終には覚むる 夢の世の中 

組織や団体等には一切所属致しておりませんが、日蓮聖人の法華経信奉者です。日々の所感の記録・備忘録として活用させて頂きます

最も危険に見える場所にこそ 安全があるのだ バーバラ・スック

2013-10-26 10:37:27 | 日蓮聖人・本来の姿に戻ろう!
人類は、
ものごとが収斂していく前例のない時代に
生きているように思われる

   カント

時間を盗まれないように守ることだって
自分でやらなくてはいけない

   エンデ


良寛房が讒訴に依りて 釈迦如来の御使・
日蓮聖人を流罪し奉りしかば
聖人の申し給いしが如く百日が内に合戦出来して
若干(そこばく)の武者滅亡せし中に、
名越の公達横死にあはせ給ひぬ、

是れ偏に良寛房が失ひ奉りたるに候はずや

   (頼基陳状)


仏法と申すは道理なり
道理と申すは主に勝つ者なり

   (四条金吾殿御返事)

     日蓮

治世に直諫する
張玄素の如き者は少し

   保科正之


真の政治は
あらかじめ道徳に服していなければ
一歩も前進できない

   カント


孝経に云く
「子以て父に争わずんばあるべからず
臣以て君に争わずんば有るべからず」

鄭玄曰く
「君父不義有らんに臣子諌めざるは則ち
亡国破家の道なり」

新序に曰く
「主の暴を諌めざれば 忠臣に非ざるなり
死を畏れて言わざるは勇士に非ざるなり」

伝教大師云く
「凡そ不誼に当つては則ち子以て父に争わずんば
あるべからず、臣以て君に争わずんばあるべからず、
当に知るべし君臣・父子・師弟以て師に争わずんば
あるべからず」文、

法華経に云く
「我身命を愛まず 但無上道を惜む」文、

涅槃経に云く
「譬えば王の使の善能(よく)談論し、
方便に巧にして命を他国に奉ずるに
寧ろ身命を喪うとも終に王の所説の言教を
匿(かく)さざるが如し、智者も又爾り」文、

~ことに彼の三(みつ)の悪法・関東に落ち下りて
存外に御帰依あり、
故に梵天・二天・日月・四天いかりを成し、
先代・未有の天変・地妖を以ていさむれども・
用い給はざれば
隣国に仰せ付けて法華経・誹謗の人を治罰し給う間、
天照大臣・正八幡も力及び給はず、

   (頼基陳状)


 

およそ臣たる者が恥ずべきは
私心に出でて
なにかをしようとすることである

  田中 正玄

人間というものの弱さからすれば
強につくのが当然かもしれない。
が、それは信義無き者の選択である

  早乙女 貢


公の書を読む者、
その精神に通ぜず、その粗迹に泥ば
害ありて利なし

  山田 方各



いたう天の此の国ををしませ給うゆへに
大いなる御いさめあるか、

すでに他国が此の国をうちまきて
国主・国民を失わん上、
仏神の寺社・百千万がほろびんずるを
天眼をもつて見下して、なげかせ給うなり、


法華経の御名をいういうたるものどもの
唱うるを・誹謗正法の者どもが・をどし候を
天のにくませ給う故なり

あなかしこ・あなかしこ、
今年かしこく(賢)して物を御覧ぜよ

   
   (四条金吾御書)


あながちに心えて振舞い給へ、

こんどはさきよりも
彼等は・たばかり賢かるらん、

いかに申すとも鎌倉のえがら夜廻りの殿原には
すぎじ、

いかに心にあはぬ事有とも・
かたらひ給へ

   (崇峻天皇御書)

     日蓮


法華の行者南無妙法蓮華経と唱え奉る者は
謗法の供養を受けざるは
貪欲の病を除くなり、

法華の行者は
罵詈せらるれども忍辱を行ずるは
瞋恚の病を除くなり、

法華経の行者は是人於仏道決定無有疑
と成仏を知るは
愚痴の煩悩を治すなり

さらば大良薬は末法の成仏の
甘露なり、

今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え
奉るは
大良薬の本主なり

 
 (御義口伝下・寿量品七箇の大事)

      日興

華厳経に云く
「恩を知らざる者は多く横死に遭う」等云云~

かたきをうつ心とどまるべしと申させ給う事は
御あやまち・ありとも 左右なく御門を出でさせ給う
べからず、まして・なからんには・
なにとも人申せ・くるしかるべからず、

さわぐ事ありとも・
しばらく人をもつて見せをほさせ給へ。

  (四条金吾釈迦仏供養事)


 

自分の芸術を誇り得る喜びを捨てて
何の価値があろうか

  杉本 鉞子


運用の妙は一心に存す

  宋史・岳飛伝



日蓮始めて建長五年夏の始より二十余年が間
唯一人・当時の人の念仏を申すやうに唱うれば
人ごとに是を笑ひ・結句はのりうち切り流し
頸をはねんとせらるること・
一日・二日・一月・二月・一年・二年ならざれば
こらふべしともをぼえ候はねども、

この経の文を見候へば
檀王と申せし王は千歳が間・
阿私仙人に責めつかはれ身を床となし給ふ、

不軽菩薩と申せし僧は多年が間・
悪口罵詈せられ刀杖瓦礫を蒙り、

薬王菩薩と申せし菩薩は千二百年が間・
身をやき七万二千歳ひぢを焼き給ふ、

此れを見はんべるに
何なる責め有りといかでかさてせき(塞)留むべき
と思ふ心に 今まで退転候はず、


法華経の第四法師品に云く、

「人有つて仏道を求めて一劫の中に於て
合掌して我が前に在つて無数の偶を以つて賛めん、
是の賛仏に由るが故に無量の功徳を得ん、
持経者を歎美せんは其の福復た彼れに過ぎん」

等云云、

文の意は
一劫が間教主釈尊を供養し奉るよりも
末代の浅智なる法華経の行者の
上下万民にあだまれて餓死すべき比丘等を
供養せん功徳は勝るべしとの経文なり。


   (松野殿御返事)

     日蓮

  
   ~善悪の生を引く~

真実一切衆生・
色心の留難を止むる秘術は
唯南無妙法蓮華経なり

   (四条金吾殿御返事)


      日蓮

   

<御義口伝下・日興>

  寿量品


・・第廿三久遠の事

御義口伝に云く 
此の品の所詮は久遠実成なり

久遠とははたらかさず・つくろわず・
もとの儘と云う義なり、
無作の三身なれば初めて成ぜず
是れ働かざるなり、

三十二相八十種好を具足せず
是繕わざるなり
本有常住の仏なれば本の儘なり
是を久遠と云うなり、

久遠とは南無妙法蓮華経なり
実成(まことにひらけたり)・無作と
開けたるなり 云云。


・第廿四 
此の寿量品の所化の国土と修行との事

御義口伝に云く

当品流布の国土は日本国なり、惣じては
南閻浮提なり、

所化とは日本国の一切衆生なり、

修行とは無疑曰信の信心の事なり、

授与の人とは本化地涌の菩薩なり、云云



常不軽品


・第九言是無智比丘の事

御義口伝に云く此の文は法華経の明文なり、

上慢の四衆不軽菩薩を無智の比丘と罵詈せり、
凡有所見の菩薩を無智と云う事は
第六天の魔王の所為なり、

末法に入つて日蓮等の類い
南無妙法蓮華経と唱え奉る者は
無智の比丘と謗ぜられん事
経文の明鏡なり、
無智を以て法華経の機と定めたり


  

威儀を正しくし、
人をして軽侮せざらむべし

  保科 正之

  Thank you!

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