夢逢人かりそめ草紙          

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ボブ・ディランさんノーベル受賞、多々ニュースを読んだ後、『風に吹かれて』の歌が、街に流れていた当時を思い馳せ。

2016-10-14 15:57:58 | ささやかな古稀からの思い
ボブ・ディランさんがノーベル文学賞を受賞したことを私は知ったのは、
朝の6時過ぎNHK総合テレビのニュースを視聴して、驚ろいたりした・・。

やがて私は各新聞社が報じるニュースをネットで読み、多々教示されたりした。

たとえば読売新聞は、『ノーベル文学賞に米歌手のボブ・ディラン氏 』と見出しされ、
詳細記事は下記のように報じられていた。

《・・【ストックホルム=三好益史】スウェーデン・アカデミーは13日、
2016年のノーベル文学賞を米国の歌手ボブ・ディラン氏(75)に授与すると発表した。
            

同アカデミーは授賞理由について、「偉大なる米国の歌謡の伝統の上に立って、新しい詩的な表現を創造してきた」と説明した。
ミュージシャンのノーベル文学賞受賞は、初めて。
米国からの同賞受賞は1993年の黒人女性作家トニ・モリスンさん以来23年ぶり。

ディラン氏は1962年の初アルバム発表から音楽活動を続け、今春も来日公演を行った。
米国の伝統的なフォークソングに強い影響を受け、娯楽と見られていたポピュラー音楽を芸術の域にまで高めた。
韻を踏んだ歌詞は、時に抽象的で幅広い解釈が可能だ。

1960年代、米国の公民権運動やベトナム反戦運動を背景に、従来のポップスにはなかった重いテーマを扱った。
代表曲の一つ「風に吹かれて」では、人間の尊厳や終わらない戦争への疑問を提示。
「こたえは風に舞っている」と歌い、先行き不透明な時代を表現した。

同アカデミーのサラ・ダニウス事務局長は「54年間にわたって絶え間なく、自己を見直してきた」と称賛。

異例の歌手への授賞となったが、
「(古代ギリシャ詩人の)ホメロスらは、人々に聞かれることや演奏されることを前提に、詩を作っていた。
それはディラン氏も同じ」と説明した。

また、「聖書から仏近代文学に至るまで、あらゆる詩的な言葉を曲に生かしてきた。
『耳で聞くため』に作詞したが、詩として読んでも素晴らしい。
(1966年のアルバムの)『ブロンド・オン・ブロンド』は見事な詩作が示された非凡な例だ」と述べ、
18人の選考委員の大半が、ディラン氏に投票したことを明らかにした。(略)・・》
            

そして産経新聞は、『ノーベル文学賞にボブ・ディラン氏「新たな詩的表現を創造」 村上氏は受賞逃す』と見出しされ、
詳細記事は下記のように報じられていた。

《・・【ロンドン=岡部伸】・・(略)・・フォークソングの代表格として知られ、反戦運動や人権活動にも大きな影響を与えた。
メッセージ性の強い「プロテストソング」を次々と発表し、
「風に吹かれて」「ライク・ア・ローリング・ストーン」など、数々の名曲は日本を含む世界各国で広く知られている。

2008年には、たぐいまれな詩の素晴らしさと、米国文化への貢献などが評価され、ピュリツァー賞の特別賞を受賞。
2012年には米国で文民最高位の勲章となる「大統領自由勲章」を受章。
ノーベル賞でもしばしば名前が取り沙汰されていた。・・(略)・・》


或いは毎日新聞は、『<ノーベル文学賞>歌詞に込めた反戦 ロック、文学に昇華』と見出しされ、
詳細記事は下記のように報じられていた。

《・・(略)・・反戦や反権力といったメッセージに、打たれたファンは多い。
さいたまNPOセンター理事の東一邦さん(67)=さいたま市=は、
大学生だった1960年代、ベトナム戦争に反対する市民運動に参加し、街角でディランさんの歌を歌っていた。

受賞について「彼の音楽はプロテストソング(抵抗の歌)と呼ばれたが、
素直な気持ちを歌にしていたからこそ、日本にもその音楽が届いた。
喜んでいる人が世界中にいるはずだ」と感慨深げだった。

ディランさんを題材に詠んだ作品がある歌人で、愛知淑徳大学学長の島田修三さん(66)は
「戦争やテロに満ちた今の時代に、反戦を歌ったディランの再評価につながれば」と語った。
            

◇米国内に驚き「素晴らしい」

【ニューヨーク國枝すみれ】ボブ・ディランさんへのノーベル文学賞授与が発表されたことは、出身国の米国でも大きな反響を呼んでいる。
米国人が文学賞に選ばれたのは、1993年のトニ・モリスンさん以来だ。

ニューヨーク・タイムズ紙は、ディランさんの作品はこれまで文学賞が贈られてきた小説や詩、短編などの範ちゅうには入らず、
受賞発表は「驚きだ」と指摘。(略)

◇音楽形態覆した

さだまさしさん(シンガー・ソングライター)の話
まさに「元祖シンガーソング・ライター」。それまでの「専門家が作る音楽」という音楽形態を根底から覆した。
あの人がいなかったら、僕らの歌を聴いてくれる人は、いなかったかもしれない。

ベトナム戦争、公民権運動で揺れる当時のアメリカの社会ならではの文化背景が生み出した、とも言える。
歌詞は、比喩の天才だな、と思う。

直接的にものを言っているようで、実は別のところで本質を語る。
まさに「詩人」という姿ですね。
でも、本人はそこをよくわかっていない、ってところが、さらにすごくて、僕は好きだな。

◇飛び抜けた存在

柴田元幸・東大名誉教授(米文学)の話
ボブ・ディランさんは、それまでのポピュラーソングが素朴な詩であったのに対し、
歌詞に現代詩と同じ複雑な象徴性、隠喩性を導入したという意味で、飛び抜けた存在だ。

曲を抜いて、詩として読むに値する作品を書いた人としては、いまだにディランを超える存在はいないのではないか。
受賞は米文学にとってめでたいことだし、ここ数年は手堅い授賞が続いていたので、
今回はノーベル賞を見直した感じがする。
            

◇日本に影響力

音楽評論家・富澤一誠さんの話
ボブ・ディランさんのすごさは、それまで愛だ恋だと歌っていた音楽に対して、
戦争反対など従来歌にならないと思われていたテーマを自分の言葉で、
自分の曲で、肉声で歌い、しかもヒットさせたということ。

日本のミュージシャンに大きな影響を与えた2大洋楽は、ビートルズとディラン。
ディランがいなければ、吉田拓郎さんはじめ日本のシンガー・ソングライターは
育たなかったと思うほどの影響力を持っている。

◇代表曲の歌詞

※「風に吹かれて」1963年

どれほど銃弾が放たれたら/戦いをやめるのか/その答えは風に吹かれている

※「時代は変る」1964年

今の敗者が/後に勝者になる/時代は変わる

※「ライク・ア・ローリング・ストーン」1965年

どんな気分なんだい/どんな気分なんだい/家をなくして/誰にも知られることなく/転がる石みたいだっていうのは・・》
            

こうした記事を読んだりした後、やがて私は、ボブ・ディランさんの名曲のひとつ『風に吹かれて』の歌が、
新宿の街に流れていた当時を思い馳せたりした・・。

私は東京の調布市の片隅に農家の児として生を受け、そして地元の小・中学に通い、
やがて昭和35年(1960年)4月に、都心の高校に入学した。

そして初めて授業の楽しさを覚えて、学力は遅ればせながら向上し、
読書にも目覚めたりした。

そして、二年生になると、『時事』を選択し学んだりし、
朝日新聞社の『アサヒ・ジーャナル』を購読を始めたりした。

敗戦後の教育は、もとより親米であり、洋画、テレビ・ドラマ、音楽、風俗にしても、
アメリカン・ナイズされていた私は、
アメリカの政治・軍事・経済に興味を持つようになった。

この頃のアメリカの大統領は、J.F.ケネディの時代であり、私は無条件に心酔していた。

やがて『キューバ・ミサイル危機』の時は、
一夜明けると、米ソがお互いに核により甚大な被害に遭われる、
と震えて前夜に布団にもぐったりしていた。

その後、ケネディ大統領が暗殺されたり、やがて弟のロバート・ケネディも暗殺されたり、
この間はヴェトナム戦争が拡大したりしていた。

こうした当時、私は新宿の街を歩いていた時、私は映画・文学青年の真似事をしていた時代で、
音楽に関しても殆ど無知な私でも、ボブ・ディランさんの名曲のひとつ『風に吹かれて』歌が、
よく流れたりしていた・・。

こうした中、ジョーン・バエズさんの歌声は、『ドンナ・ドンナ』、『朝日のあたる家』、『勝利を我等に』、
そして『花はどこへ行った』、ボブ・ディランさんの創られた『風に吹かれて』も、街からもラジオからも流れていた。
            

或いはピーター・ポール&マリーさんの歌声は、私が偶然に最も聴いた中『500マイル』、『花はどこへ行った』も
街からもラジオからも流れていた。

そして1963年のワシントン大行進では『天使のハンマー』が歌われた。
マーティン・ルーサー・キングが、かの有名な演説「私には夢がある」(I Have a Dream)を語ったのは、
この行進の際であり、伝説となっている。

そして彼等の最大のヒットは、ボブ・ディランさんの創られた『風に吹かれて』で、
これは世界中で大ヒットとなったりした。

こうした中、彼等は1964年(昭和39年)6月、日本に来日公演をされて、
日本に本格的なフォークソングのブームとなったりした。

やがて1966年(昭和41年)4月、マイク真木さんが『バラが咲いた』、
9月には森山良子さんが『この広い野原いっぱい』デビューされ、フォークソングが定着して発展した。

こうした原点は、もとよりボブ・ディランさんの功績と感じ深めている。
            

追記(14日・夜10時半)

私は純文学の世界、たとえシンガーソングライターの作詞でも、感動、そして感銘をもたらす境界線はない、
と思ったりしたことがあった。

作家・大岡昇平さんが『成城だより』を昭和56年(1981年)より純文学・月刊誌に連載され、
私は敬愛している作家であったので購読していた・・。

こうした中の一節に、大岡昇平さんが『最近・・末恐ろし人がいるょ・・知っているかい?』
と長年友としている作家に葉書に記した。
     まわる まわるよ 時代はまわる
とこのような意味合いを記載されていた。

私はシンガーソングライターの中島みゆきさんのファンであったから、
あの名作『俘虜記』、『野火』、『花影』、『レイテ戦記』などを著作された大岡昇平さんさえも、
中島みゆきさんの『時代』を称賛していたことに、微笑んだりしていた。

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