蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

黄昏

2017年06月02日 | つれづれに

 週間天気予報に雨マークが並び始めた。

 澄み切った風と真っ青な空、たけなわの初夏が満面の笑みを浮かべたような爽やかな午後だった。まだ雨の匂いはしない。しかし、敏感な自然は既にその微かな匂いを敏感に捉えている。昨日、大きな青い実を着けた梅の木の下をユウマダラエダシャクがひらひらと舞った。梅雨の蛾……この儚い蛾が舞い始めると梅雨が近い。時折思い出したようにキコキコとアマガエルが鳴く。

 27度、身体がようやく夏型に順応し始めたが、まだ時折朝の空気が冷たく、ガスファンヒーターを置いたままにしていた。しかし、そろそろ潮時。ゴムホースを抜いて片付けた。序でに、リビングと寝室の加湿器、トイレの温風機のコードを抜き、フィルターを洗って拭き上げ、納戸に仕舞った。代わりに、扇風機をリビングに置く。寒暖温度差が激しい太宰府だが、ようやくこれで冬の気配を消して、夏への準備を整えた。

 3時間かけて庭木の後ろを這いずり回り、生い茂っていた羊歯や雑草を抜いて5月を送った。大きなゴミ袋3つが5月の置き土産である。
 綺麗になった庭に井戸水を存分に撒き、晴天続きで乾ききった庭に、瑞々しい緑を溢れさせた。汗にまみれたところに、Y農園の奥様からお誘いのメールが来た。
 「ラッキョウを抜きますけど、いらっしゃいませんか?」
 カミさんと車で駆けつけた。観世音寺の駐車場に車を置き、緑の境内を抜けて、イモカタバミが鮮やかに敷き詰める脇を抜けると、そこがY農園。
 備中鍬でさっくりと掘り起こしたもらって、ラッキョウを抜いて土を払う……初めての体験だった。幾粒も束になったラッキョウの茎を短く切って、およそ2キロほどの収穫を半分以上分けていただいた。丁度収穫期を迎えた赤玉葱を抜くお手伝いをして、帰り道に新玉葱まで頂戴した。
 晩白柚の木陰で束の間のお茶タイムをして、傍らにびっしり実を着けた甘酸っぱい枇杷の実までいただいて帰った。丹精込めた実りの数々である。

 買い足したラッキョウ1キロを加えて水洗いし、根と茎を切ってもみ洗いして薄皮を剥き、軽く塩を振ってしばらく置き、熱湯を潜らせて冷まし、風に当てて乾かす。ラッキョウ酢に漬け込んで鷹の爪を刻んで加えたら、昨年に続き、ご隠居特製のラッキョウの漬け上がりである。カミさんと二人で、向こう1年間カリカリした食感を楽しむことになる。

 雨が来る前に、梅の実も収穫しなければならない。1キロほど採れそうだが、さて梅酒にしようか、梅サワーにしようか……「梅酒は、もう一生分漬け込んであるしなぁ」と、まだ決めかねながら、黄昏の中で梅の木を見上げていた。
 カシワバアジサイ(柏葉紫陽花)、スミダノハナビ(墨田の花火)、色とりどりのツツジが、今満開である。夕顔も朝顔もオキナワスズメウリも、少しずつ育ってきた。ラカンマキの間から、カラスウリも蔓を延ばし始めた。夏から秋への蟋蟀庵の風情が、着々と準備を整えている。
 今年は何故か、八朔が殆ど花を着けなかった。消毒に来てくれた植木屋さんが「今年は裏作ばい。去年美味しかったけん、今年は我慢して高い八朔を買って食べんと」と笑う。
 この木の下には、推定600匹ほどのセミの幼虫が樹液を吸っている。毎年、この八朔の下から100匹余りが這い出て羽化する。6年以上を土の中で過ごすセミだから、この600匹という計算が成り立つ。セミに養分を吸い取られたせいでもないだろうが……まぁ、こんな年もあっていいだろう。

 爽やかな黄昏に、庭の花たちが一段と風情を添えた。シャワーを浴びて火照った身体に、撫でるように吹き寄せる夕風が心地よかった。黄昏……「誰(た)ぞ彼」……美しい語源である。
 水無月……雨の季節が、もうすぐそこまでやって来ていた。
                          (2017年6月:写真:黄昏る庭)

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