ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

ひろちゃん逝く

2017-01-22 23:39:17 | 葬式

1月22日(日曜日)
一昨日の朝のことです。隣組の方が見えました。開口一番、「昨夜父が亡くなりました」。先日の日待ちのとき入院していると聞いていましたが、まさか亡くなるとは思っていませんでした。
今年は隣組の組長をやっています。隣組の方が亡くなれば、皆さんに連絡せねばなりません。
お悔みに行く日時、通夜・告別式の連絡と色々有ります。所が、電話をするも、共働きの家は連絡がつきません。
この日は、宇治市の病院、滋賀県の病院と病院のハシゴをする日で大変です。
夕方5時に家に帰るまで、車の中から携帯電話で電話のしまくり何とか皆さんに連絡出来やれやれです。
20日は隣組の皆さんと揃って、夜6時からお悔みに伺います。
21日は通夜で夜6時から始まりますが、隣組は受付などお手伝いをするのが習わしです。始まる1時間前に式場へ。

22日は告別式で、12時~1時です。これまた1時間前に式場へ。
滞りなく告別式が終わり喪主の挨拶です。「脳梗塞で倒れ、16年間皆さんに助けていただきました。有難うございました。暮れの12月末に肺炎で入院し、肺がボロボロになりチカラ尽きました。父は個人タクシーをやろうと準備している矢先に病魔が襲いました。父は倒れるまで働き詰めでした。休みの日は農作業と休んでいる姿は見たことが有りません」。早い時期に親を亡くし、大黒柱で働いていたことは知っています。
亡くなった方は、村ではどなたからも”ひろちゃんひろちゃん”と愛されていました。職業がタクシー運転手で、話上手で歴史がとても詳しく、観光運転手として会社では重宝されていました。
村で誰か亡くなれば、ほとんどの家が、ひろちゃんにタクシーを手配をお願いしていました。
倒れる前までの宏ちゃんの自慢は、「血圧200あるけど、どうもあらへん。毎日鶏の水炊きを食うのが楽しみでね。夏でも鶏の水炊きを食っているよ」。今の時代であれば、血圧を下げる薬を飲んで倒れることは無いでしょう。
葬式の時に会場で流される映像を、興味深く見させてもらいました。隣組で1泊旅行の写真に、50歳手前の私が写っています。

これを見た喪主は、「毛がふさふさだ」。鳥羽市のサン浦島に行ったことを、すっかり忘れていました。
火葬場へ行く霊柩車を見送り一旦帰宅します。
初七日を火葬場から帰った後、やるとのことで再度葬儀場へ。
3時40分過ぎから初七日が営まれました。初七日には隣組の皆さんで、 「数珠繰り」をやるのが習わしです。何メートルもある大きな数珠を、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀」と唱えながら数珠を廻します。大きな数珠の1か所に、房が付いています。大数珠の大きな房の部分が自分に廻ってくると、房に向かって頭をたれ、気持ちを込めて祈り、房を額に戴きながら廻します。本当は気が遠くなるくらい回すそうですが、今時は省略して20数回でした。
仕上げ膳をいただき葬儀は終わりました。

志半ばで倒れた宏ちゃん。享年79歳。ご冥福をお祈りいたします。
合掌

コメント
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