陽気ゆさん見たいゆえから

 










          中山みき様を  たずねて

人間に  「やまい」というて無いけれど

2017-02-08 23:06:29 |  エッセイ
 おふでさき九号です。

  にんけんにやまいとゆうてないけれど このよはじまりしりたものなし 九 10
   人間に病というて無いけれど 此の世創り知りた者無し
  この事をしらしたいからたんへと しゆりやこゑにいしやくすりを 九 11
   この事を知らしたいからだんだんと 修理や肥に医者薬を
 「やまい」とは? みかぐらうたでは、十下り目で集中的に使われていて、その回答は― 「この度あらわれた、病の元は心から」です。そして、おふでさき九号による回答が、この10の歌です。人間には元々は「やまい」などはないのに、「この世の元創り」を知らないことが「やまい」をつくってしまっている、と言っている。
 「この事を知らしたいから」― 「この世の元創り」が世界中に行き渡り、人々の生き方がそのレール上にあるなら、「やまい」などで人々が苦しむことはないはずだが、レールから外れたために痛めた身体をいつまでも放っておけないから、とりあえず元に近づけるための方便として、「医者、薬」をこの世に送り出している。しかし、医者、薬で一時は「やまい」がいえても、その原因は「自分の心」にあるのだから、根本的な治療とはならないことは、当然のことなのです。

 みかぐらうたとおふでさきが語る「この世の元創り」とは、いったいどの地点をを指して元としているのか。『46億年の地球……138億年の宇宙……』ということなのか?
 「元の理」を多く語るおふでさき六号で、その事を確かめてみたい。42の歌で「この世を創めかけたる真実」と言い、前後の歌で「元の理」として詳細に語っている。そして、54で一段落してから、80~88では、「この世の元創り」の話をまとめる形をとっている。
 81「月日より真実思いついたるは、何と世界を創めかけたら」
 82「無い世界創めかけるは難しい、何と道具を満たす模樣を」
 83「見澄ませば中にドジョウ魚みいも…」
 84「みな引き寄せて断じ合い、人間創め守護始めかけたら」
 81、82で、「世界を創める」その世界とは、人間の存在する世界に限定していることがはっきりする。さらに、83、84「みな引き寄せて断じ合い」、85「この月日、だんだん心尽くしたる故」をかみ砕いてみると、人間を創造した事実だけをもって「創めた」と決めているのではないことに氣づく。人間が神の「意識」を、自らの「意識」として認識できたときが真実の「この世の元創り」の起点である、ともう一歩踏み込んでいるのです。
 88「月日よりたんへ心尽くしきり、その故なるの人間である」― 神の「意識」に対して応えるものが何も無いなら、「神」がこの世を創った、とその偉大さを知らせようにも、その存在すら明かす術は無いということでしょう。現代では『46億年の地球……138億年の宇宙……』が分かってきたと言っても、それが「意識」を超えるものであると言えない。何故なら、「意識」がなくなれば、何もかも無くなってしまうからです。

 九10の歌は、「この世の元創り」、人間誕生の真実をこれから知らせたい。それ知ったなら、元創りから生き続けている「今」の自分の生命、その生命は複雑な化学反応を起こし、互いに影響しあって、「調和」をとり続けることで、絶えることなく永遠に生き続けていくことが分かる。― 自分の心遣い、それに基づく行動がその「調和」にあるなら、「やまい」など起こるはずが無い。また、「調和」にあるなら、たとえ身体が衰えて、外形的な身体がどんなレベルにあろうとも、形を乗り越えたところでは、身体は生き生きとしたエネルギーの場です。その場をおつとめで確認できたら、それが「医者、薬」に頼らない「修理や肥に」なるのです。


  果てのない宇宙から果てのある宇宙まで 多様な宇宙が投影されている……
  物理科学の尺度だけで 宇宙を認識することは
  人間が単なる細胞の塊であると 断定するようなものである
                            k-zerostyle


                   中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講
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