陽気ゆさん見たいゆえから

 










          中山みき様を  たずねて

如何ほどの  剛敵たるも発明でも

2017-05-14 15:33:17 |  エッセイ
おふでさき十一号です。

 78「銘々の心」(4、5) ― 「剛敵たるも発明」、『目に見える世界』→限定された領域
 80「月日の心」(1、3) ― 「病まず弱らず暮らす」、『目に見えない世界』→無限の領域

  いかほとのこふてきたるもはつめても 月日の心これハかなハん 十一 80
   如何ほどの剛敵たるも発明でも 月日の心これは敵わん
 「いか程の剛敵たるも発明でも」の展開する世界、領域はもちろん我々の住む三次元といわれるこの物質世界のこと。それを「これは敵わん」と比べている世界、領域とは、59の「病まず弱らず暮らす」世界で、それは『目には見えない世界』のこと。
 目には見えないと言っても、実際にはその『目に見えない世界』が、万物を創造する無限の母胎なのです。私たちは物の世界について熟知していると思っていても、『目に見えない世界』を知らないから、自分を物質的思考だけで定義づけ、それが本当の自分だと思い込んでいる。けれども、神が体内入り込んで『目に見えない世界』とつながれるなら、この『目に見える世界』を陽気づくめで暮らすことができるのです(53~56)。

 「病まず弱らず暮らす」、「病まず死なず弱りなき」世界 ― 神、聖者と呼ばれるなら、いつでもその領域に達することは可能でしょうが、厳しい修行などを積んで、その領域に達したと自称する人だけでなく、ごく普通の人でも、神に凭れて事をなし遂げ、(思考が消えて神の意識となり)一分の隙間もないほど「今」に在るとき、三次元でない全く別の領域にいる自分に氣づくことがある。そういう覚せいがたとえほんの一時(1、2分~数分)でも、たったの1回でもあるなら「病まず弱らず暮らす」と記した文字を見た瞬間に、その境地は自然と心に浮かんでくるでしょう。
 その領域にあるときは、自分の「意識」で自分がその位置にいることを認識できる。さらに三次元、物の世界には二度と戻れないという一抹の不安は、そこにいることの幸福感が直ぐに吹き飛ばしてくれる。自分の心、胸の内は神とともにいる安らぎと幸福感に満たされ、周りの全てものは自分を喜ばすために存在していると感じる。三次元世界のように時間は存在しないから、やがて「病まず弱らず暮らす」無限の神のふところにいる、という意識の目覚めが起こる。

 それに対する「剛敵」、「発明」の展開する世界 ― 物質世界に生きていれば、誰だって、達成したいということや、獲得したいものはある。それは得ることと失うことで成り立つ『目に見える世界』の領域の中だけのこと。
 「月日の心これは敵わん」 ― 「病まず弱らず暮らす」永遠で、無限の世界と比べるなら、「剛敵たるも発明」で一喜一憂するこの物質世界のことは、突き詰めれば何一つたいしたことではなくなる。「病まず弱らず暮らす」月日の心、神の領域を認識しているなら、形の世界で形そのものは生れ滅びていっても、神の意識に目覚めた本当の自分、本当のものは何一つその存在が脅かされることはないのです。

 おふでさき十二号は『目に見えない世界』とつながるために「胸の内そうじにかかる」が主要なテーマとなって展開されていく。


     私たちは一人残らず 多次元宇宙の存在であり
     今この瞬間も無数の自分自身が あらゆる時空に存在している……
     そのことを すんなり受容した人から順に
     違うスペースに存在する 自分自身と巡り会う
                            k-zerostyle


                   中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講
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