夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私のブログ、投稿文は平素の外出着、コメントは心の普段着、と改めて思い深めて・・。

2017-02-13 16:26:53 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれず、たったふたりだけの我が家となっている。

昨夜、夕食を頂いた後、やがて茶坊主の私は家内用のコーヒーを淹れて、
居間の食卓テーブルの片隅に置いた。

『明日、駅前の歯医者さんに行く日ですから・・』
と家内は私に微笑みながら言ったりした。

『XXちゃんさぁ・・解っていますょ・・確か予約は11時と記憶していますょ』
と私は笑いながら応(おう)じたりした。
 
家内は幾たびか歯の治療を自宅周辺の歯科医院に受けたりしてきたが、
私は妹から、10年前の頃に小田急線の『喜多見』駅前の歯科医院が良いみたい、と聞いたりしたので、
これ以来、私の歯の老化を含めて、この『喜多見』駅前の歯科医院で私たち夫婦は、治療を受けたりしてきた・・。

そして利便性のある路線バスを利用すれば、我が家より10分前後で到着するが、
最短距離として野川の遊歩道を歩けば、20分前後を歩けば到着するし、
何よりもこの遊歩道の片側は、細長い小公園が帯のように続き、四季折々の情景が見られるので、
私たち夫婦はこのコースを愛用してきた。

難点といえば平日などは、人影も少ない時があるので、
家内が出かける時は、私がボディガード、お供として、共に歩いたりしてきた。
                         

今朝、10時過ぎに我が家を出て、冬晴れの中、私たちは遊歩道を歩き、
過ぎ去った私たち共通の苦い思いで、或いは家内の母の介護のこぼれ話・・とりとめなく語り合ったりした。
                          
やがて駅前の近くで、家内は歯科医院、私は付近を散策となり、
合流はいつものように駅前の片隅にあるコーヒーショップの『ドトール』とした。

そして私は再び野川の両岸にある遊歩道、そして付近に隣接した小公園を歩き廻り、
魅せられた情景をテジカメで撮り、記憶のかたみ、としたりした。

やがて私は一時間ぐらい歩き廻り、家内と合流の駅前の近い『ドトール』に向かって歩いた。

一時間過ぎた頃、家内と合流した後、スーパーで買物した後、
昼食は近くの食事処で頂いた後、やがて帰宅したは午後1時半過ぎであった。
             

まもなく本日のブログの投稿文を思案しながら、パソコンを立ち上げた後、
昨日、私が投稿した文に、コメントを2通を頂いたことに気付いたりした・・。

いずれも礼節ある男性で、真摯に人生の晩秋期の思いを綴られて、
私は襟を正して読ませて頂いた・・。

やがて私は、礼節あるおふたりに思い重ねながら、返信を認(したため)めたりした。
             

私は偶然にブログの世界を知って、早12年半となり、
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
                                      
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
            
そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
         
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
       
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。    
                                                                 
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。

或いは4年半前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。

そして私の投稿文の最初の一行に於いては、殆ど私の住んでいる地域を明記している。
このことは私が投稿文の中で、散策、買い物したりする場合、日本のどの地域なのか、
初めて読んで下さる方に理解して頂く為である。

こうしたささやかな思いで、つたない投稿文を繰り返して、早くもブログは13年生となっている。
                        

私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
恥ずかしながら筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。

しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省することが多い。
                                             

このような思いで描写してきたが、もとよりブログはこの広い世の中に公表することであり、
1(私)対N(多くのお方)と思い、少しは抑制した表現としている。

こうしたことは私の日常生活の中で、買物とか散策する外出の時は、少しは身なりを整えるのと同様に、
私のブログの投稿文は、平素の外出着かしら、と思ったりしている。
      
しかしながら都心に買物や懇親会などの出かける時は、多くの方に恥ずかしくないように、
程ほどの高価な衣服を整えて出かけるが、
このように準じたお洒落でうわべの事柄は、つたない半生を歩んできた私は、
少し背伸びした投稿文を私は書くことができない。

そして素直な心に準じた身の丈に合った投稿文を重ねることが圧倒的に多い・・。
                                
              
コメントに関しての私の場合は、その御方との個人的に心情で、
1(私)対1(相手の御方)のささやかな心の交流と思いながら、
私は本心を発露して綴り、相手の御方の返信にも本心が見え隠れし、微笑んだり、苦笑したりする時もある。

まるで我が家の中で、リラックスした普段着のような感じなので、
コメントは、心の普段着かしら、と感じたりしている。
                                        
或いはそれぞれの御方よりコメントを頂き、
私は思いかけずに喜んだり、私の投稿文をこのように解釈されたのかしら微苦笑したりし、
返信を認(したた)めたりしている。

こうした中で望外の喜びとして、ブログサイトを開設していない数名の方より、
幾たびかコメントを頂き、もとより私は本心を発露して、返信を認(したた)めてきたりした。
                       

そして私は毎日のように数多くの御方の投稿文を読ませて頂きながら、
日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、とご教示されることが圧倒的に多く、
確かな人生の教科書と思い、多々ご教示を受けている。

こうした中で、感きわまってコメントをしたりする時もある。

このように私は、多くの御方がブログのコメントを活用しているのは、
それぞれの御方の秘めたる心の発露の交流かしら、と感じたりしている。
             

このように私は、ブログの投稿文を重ねて13年生となっている。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

『コラム』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 須田哲夫さんのご両親の晩秋... | トップ | 『林住期』、『遊行期』、私... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ささやかな古稀からの思い」カテゴリの最新記事