蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

(旧作) 十二神将 奈良紀行(3)

2017年05月05日 | 季節の便り・旅篇

 花の寺・長谷に向かう長い参道に降り注ぐ日差しは、肌に痛みを伴うほどに強く、一日で室生からの探訪を欲張った身にしたたかにこたえた。
 初夏の陽気を、気紛れにひと月早めて見せた紺碧……それも、フルムーンの初旅に対する大和路からの贅沢な贈り物としよう。
 鄙びた静かな山寺のしじまに浸ったあとだけに、いささか観光に俗化された参道の賑わいと人波が煩わしく、心に描いていた長谷寺のイメージが微妙にずれていく。そんな我儘も、昨日からの幾度もの感動の疲れがそろそろ出始めていたせいかもしれない。初瀬山の仁王門への20分あまりの道のりは、やたらに長く感じられた。

 真言宗豊山派総本山。

 仁王門を潜ってやがて始まる登廊は、さすがに期待を裏切らず、鮮烈な印象を旅心に注ぎ込んだ
 百八間399段、途中鍵の手に折れて続く回廊式の浅く優しい石段が、西に傾いた日差しを斜めに受けて、歯切れ良い陰影の世界を演出してみせる。そして、その光と影のモザイクを重ねるトンネルの天井に、遠近感を一段と強調するかのように、長谷型燈篭が整然と連なっていた。
 名高い牡丹の花時にはまだ遠く、境内の草毟りに精を出す老人と行きずりの言葉を交わしながら、妻とゆっくり回廊を巡った。濃淡層を重ねる緑の中に、此処も今を盛りと咲き誇る絢爛の桜だった。

 夜が爽やかに時を進める。
 素泊まりの宿の湯に、往復二千段近い山寺の散策の疲れを癒したあと、今夜も外で気儘な食事を摂って、食後の散歩は昨夜確かめた興福寺五重塔のライトアップを再び訪ねることにした。
 ほろ酔いの頬の火照りに夜風が心地よい。気怠い脚の重さを持て余しながら、境内を歩いた。時折樹の下の闇から、うっそりと鹿が歩み出て驚かされる。
 ライトに浮かび上がる五重塔は、眩しいほどの昼間の日差しの下とは趣を変えて壮麗で美しく、取り囲む樹木の緑も一段と輝きを増して目に映じた。
 塔を巡るうちにいつしか星も消え、風が湿りを帯び始めていた。

 今日12日は、東京で働く奈良狂いの長女の25歳の誕生日だった。合流してここでお祝いする予定が仕事で流れてしまったが、あるいはフルムーンの水入らずを気遣った、娘なりの思い遣りだったのかもしれない。
 次女は、フィリピン留学の後、今は一人カナダで学んでいる。「オーロラを見た!」と感動の葉書を送ってきたのは、つい先ごろのこと。
 親離れして生きるそれぞれの人生。再び二人きりになった夫婦が、それぞれ娘への想いを抱きながらの、ほのぼのとした春の夜のそぞろ歩きだった。

 夜半、夢うつつの中で雨の足音を聴いた。桜の花びらを容赦なくたたく雨を、、瞼の裏にはっきりと見た。 
 奈良の春が逝こうとしていた

         ―――――――・―――――――
 一夜明けて……。

 春日大社表参道を歩き、二の鳥居から右に折れると、奈良公園の木立の中を「ささやきのこみち」が続く。小雨煙る小径は馬酔木のトンネル。遠くの木立からキツツキのドラミングが朝の空気を軽快に震わせ、キジバトがくぐもった呟きを添える。
 奈良の旅、三日目の心づもりは、新薬師寺の十二神将と秋篠寺の伎芸天。夜半から雨に代わった佇まいは、きっと奈良のもうひとつの顔を見せてくれるに違いない……そんな期待で「ホテル花小路」を浮かれ出た二人だった。
 二日目の日照りに火照った肌を包むように、雨に湿った朝風が戯れて過ぎる。林を抜けたところに、志賀直哉の旧宅がある。俄かに雨脚が強くなったのは、その辺りからだった。

 「山の辺の道」の入り口、そして柳生街道(滝坂道)の辺り、崩れかかった土塀に歴史を刻む道筋を少し行くと、そこがもう新薬師寺だった。
 聖武天皇の眼病平癒を祈る、光明皇后の思いが凝縮する天平の古刹。重文・東門を右に見て、南門に向かう。
 折悪しく、国宝の本殿は改修工事中だった。鉄のパイプと波板の屋根が無粋にお堂を覆い、それを叩く激しい雨脚が静寂を無残に破っていた。その上、暗闇に佇むはずの十二神将が、なんと裸の蛍光ランプの白々しい光を浴びせかけられてしまっている。
 「懐中電灯を借りて、それで仏様をひとつひとつ照らしながら拝観するんだよ」と娘が言っていた。だから、一層ありがたさが増すのだ、と。
 刻まれた仏は、自然の光と影が織りなす微妙な陰影の調和を厳密に計算してある。だから、人工的な光を当てるには、きわめて慎重な配慮がなされなければならないと思う。改修工事の為と許したいのだが、それにしてもあまりにも配慮を欠く光の狼藉だった。
 堂内に貼られたポスターによると、ここでレーザー・ショーをやったこともあるらしい。屹立する十二神将の、苦りきった表情が目に浮かぶ思いだった。

 かつて、東大寺と共に南都十大寺のひとつに数えられ、四町八方に七堂伽藍を誇ったこの寺も、建立33年後の落雷炎上により、本堂のみを残して灰燼に帰し、鐘楼、地蔵堂に二つの門は、後に鎌倉時代に再建されたものだという。
 本堂は床に瓦を敷き詰め、中央の円形の土の須弥壇に本尊・薬師如来が坐し、それを取り囲むように十二神将が立つ。日本最古最大の神将像は豪壮にして華麗、顔面・全身の筋肉が猛々しいまでの躍動美を誇っていた。
 それぞれが夜叉大将として7000の眷属を率い、合わせて84000の軍団が、薬師如来の守護に当たる。やはり吟味された光か蝋燭の炎の揺らぎで、この躍動美を見たかったと思う。

 古来、日本の文化は陰影の揺らぎの中で育まれた。その極致を能に見る。薪や蝋燭の炎の揺らぎを受けて、ひとつの能面が千変万化する。光と影の微妙なコントラストが喜怒哀楽の全てを映し出し、硬質の木彫りの面に柔らかな命を吹き込む。それは決して、昼間の眩しい明るさだけの世界では生まれない文化だった。
 仏は、暗いお堂の中で外からの光を土の床に受け、その淡い反映を掬って慈悲のまなざしを人々に注ぐ。きらめく神々しさよりも、仄かな明りに目を凝らしてこそふさわしいと思う。

 十二神将は干支の仏でもあり、十二支それぞれの神将には、それぞれの本地仏が重ねられている。子・宮毘羅(弥勒菩薩)に始まり、丑・伐折羅(勢至菩薩)、寅・迷企羅(阿弥陀如来)、卯・安底羅(観音菩薩)、辰・頞儞羅(如意輪観音)、巳・珊底羅(虚空蔵菩薩)、午・因達羅(地蔵菩薩)、未・波夷羅(文殊菩薩)、申・摩虎羅(大威徳明王)、酉・真達羅(普賢菩薩)、戌・招杜羅(大日如来)と続き、亥・毘羯羅(釈迦如来)にいたる。
 東洋のギリシャ、日本の莫高窟……新薬師寺にはさまざまな呼称が冠せられるが、春の雨に包まれて沈む風情には、そのような呼称はむしろ要らない。 
 秋、萩の花がこぼれる頃には改修も終わり、また歴史の重みをずっしりと載せて、古寺の静寂が蘇ることだろう。
 伐折羅大将の炯々の眼光を背中に浴びながら、再来を期して本堂を後にした。

 旅の終わり、秋篠寺に向かう。夜来、ひとしきり降り続いた雨が、ようやくその足取りを緩めようとしていた。
                   (1991年4月:写真:伐折羅大将)
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« (旧作) 花吹雪 奈良紀行... | トップ | 初夏の邂逅 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

季節の便り・旅篇」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。