yurikago-sa

1939年生まれ
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遊びをします!!

四国八十八カ所 第六十番 横峰寺

2014年11月29日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 第10回

 平成26年9月21日   第六十 石鉄山(いしづちさん) 横峰寺を参詣しました

 横峰寺は 651年 修験道場の開創 役の小角(えんのおずぬ)が 石鎚山の星ヶ森で修行中 

蔵王権現が現れ その像を刻んで 小堂を建て安置し 開創したのが始まりとされています

807年 弘法大師がこの寺を訪れ 大日如来を刻み 役の小角が刻んだ

 蔵王権現を胎内に納め 本尊として祀り 厄除けと開運祈願の 星供養の修法を修め 

堂宇を整え 霊場とされ その後 神仏習合で山岳信仰の霊場石鎚山社の

別当寺となり 明治の廃仏毀釈で 石鎚神社西遙拝所横峰社となり 

明治42年に横峰寺として 独立 再興されています 

  

 麓で大型バスから マイクロバスに乗り変え 山頂の駐車場へ到着します 

石鎚山の北側中腹 標高750mに建つ横峰寺へは坂を下って 向かいます

 山頂駐車場から 横峰寺への下り坂の途中に  神仏習合の名残り

稲荷大明神 妻白大明神 の鳥居があります

妻白大明神は 横峰寺の守護神として開山以来 有名な大明神で ア ラ セ ラ レ

豊作 商売繁盛 延命息災 家運隆昌 其の他諸々の祈願をかなえて下さる

誠に霊験新らかな大明神さまだそうです

参道の途中 道路拡張工事中? 

横峰寺 境内図

横峰寺は伊予の関所寺といわれ 悪事を働いたものや

悪い心の遍路は そこから先へは 進めないと言われています

 胸突き八丁を 登って来た お遍路さんの 休息所

 

   

石柱門を入ると 左手に 客殿納経所 正面は 庫裏 右に手水場が 下段の境内にあります

石段を上ると 

 

正面に 星供大師像 が立っています

右手に剣 左手に星供の巻物を持っています

本堂から大師堂の山肌一面に植えてある シャクナゲは

5月上旬になると 薄桃色の花が見事に咲き誇ります

 

鐘楼

一段高い山際に建てられています 

権現造りの 本堂

ご本尊  弘法大師作の 大日如来座像 秘仏で県指定文化財です 

ご真言  おん あびらうんけん ばざらだどばん

 密教の世界で最高の仏さま ご真言を 唱えれば 

生きていく上での全ての事に ご利益があるといわれています

  

 

本堂から 大師堂までの参道沿いに たくさんの石仏が並び 

反対沿いには 可愛いシュウメイギクが お遍路さんをねぎらっているようでした

  

本堂と向い合せに大 師堂 と 内陣

大師堂の左に 聖天堂

歓喜天とも言われ 仏法守護神 福徳 夫婦和合に ご利益があると言われています

どんな願い事でも 叶えてくれますが 約束を守らない者には 容赦ない罰を与えるといいます 

 

参拝がおわって 駐車場まで上り坂を帰ります 9月も半ばを過ぎているのに

参道のところどころに 紫陽花が色鮮やかに咲いていました

横峰寺を最後に 第10回目の巡拝の打ち止めです 

おしまい


四国八十八ケ所 第五十九番札所 国分寺

2014年11月25日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 第10回

平成26年9月21日   第五十九 金光山 国分寺を参詣しました

国分寺は 聖武天皇(在位724~49)の勅願で全国に建立された寺で 伊予国分寺は

 行基菩薩が741年 本尊の薬師如来像を刻み 安置して 開創され 

3代目住職の智法大師の時に 弘法大師が訪れ 五大明王の 画像一幅を描き奉納して

霊場に定められたと伝えられています その後幾度かの兵火で焼失を繰り返し 

現在の本堂は1789年に 当時の住職 恵光上人が再建されたといわれています

 

駐車場料金と 托鉢禁止の立札

国分寺境内図

 石灯篭の 山門

 

 石段を上ると右手に 鐘楼

上段の境内左に 手水場に 薬師の壺

その後方に とくとく弁天さまです

 福徳 円満のご利益があるそうです

客殿を背に 大師 と 薬師如来の座像

石段を上がった正面に 本堂 1789年の再建です

ご本尊は 行基菩薩作の 薬師光如来さま  県の指定文化財です

ご真言 「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」 病気を治す仏さまです  

本堂前に 智慧 福徳の錫杖

本堂の右に 大師堂

薬師の壺

体 目 頭 足 耳など文字に触れて 健康を念じながら

 ご真言 「 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」を唱えると ご利益があるそうです

壺と並んで 握手大師像

等身大の修行大師像で 左手に鉢を持ち 右手で握手の手

握手しながら祈願すると願いが叶うそうです

ただし 願い事は一つ

   

薬師の壺の後方に 目 鼻 口 耳のない石仏が佇んでいます

 以前は石積みの お地蔵さんを作り 供養したそうです 

 どなたか 菅笠をプレゼント

名付けて あったかお地蔵さん家族 

その左に 身の丈 50㎝ぐらいの 可愛い七福神像が並んでいます

  

 唐椿(とうつばき)

境内の左塀越しに見える 唐椿 伊予紅(いよくれない)と呼ばれる椿の女王です

直径17㎝ほどの 牡丹のような花をつけ 咲くのは4月中旬ごろで 

花弁が一枚一枚散るそうです(椿はぽとっと首から花が落ちます) 

今治市の天然記念物に指定されています

境内左手石段を下がった所に 庫裏 と 納経所

   国分寺から20分位走って りんりんパークで昼食

60番札所 横峰寺は最後に巡拝することにし つぎは61番札所香園寺を巡拝します

おしまい

 


四国八十八ケ所 第五十八番 仙遊寺

2014年11月21日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 第10回

平成26年9月21日   第五十八 作礼山 仙遊寺を参詣しました

仙遊寺は  天智天皇(在位668〜71)の勅願で 伊予の国守 越智守興公が

堂宇を建立 天皇の守護仏の 千手観音菩薩像を 海から上った竜女が

一刀三礼しながら彫り上げ 本尊として安置したのが始まりとされ 山号を 作礼山

寺名を 千光院と称していましたが 718年 阿坊仙人という僧が この寺で

 40年間修行を重ね 伽藍の復興を続けていましたが 

ある日突然姿を消したことから 仙遊寺と呼ばれるようになり 

その後弘法大師が 荒廃した伽藍を修復 四国霊場に定めたといわれています

  

バス駐車場から 境内に入ると 子安観音像 

子が授かる 安産 子育てのご利益があります。

きれいに立ち並ぶ 千体地蔵さんです

 

無縁地蔵菩薩像

平成16年建立の 修行空海像

緑に囲まれ こじんまりとした 大師堂です

大師堂の右に 宥連(ゆうれん)上人の供養塔

 明治時代初期  荒廃していた仙遊寺を 多くの信者とともに再興に尽力され

弘法大師の導きで 霊能を授かり 多くの苦しむ人々を救済されたといわれいます

 明治4年に 生きながらに 土中に埋まって入定した 日本で最後の即身成仏 と言われています

手水場

鐘楼

標高300mの 作礼山に建つ 本堂 

ご本尊は千手観世音菩薩 

ご真言 おん ばざらたらま きりく

文字通り 無限の慈悲の手 目で人々を救済 願を叶えて下さる

除病 長寿 夫婦円満 難産にご利益があります

納経所は 本堂内の右手にあり 日曜日 とあって ご朱印の人達でいっぱい 

駐車場も満杯 坂道で待つ車とバスもあるほどでした

 本堂の縁さきに おびんずるさま

お釈迦様の一番弟子で 撫で仏とも言われています 

自分の痛むケ所を左手で 右手で 撫で仏のケ所を同時に撫でると

 ご利益があり 頭も撫でると良くなるそうで 学力向上にも信仰されているそうです

同じく本堂の縁左隅に 不動堂

小さいお堂に 小さい不動像が安置されています

 本堂前にお百度石

四国八十八カ所 お砂踏み 霊場

弘法大師と 周りに 霊場のご本尊の石像が並んでいます

 子安観音さまの 右後ろにあります(大分読みづらくなっていました)

口へんを4文字につけて読んで下さい 吾 唯 足 知 (われ ただ たる をしる)

足ることを知る人は 不平不満がなく 心豊かな生活が 送る事が出来るの意味です

バスは素通り 車窓より 仙遊寺 仁王門

よく撮れた

                

犬塚池のおはなし

その昔 57番永福寺と58番仙遊寺を一人の住職が兼務していました 二つのお寺の

お使いをさせていた 利口な犬がいました 犬は鐘が鳴った方へ行くことになっていました

ある日 両方の鐘が同時に鳴ったので 犬はどちらに行くか悩み 悩みぬいて 寺と

寺の中間にある 池に入水 亡くなりました 村人たちは犬を哀れに思い 池の側に

犬塚を建て その池を 犬塚池と呼ぶようになったそうです

 つぎ59番札所 国分寺まで 約8km バスで20分です

おしまい

 


四国八十八ケ所 第五十七番札所 栄福寺

2014年11月17日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 10回目

 平成26年9月21日 57番から63番の7ヶ寺を巡りました

最初に今治市玉川町第五十七番 府頭山 栄福寺を参詣

栄福寺は 嵯峨天皇(在位809〜823)の勅願で 弘法大師がこの地を訪れ

海難事故が多い 瀬戸内海の海上安全を祈って 府頭山の山頂で 護摩修法され

満願の日に海中から 現れた阿弥陀如来の霊像を刻み本尊として 堂宇を建立し開創され 

四国霊場に定められたそうです その後859年 僧行教上人が山城(京都)の男山八幡を

創建に行く途中 暴風雨に遭い この地に漂着し そのとき府頭山の山容が 山城の男山と

似ていることから 境内に八幡明神を勧請して 社殿を造り神仏集合の勝岡(かとか)八幡宮を創建され

 明治初年の神仏分離令で山頂から寺を現在地に移されたと伝わっています

栄福寺境内図

境内に入ると左手に 修行大師像の出迎えです

大師像と並んで お願い地蔵さん 

災難を除き 福を招いてくれるお地蔵さんです。

手水場

右手に鐘楼 があります

 鐘楼から左に折れて正面に 病気 延命  衣食を満たして下さる薬師堂 と

  漁業 海上安全 農業  金運 商売繁盛の神さま 金比羅大権現堂が並んで建っています

右手に 納経所と 地元の人達に開放されている ふれあい売店が

新しく建っています

 薬師堂から5~6段上に 大師堂

大師堂の前に 瀬戸内海の海上安全を願う 修行空海像

 

大師堂から数段上 正面に 本堂 内陣

ご本尊 阿弥陀如来

ご真言 おん あみりた ていせいから うん 

ご真言 または「南無阿弥陀仏」と唱えることで 死後は阿弥陀如来さまに導かれて

極楽往生ができると言われています

本堂前に お釈迦さまの仏足跡も新しく奉納されています 

仏足跡を礼拝した手で 身体の悪い所を撫でると 願が成就するといわれています 

本堂の右縁に 箱車

昭和8年奉納 当時15歳の高知県の足の不自由な少年が母親と共に

巡礼 寺の境内で箱車が倒れ 身体を強く打ち 不思議なことに 歩けるようになり 

感謝の証拠品として奉納されたそうです

トイレも移動して新しく ちょっとレトロ調になっています

 つぎ58番札所 仙遊寺まで 約3.5km バスで10分です

おしまい

 


四国八十八ケ所 第五十六番札所 泰山寺

2014年11月13日 | 日記

 四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 第9回 

平成26年8月25日   第五十六 金輪山 泰山寺を参詣しました

泰山寺は 812年弘法大師がこの地を訪れると 蒼社川(そうじゃがわ)が

毎年梅雨期になると 氾濫をおこし 人命や家屋田畑を流し 村人たちを苦しめ

 人取川と恐れられていました 大師は村人たちを指導して堤防を築き 土砂加持の

秘法を7度修法され 満願の日に 現れた延命地蔵菩薩のお姿をを刻んで本尊とし 

修法された地に 不忘(わすれず)の松を植え 金輪山に堂宇を建て 寺名は延命地蔵菩薩の

願である 女人泰産(泰らかに産む)にちなんで名付け 霊場に定められ

その後度重なる兵火などにより 金輪山の山頂から

1690年 麓の現在地に移ったと伝えられています

 

泰山寺 境内図

 

泰山寺への参道 石垣の土台に瓦屋根付きの白い塀がめぐらされています

明治のはじめに 地元の人達の奉仕で築いたそうです

山門はなく 石段を上がると 左手に 手水場 

1854年に再建された 本堂

ご本尊は地蔵菩薩 

ご真言 おん かかかび さんまえい そわか 

現世から来世まで 救って下さり無量の功徳が 授かるといわれています 

本堂縁に お釈迦さまの弟子 びんずる尊者(なで仏さま)が安置されています

本堂の前 白壁の塀を背に 六地蔵など 色々な石仏が並んでいます

 

     つづいて 水子地蔵          地蔵車 も 並んでいます

  地蔵車は 車を回すと 生前の善悪 の行いによって 死後に行き先が決まる 

六つの世界 (地獄・餓鬼・畜生・修羅人間・天上)の絆を断てるといいます

 

4体の観音像左から千手観音 馬頭観音 如意輪観音 救世観音も並んでいます 

平成15年の建築 庫裏

納経所宿坊

宿坊の前に鐘楼 明治14年今治城の太鼓楼の古材で建てられているそうです 

  

            鐘楼の側の池に 弁天堂            忠魂供養塔                  

 昭和 60年 建築の 大師堂

大師堂に向かって右手に 大師不忘松(だいしわすれずのまつ)の石碑と松

 村人を苦しめていた 蒼社川(そうじゃがわ)に堤防を築き 氾濫が治まった時

大師は「仏の恩 大自然の威力 人の愛を 忘れるな」と修法された地に

松を植えられたといいます 当時の松は枯れて 現在の松は 何代目かの松だそうです

     

     大師堂の右手に 聖宝理源像 

香川県本島生まれで 16歳のとき 弘法大師の実弟の真雅僧正の

 弟子になられ 真言密教 奈良仏教を学 ばれ 京都の醍醐寺を開山されています

 宝冠不動明王

 神変大菩薩像 修験道の開祖 

役 小角(えんの おづぬ)

修験によって得た加持力で 病気、災難等を取り除くと言われてい ます

                       

泰山寺駐車場に立派な門がついています

 「今 渡ってはいけません」両手を広げて 交通整理をしている 添乗員さん 

泰山寺を最後に 第9回目の巡拝の打ち止めです 

おしまい


安芸市芸能祭~3B体操安芸~ 

2014年11月10日 | 日記

すみません 動画に手違いがありましたので投稿のやり直しです 

安芸市民の 文化活動の向上と発展を推進するための

 第37回 安芸市芸能祭が開催されました。

各サークルで活動されている 一年間の集大成ともいえる発表会です。

お琴 尺八による邦楽  朗々と詠う詩吟 日本のふるさとを踊る民踊

郷土の伝統を踊る獅子舞 優雅に舞う日舞 リズムにのって体を動かす3B体操 

腹の底に響く迫力の和太鼓 そして世界各地の踊りフォークダンス フラメンコ

 フラダンス べりーダンス など一同に会して 多彩な演目を披露されました 

 

 

 

 日本3B体操協会 茶原教室 3B体操安芸のみなさん

 今年91歳を迎えられた中谷ミユキさんも

 仲間と 軽やかにリズムに乗って若々しく 元気に踊りました

茶原先生ご指導の 素晴らしい舞台発表を動画にしました  ご覧ください 

(今年は 客席からエール 動画は マズイですが・・・

申し訳ありません ジバングの曲が 著作権で保護されているため ブロックされます 

曲(音)なしの画像のみとなりますこと お許しください(ー_ー)!!

      ジパング     ジャスト・ダンスクリックして下さい

おしまい

 


四国八十八ケ所 第五十五番札所 南光坊

2014年11月09日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 第9回 

平成26年8月25日   第五十五 別宮山 南光坊を参詣しました (坊とつく 霊場は南光坊だけです) 

南光坊は703年伊予国主 越智玉澄公が 文武天皇(在位697~707)の勅命で 大山積(おおやまずみ)

明神を今治沖の大三島に勧請し 航海安全の神として大山祗神社を建て 24坊の別当寺を建立したのが

始まりといわれ その後 海を渡らなくても参拝できるようにと 708年行基菩薩が8坊を現在の今治市に

移され 南光坊はその一坊で 行基菩薩が本尊大通智勝如来を安置され 後に弘法大師が南光坊で 

法楽(仏の教えを信じ 得る喜び 楽しみ)をあげて修法され霊場に定められたそうです

南光坊境内図

バスは山門から本堂に向かって右横の 道路から

境内の駐車場に入り 通路を挟んで 本堂側 大師堂側に 分かれています

 芭蕉句碑  ものいえば唇寒し秋の風

どなたが建立したか定かでない と説明書きがありました。

本堂に向かって左に 手水場

 

本堂の左に 金剛界(智拳印を結ぶ)大日如来石像

闇の世界から光明の世界へと導いて下さり 人間が生きていくための

全てを助けて下さる仏さまです

 

                     本堂                  大通智勝如来 (ダウンロード画像)

ご本尊 大通知勝如来 お釈迦さま以前の仏さまで 金剛界の大日如来像に似ていますが 

よく見たら 宝冠がなく印の結び方が反対です 八十八カ所の札所でここだけの仏さまです

ご真言 なむ だいつう ちしょうぶつ 

伊予の領主 河野氏の先祖にちなんだ仏さまだそうで 河野水軍に崇拝され

 五穀豊穣を祈って多くの人々にも信仰されているようです

本堂の 右手前に 薬師堂 

薬師如来を祀られ ご真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

 病気を治し 特に 眼病に霊験があると言われています

慈母観音さま 深く大きい慈愛の心で 見守って下さる菩薩さまです

白衣観音

頭に白い帽子をかぶった観音様は 白は清浄潔白な心を現し

全ての災難を除き 延命を授かる仏さまです

六地蔵 

 悩み苦しむ人々を救ってくださる 六種類の地蔵菩薩さまです

お地蔵さまは人間界だけでなく 六道と呼ばれる六つの世界

地獄道 餓鬼道 畜生道 修羅道 人間道 天道を 救済する仏さまです

六僧正快道塔 

石仏のつづきに 立派な五輪塔があります 「六僧正快道」と書かれています

南光坊 中興の祖 天野快道僧正のお墓だそうです

金比羅堂

讃岐の金比羅宮から勧請している金比羅大権現を祀る堂

1861~1864年の建立で 大師堂とともに 第二次世界大戦の戦火を免れ

海の安全 五穀豊穣 大漁 商売繁盛に信仰されているそうです

山門の外に 弁天堂

弁財天をお祀りし 湖 沼 池などに棲む魔物を 鎮めるとして 水辺にいる神様です

芸事 豊穣 学問 蓄財に ご利益があります

国道沿いの 大きく 立派な山門は 平成10年の建築

山門の 表裏左右に 迫力のある立派な 四天王が立っています

  

   山門表 北方を守る 多聞天                東方を守る 持国天

 

山門裏 西方を守る 広目天                南方を守る 増長

山門を入って右に大師堂です

  

山門を入って左に 使った筆を供養する 筆塚

弘法大師と 橘逸勢 嵯峨天皇の3人が日本の三筆といわれる 

平安時代初期の能書家であったと伝わっていまです 

 

南光坊の左隣に  道路を挟んで 大山祗神社 があります

明治初年の神仏分離令で 大山祇神社の本地仏の 大通智勝如来を

南光坊に移され 境内を分割したといいます

つぎ56番札所 泰山寺まで 約4km バスで約10分です

 おしまい 


OB会ボランティア

2014年11月06日 | 日記

私達○○○安芸OB会は リーダー 曽我さんの音頭で 年間数回

ボランティア活動を行っています なかでも黒潮洗う 絶景大山岬の清掃活動は

 清掃とレクリェーションを兼ね 雄大な太平洋を前にして 皆で持ち寄った 

手料理をかこみ 親睦を深め 楽しいひとときを過ごします。 

とりわけリーダーの奥さんには 度ごとに準備や お料理などで 大変お世話になっています。

11月4日 高知のOB会さんと合同で 総勢20名で 大山岬をこじゃんときれいにした後

 晴れ渡った大空の下 美味しい 手料理で 和やかに食事会をしました。

ちりも集めば なんとやら・・・・

浜千鳥の 歌碑の前で記念撮影

食事が終わった後 観光ボランティアの活動をしている

リーダー曽我さんの案内で 城跡 武家屋敷 野良時計など散策しました

おしまい


クラフト 女性の家NO16

2014年11月05日 | 日記

 11月女性の家 常掲展は 伊尾木公民館でクラフトを楽しんでいるサークルの作品展です

素敵なバスケット や可愛い小物など とても テープで出来ているとは 思えない作品です

作品が多いので まとめ撮りをし 作品が小さくなりました  お許しください

 

   

 ステキな作品を 見にi行ってくださいね。

 女性の家からのお知らせです

おしまい 


四国八十八ケ所 第五十四番番札所 延命寺

2014年11月04日 | 日記

 四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 第9回 

平成26年8月25日   第五十四 近見山 延命寺を参詣しました 

延命寺は 聖武天皇(在位724〜749)の勅願で 行基菩薩が不動明王像を刻み本尊として 

伽藍を建立して開創され 810〜824年 弘法大師が 嵯峨天皇(在位809〜23)の勅命で

伽藍を整え 近見山 宝鐘院 円明寺と名付け 信仰 学問の道場として再興 四国霊場に定められ

その後度重なる 火災に遭い 堂宇など焼失 1727年に難を免れた 本尊とともに

現在地の 近見山麓へ移転し 明治時代になって  五十三番 円明寺と 漢字 読みも同じく 

延命寺と改称されています

延命寺 境内図 

左手に溜池があり 春には見事な 桜並木の参道になります 

 
仁王門の手前に 三界満霊地蔵像
 
 過去 現在 未来 この世のすべての霊を供養して下さる

 

仁王門

 

金剛力士像 

 

山門の正面に 本堂が見えます 

山門をくぐると右手に 手水場 

 左に 稲荷大明神

右隣に 薬師堂

そして売店と納経所 明治23年に 学校の校舎を譲り受けた建物です

 

          山門から正面に 本堂           宝冠不動明王(ダウンロード画像

ご本尊 大日如来の化身 宝冠不動明王  

ご真言 のうまくさんまんだ ばざらだん まかろしやだ そわたや

     うん たらた かんまん

再三の火災から逃れているので 火伏せ不動尊といわれています

 本堂の左の石段を 上がった所に 大師堂

大師堂からさらに石段を上ると 行基菩薩供養塔

 

本堂の右手前に 宝冠不動明王像              水子地蔵

休息所

 

休息所の右に 越智孫平の墓

阿方の 庄屋の 越智孫兵衛さんは 農民の窮乏を救い

大飢饉でも 餓死者を出さなかったと伝えられています

高知県出身の 遍路の父といわれた 真念法師建立の標石

四国に24基建立の一つで 二番目に古い真念法師の道標と言われています

鐘楼

 

聖宝理源大師像 

弘法大師のの弟 真雅僧正の弟子で 香川県本島で生まれ

仏教の普及に貢献された坊さんです

 

山門の手前左の小山に 今治市の有形文化財の 梵鐘

鐘楼を 泥棒が盗んで運んでいると 撞かないのに 鐘が「いぬる〜いぬる〜」と

鳴りだし 泥棒はあわてて寺に戻したという 言い伝えが残っています

今は 大晦日にだけ鐘を鳴らすそうです

つぎ55番札所 南光坊まで 約4km バスで約10分です

 おしまい