峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

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民生児童委員一斉改選

2016年05月13日 | 民生児童委員

様々な福祉課題が山積する中、地域の人たちそれぞれの立場に添う地域福祉活動の担い手として、民生児童委員に寄せられる期待は高まっている。

民生委員は、民生委員法に基づき厚生労働大臣から委嘱された非常勤の地方公務員である。また、民生委員は児童福祉法に定める児童委員を兼ねている。給与の支給はなく、ボランティアとして活動しており、任期は3年となっている(再任は可)。折しも今年12月1日付で、その3年に1度の一斉改選が行われる。

全国民生委員児童委員連合会の資料によると、民生委員制度は大正6年に岡山県で発足した「済世顧問制度」に始まる。翌年には大阪府で「方面委員制度」が発足し、昭和3年には方面委員制度が全国に普及した。
発足当初は、経済的生活困窮者に対する援護活動を中心に活動を展開していたが、昭和21年の民生委員令公布により、名称が方面委員から民生委員に改まり、救貧活動だけではなく、地域の福祉増進のために幅広い活動を行うことになった。
その民生委員制度が来年・平成29年に「済世顧問制度」から数え、制度創設100年の大きな節目を迎える。

私が最初に民生児童委員の委嘱を受けたのが2001年12月1日のことだ。当時の町内会長の植杉さんにお声をかけていただいたのが事の始まりとなった。
結婚を機に佐々町に移り住み、当町内会に居を構えてからも間もない頃で、もちろん知り合いもなく、町内会のお付き合いは女房どの任せで、どこにどなたが住んでおられるのかなど全く分からない状態であり、まさかそんな私にそのような役割が回ってこようなど思ってもいなかった。
そもそも「民生児童委員」がどんな働きをするのかさえも知らず、母親に電話して相談したものだ。

その時、母親はこういって励ましてくれた。
民生児童委員というものは、自らなろうと思ってなれるものではない。人様からお声をかけていただいて始めて出来る役割だ。喜んでお引き受けしなさい。母のその言葉で腹が決まった。

早いもので、それから15年経とうとしている。
私がいくらかなりと人間として成長できているとすれば、それは、民生児童委員や町内会長という役割を務めさせていただいたからに他ならない。
その後、植杉さんに、何故、私のような者にお声をかけられたのですかと訊ねたことがある。なんとお答えなされたか忘れてしまったが、今でも率直に不思議に思う。後に、町内会長役も植杉さんにお声をかけていただくこととなった。植杉さんでなければ、決して私のような者に声がかかることはなかったと心底思う。

植杉さんと母がいて、今の私が在る。
そうして、この大きな節目の年に私の民生委員・児童委員としての役割を終えさせていただこうと考えている。


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