西やん中洲にいます。

西やん66歳、日々の出来事独り言

思い出話81 【18歳、26歳】

2017-02-26 19:43:59 | 思い出話
こんばんは。

今日は、4日振りの夜の仕事の日です。
3日夜の仕事がないのは初めてかな。

今朝は、相当早く起きてしまって。
「ONE OK ROCK 18祭」を観て。blogを書いて。
『また、寝ます』と書いたものの、すぐには眠れず、「ぼくらの時代」を観ている間に、終わりがけに寝てしまったようで、1時間ほどの睡眠でした。
その後は、だらだらして。東京マラソンのスタート中継を観て。

溜まっていた洗濯をして・・・。
のんびりはしましたが。

今朝の「ぼくらの時代」の中で、『26歳、転機説』と言う、どなたかの本の話がでました。

今日は、『18』と『26』。2つの年齢が出ました。

【18歳】
高校から大学進学で大阪に出ました。

高校に進学する頃は、家の経済的な理由で難しかった大学進学でしたが、3番目の兄が行かせてくれる事になって。

もちろん、国公立に行く頭はなく。兄が面倒を見てくれると言っても、極力、学費の安い大学という事で、大阪で2校。東京で1校を受験し、結局、合格したのは一番行きたかった大阪の「大阪経済大学」。

大学に進学して、最初から決めていたのは、教員免許を取ること。「商業」と「社会」の免許を取ることができましたが、単位の関係で、在学中に取れたのは「商業」。

学校の「先生」になる事は、その頃は目標の1つでもありました。子供の誰かが教員になる事を親は望んでいたようですが、大学に行けたのは、私と1つ上の兄だけ。

兄は、教員免許の取得は興味なかったようで。

ただ、私も『絶対に教員になりたい』と言う強い目標ではなく、選択肢を拡げる程度でいたと思います。
現に、19歳の頃に、バイト先でかみさんと知り合い、就職先として受けていたのはスーパーなどの流通業でした。場所も熊本。

すでに、20歳前から同棲し、その頃は、かみさんを優先していたつもりでしたが。

熊本に就職活動で行った帰りに、大学の掲示板で『商業科教員募集』の掲示を見付けて、結局、そちらに行きましたから。

定まっているようで、定まってなかったですね。何がしたいのか。

大阪の私立の男子校の教員になり、2年目の一学期に胃潰瘍になり、大量に吐血して、手術して3分の2を摘出して、2ヶ月入院して。

その年の夏休みの終わり。24歳になる手前で結婚して。

その年度末で、学校を辞め、紹介してもらった、やはり、大阪の私立の女子高で非常勤講師を1年。夜は、出身の大学に通い、「社会」の教員免許を取るため、通いました。

【26歳】
学校の教員をあきらめた訳ではないのですが。そのままでは、収入も安定せず、その頃は、かみさんもバイトだったので、26歳の時に、新たに就職活動をしました。

あくまでも、まだ、頭の中には『教員』があって、「商業」の教員をやるには、これからはコンピュータだ。と。

素人で雇ってくれる会社を探し、大阪に本社のある会社に入社しました。

それから、何度か会社は替わりますが、それ以降の私は、コンピュータソフトの技術者の道を続けてきています。今も、本業はそれです。

18で、目標が定まらないまま、教員免許をとりあえず取得して。熊本で就職するつもりが、大阪で教員になり。病気になり。
26で、『教員に戻るための知識を得たい』ために入ったコンピュータソフトの世界にはまり、そのおかげで、転職で熊本に住む事が出来て。一生の職業もできて。

少し遠回りでしたが、26は、私にとって、転機だったのでしょうね。

そんな事を、今日は、思い出していました。

では、また。


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