Simply Beautiful ~ヒーリングライフ~

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「普通になりたい」②

2017-05-06 00:42:25 | 日記
前回の続きです。


前のブログでもいくつかの例を挙げたように、「普通になりたい」という一言にもそれを発した人によって求めている状態は異なります。


私の場合は、「普通」になりたくて、会社員になりました。これ、今思うと自分の意志で希望する会社や業界に入り仕事をされている人に対して、本当に失礼だったと思います(苦)。また、それと同時に、バカバカしい話ですが「会社員以外になってはいけない」と思っていました。大学まで出させてもらって、親を安心させるためにも地元で就職するしか無いと思っていたのです。


そんな不純な動機で会社員になりましたが、素晴らしい人達に出会い、面白い仕事もさせてもらいました。その出会いには今でも大きく影響を受けています。しかし、それと同時に常に難しさも感じていましたし、いつも心身ともに疲労困憊でした。そしてその時々で、自分が定年まで会社員生活を続けることをイメージすることが出来ませんでした。


そして15年以上の会社員生活を経て得た答えは、「人には向き不向きがある」という、どう考えてもこれ以上でもこれ以下でもなく至極当たり前のことでした。そして、自分以外の人(親や世間体など)のために自分の気持ちに反したことをすると、自分が幸せに感じられないだけでなく、それを人のせいにしていました。…こうやって文字にしてみると、どこまでも大人げない(苦笑)。そりゃ、大人になった気がしないわけだよなぁ。


心から「人のため(世間体や親や自分以外の人)に生きる、私の人生を捧げる」ことを望んでいるのなら、全く問題ありません。だって、それが本当にやりたいことだから。そして、時には人のために、やらなきゃいけないこともあるでしょう。でも、「親のため」「世間体のため」「普通(と思いこんでいる状態)になるため」に自分の気持ちを置き去りにしたままにしていると、その反動は結局自分に返ってくる。


一般的に「普通」「王道」と言われていることが、自分に合っているとは限らないんですよね。頭ではわかっていても、それを認めるのが難しく、わたしはこれだけの年月を必要としました(私が特に頑固だったのかもしれませんけど・笑)。


これを認めるということは、色々なことを諦めることだと思っていました。これも、認めることを難しくしていた要因だったと思います。「普通になることを諦める」→「結局私には無理だった」→「出来損ない」と責めていたんだと思います。これも、自分で作った勝手な制限。



しかし、実際にそれを認めた今、どうなったかといいますと、予想とは真逆でした。


ストレスが減りました。


自分に優しくなりました。


人にも優しくなりました。



生きづらくしていたのは、囚われた感情による影響も多大にありますし、自分でも制限を作っていたからなんだと思います。
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