蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

訪れを待ちながら

2012年02月11日 | つれづれに

 積雪とツララを伴うこの冬1番、2番という2度の大きな寒波に曝されて、八朔の実が落ち始めた。昨春、油粕と骨粉の混合肥料をたっぷりと施した八朔は夥しい花を着け、例年になく訪れる蜂の姿の少なさを憂うる中に、やがて無数の花びらと小さな実を散らしていった。自然摘果と分かっていても、数百の落果を朝夕掃き寄せながら心配し続けていた。やがて夏、緑濃い葉陰に膨らみ始めた実の数は30?40?と、見るたびに寂しさを助長するばかりだった。
 今年も台風に襲われることのなかった大宰府。秋が来て次第に黄色く色づき始めると、緑の葉陰に隠れていた実が、次第に数を増していく。数える毎にその数が増えていく。何とか昨年並みの80個くらいは採れるかなと安堵しながら、冬が来た。毎年繰り返す一喜一憂である。
 
 25年経た八朔の木は2階の窓に届きそうなほどに高くなり、年毎にもぐのが難しくなってきた。梯子を立て、塀に登り、届かない高い所はご近所から借りた掴み取り式高枝鋏でもいでいった。慣れない鋏使いに、ついつい道路に落としてしまうと実が割れる。
 小一時間でもぎ終わった。いつものように広縁に転がし、1~2週間ほど置いて熟成すると食べごろになる。大きなものから順に並べて数えてみた。自然落果したものを合わせると、191個が今年の収穫だった。何のことはない、今迄で最多の実りである。「なんだ、心配することなかったじゃないか」と自嘲しながら、密かにほくそ笑む。

 夕刻、家内と二人で博多座の2月花形歌舞伎、市川亀治郎を看板に据えた猿之助一門の楽しい舞台を観た。夜の部の「華果西遊記」「鬼揃紅葉狩」の華やかな芝居に、「澤潟屋!」「瀧乃屋!」「笑三郎!」「春猿!」などと存分に声を掛けて楽しみ、少し疲れて帰りついた夜、道路に落ちて割れてしまったひとつを試食してみた。転がして熟成を待つまでもないほど、甘く新鮮な八朔の香りが口いっぱいに広がった。
 大きく姿のいいものから、孫やご近所へのお裾分けで消えていき、我が家では割れたり、姿が悪かったり、小振りなものだけが残るのが例年のことなのだが、味に変りはない。

 そして、依然として気掛かりが続いている。消えたスズメがまだ戻ってこないのだ。「スズメが消えた!」とブログに書いた午後、3匹が軒を掠めたきりで、その後姿を見ない。昨年あれほど襲来していたヒヨドリも、メジロもまだ現れない。時たまシジュウカラが鳴き交わし、カササギが営巣を始め、先日は庭の松の枝で久し振りにキジバトを見た。しかし、1ヶ月ほど前に落果した八朔をふたつに割り塀の柵に刺したが、カラスがちょっとつついてイタズラをしただけで、そのままの姿をとどめている。
 一番気になるのはスズメである。夜明けと共に、時にはうるさいほどに鳴き騒ぎ、人の生活圏から離れることのない筈のスズメ達は、いったいどこで暮らしているのだろう?隣家の樹木を「スズメのお宿」にして、我が家の白梅の蕾を裸にしていた群は、本当にどこに消えてしまったのだろう?毎日訪れを待ちながら、スズメのさえずりが聞こえない朝を寂しく迎える日々が続いている。

 「建国記念日」の祝日。珍しく晴れ上がった青空から早春の日差しが降り注ぐ。吹く風はまだ鋭く冷たいけれども、広縁は暖かい日差しにくるまれて、もいだばかりの八朔が眩しいほど艶やかに輝いた。
                ( 2012年2月:写真:熟成を待つ八朔)

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