22:04:26 |  エッセイ
おふでさき十二号です。

 44、「今までに筆につけたる理りが、さあ見えてきた心勇むで」
 45、「これさいか見え来たならば、一列はどんな者でも陽気づくめや
 「筆につけたる理り」については、六号106~110で歌っていて
  106「これからは痛み悩みも出来物も、息手踊りでみな助けるで」
  110「生れ児を疱瘡麻疹せんように、病まず死なずに暮らすことなら」
 「病まず死なずに暮らす」、すなわち「この道」の目指す永遠の生命の道に達することを、この十二号の45は「陽気づくめや」と言っている。

  このさきハなんほむつかしやまいても いきとてをどりみなたすけるで 十二 50
   この先は何ぼ難し病でも 息と手踊りみな助けるで
 六号で歌っているように「息手踊り」、すなわちみかぐらうたを「息」、声出して勇んで手振りするなら、「なんぼ難し病でも」みな助かる ― みかぐらうたの心「神に凭れる」生き方を自らがして見せて、その真実の姿から生れた波動が回りを陽気づくめへ導くとき、「病まず死なず暮らす」、永遠の生命がそこに展開されるということ。
 手踊りは、「今」を勇んで生きている姿を演じる。それは神(宇宙の創造主)とつながり、神と一体となること。そこに「病まず死なず暮らす」永遠の生命の世界があるのです。

  これまてのみちのすがらとゆうものハ まことなんぢうなみちであれとも 十二 54
   これまでの道のすがらというものは 誠難渋な道であれども
 「これまでの道すがら」は、人間の本当の生き方を知らなかったから、誰でも幸せは外からもたらされるものと思って、「思考」、自力に任せて幸せのもとを外から懸命に得ようとするが、なかなか満足という域には達しない。それが「難渋な道」を歩む姿となっている。
 しかし、生きる喜び、真の幸福は形や所有など人や出来事を通じてもたらされはしない。真の幸福は自分の外に求めてもないのです。幸せを引き寄せる源流は自分の中の形の無い、「意識」そのものから放出されるものであり、自分と一体のものである。しかし、それは目には見えない。それを見えるようにするためにはと、

 次の歌で、それを言い含める。
  とんとんととびてる事をみたとても 心あんちハするやないぞや 十二 56
   とんとんと飛び出る事を見たとても 心案じはするやないぞや
 「とんとんと」ですが、みかぐらうた二下り目に「とんとんとんと」という言い方で出ている。ともにおつとめにかかる枕詞とみれば理解が早い。二下り目でおつとめを展開する目的は「世直り」 ― 一回転して元の位置に戻る手振りで分かるように、今までの自分の全てを入れ替える。人間の心の持ち方、生き方を変えることで「世直り」、世の中が変わってくる。それは物に幸せを求めず、心に豊かさを持つことで幸せと感じる精神主義へ踏み出すということ。
 この目覚めた「意識」が「謀反の根を切る」 ― いま世界は『テロと闘う』が一つの合い言葉となっている。敵と見なして闘えば負けた方に怨念が残って、いつかそれへの報復が生れる。闘うことで世直しはできないことは、歴史の語るところ。
 このような物質世界では、自らの都合の悪い相手は全て敵だと見なすから争いが絶えない。目の前に現われる全ての現象は、人間が内面に持つ意識の投影のはず。人類はみな神の子です。お互いどうしが相手の全てをそのままに受け入れて認め合う、これが神の子としての真の在り方。相手は決して敵ではない。自らの不徳(権力、支配欲から完全に脱しているか)を確認させてくれる、貴重な同士であると感謝すべき間柄のはず。

 「飛びでる事」 ― かんろだいづとめ、手踊りを世界へ伝えること。
 相手を変えて、世界を変えようでは世直しはならない。とんとんと踊る「世直り」 ― ただ自分を変える。それだけが(心案じせず)神・宇宙を見方にして、世界を変える唯一の原動力を生むのです。


                   中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講
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