夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『定年後を楽しむ人・楽しめない人』、年金生活13年生の私は学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2017-05-14 15:12:10 | ささやかな古稀からの思い
先程、小学館が発刊しているシニア向けの教養雑誌『サライ』の公式サイト【serai.jp】を見たりしていた中、
【 『定年後を楽しむ人・楽しめない人』
            【印南敦史の定年本イッキ読み5】 】と題された記事を見た。

作家、書評家の印南敦史さんが定年前後に関して、多彩な分野から上梓された本を紹介する連載記事と思われ、
今回紹介する『定年後を楽しむ人・楽しめない人』(金田義明著、洋泉社)であった。

そして『サライ』の公式サイト【serai.jp】に2017年4月18日に配信され、
記事の一部を遅ればせながら年金生活の72歳の私は学び、やがて私は微苦笑させられたりした。
この一部を無断であるが転載させて頂く。

《・・定年を迎えたサラリーマンがまず味わうのは、うきうきとした「開放感」だそうだが、問題はそのあと。

すなわちその段階で、「激変する現実」を突きつけられることが多いというのである。
それが、定年で誰もが失う「六つの生きがい要素」だ。

それは、「群れ」を失うこと、「仕事」を失うこと、「収入」を失うこと、
「看板と肩書」がなくなること、「人間関係」が激減していくこと、そして「情報のルート」を失ってしまうこと。

もちろん他にも「積み重ねてきた腕や経験」「それらに対する周囲の評価」「個人として持っている人間関係」などもあるだろう。
しかし上記6つの要素が、一度にごっそりと消えれば、精神的に大きな空洞が生まれることは想像に難くない。

だからこそ「生き方計画」を用意することが大切だということだが、
たしかに早い段階でそこに目を向けておかないと、あとから大変なことになりそうだ。(略)
             

「本物の生きがい」になっているものには、共通する3つの条件がある、

第一は、「そのためになら、少しぐらいカネを使っても惜しいと」思わないもの。
第二は、「それをやっていれば、時間を忘れる」もの。
第三は、「ド素人ではだめ。20〜30分は公爵ができる」こと。

そうした条件が揃った課題を持っていれば、安心だということである。

たしかにそういう価値観があれば、「することがない」と引きこもってうつ病の心配をする必要はないかもしれない。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は民間会社の中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤めて定年退職したのは、
2004年(平成16年)10月20日であった。

この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の6年は音楽業界が全般としてリストラ烈風が加速され、この前後は、各レコード会社が社内業務の見直し、
組織の大幅な改定、グループ会社内の統廃合、そして資本による合併などが行われたりした。

これに伴ない、私の勤めいていた会社も、正社員のリストラが行われ、人事配置転換による他部門の異動、出向、
早期退職優遇制度が実施された。
                    
私は1970年(昭和45年)の中途入社した身であったが、
この当時の時代の風潮としては、多くの御方と同様に、この会社で定年の60歳まで
勤め上げ意志を殆どの方たちは共有し、私なりの人生設計を持っていた。

そして激動の1998年(平成10年)の前後は、先輩、同僚、後輩の一部の人が、
やむなく第二の人生を選択し、早期退職優遇制度に申請を出されて退職されたが、
私は定年まで勤め上げる思いが強くあったので、彼等の決断を見送っていた。

やがて私は1999年(平成11年)の新春、あえなく出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めたりした。

そして遠い勤務地に勤め、この期間も奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
             

このような拙(つたな)いサラリーマン航路であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在であり、
何かと半生記は自慢史が多い中で、私は砂漠にある一粒の砂に過ぎない、と感じ深めたりしている。
                           
そして定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
我が家より近くに私の生家もあり、私は結婚前後5年を除き、この地域に住んで、67年は住んでいる。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で古ぼけた戸建に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、年金生活も早や丸12年半が過ぎてきた・・。

そして家内は、私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
             
           
年金生活を始めた当初から、私は午前中の殆どは、平素の我が家の買物として、
家内から依頼された品を独りでスーパー、専門店で求め、買物メール老ボーイとなっている。

この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりして、
季節のうつろいを享受している。

そして高校時代より都心に通ったりしてきたが、定年後は興味が薄れ、人出の多い街並みは苦手意識が高まり、
我が家の周辺を散策したりすると、やすらぎが深まっている。

このような根底のひとつには、定年前の私は、現役のサラリーマン時代は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた・・。

こうした家内のささやかな時間を壊すのは、天敵と私は確信して、
定年後の年金生活を始めた時から、私はこのような午前中の生活を過ごしている。
                                                      
午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
何かと愚図な私でも、素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

そして人だれしも長所、短所はあるが、私は短所の方が多いので、
家内の短所には目をつぶり、長所を伸ばそうと心がけてきた・・。
                           

こうした中で、ときおり小庭の手入れをしたりしている。

定年する10年前の頃から、雑誌の『サライ』を定期購読して、ある号で野菜の成長、花、色合いが載っていた。

或いは作家・曽野綾子さんの随筆の新書本のひとつに、
ご自宅の庭でも野菜を育成していると私は読んだりしてきたので、
生育のうつろいを眺めて、育成するのも良いと思案していた。

ご近所より少し広いが、程ほどに常緑樹、落葉樹、季節に応じた茶花もあり、
小鳥が定期便のように飛来してくるし、更に野菜を育成したりすると、小庭は更に手狭となり、断念したりした。


私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
                          
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
                                         

家内は料理、洗濯、掃除などを積極果敢にする専業主婦の優等生であるが、
血液型A型となっている。

そして我が家では一年に数回、私はB型、家内はA型の為か、ボタンの掛け違いのように差異が発生し、
険悪になることもある。

やがて私は、映画、文學、音楽に関しての粗雑なコメント以外は、私たちの人生に大勢に影響がないと判断して、
いつまでも心のわだかまりを残すことは、夫婦としてよくないと思い、15分以内に妥協して、
『ボクが悪かった・・XXちゃんのおしゃる通りです!!』
と家内の前で、私は床に伏して詫びたりしている。

このように我が家は家内安全となり、離婚などは無縁である、と私は微苦笑したりしている。
                                                           
こうした中、私たち夫婦の年金生活を、ご近所の方の奥様たちが見かけて、
あなたたちは仲良し恋しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。

しかしながら日常生活の実情は、私は家内のことを、婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んでいるが
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。

しかしながら2004年(平成16年)の秋、年金生活を始めてまもない頃、
私は家内から依頼された買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言ったりした。

この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。
                                         

このように私は定年退職するまでは、何かと悪戦苦闘の半生であったが、
定年後の年金生活は、予測した以上に心身に於いて、安楽な生活を過ごしている。

そして我が家は裕福層には無縁であるが、何とか生活できて有りがたいわ、
と家内がときおり呟(つぶや)くように言ったりする時、私は微苦笑したりしている。

こうした中、いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩くことが多くなっている・・。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。
             

こうした中、人生は想定していないことは多々あると私は学んできたが、
ときおり私は独りぼっちの『おひとりさま』の生活をしている。

私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなっている。

私が定年後する直前に、家内の父が病死され、家内の母は我が家より遠い地で、独り住まいとなっている。

そして家内の母は自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、
11年ぐらい恒例となっていたが、これくらいは私にとっては気分転換で良好と思ったりしてきた。

やがて一昨年より家内が家内の母宅に宿泊数が多くなってきたことは、
私にとっては、まさかの出来事のひとつとなっている。
             

やがて家内の母が『要介護1』となり、長女の家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

こうした事情で、我が家では私が『おひとりさま』の生活となり、
私たち夫婦の年金生活の予定事項が定まることが少なくなり、少し困苦してきたことも事実となっている。

『お義母(かあ)さんは・・娘ふたりに介護されて良いけれど・・
我が家では子供もいないので、頼れる人はいないし、お互いの頑張りだよなぁ・・』
と私は微苦笑しながら、ときおり家内に言ったりしている。

『そうよねぇ・・あたし達が晩年期まで・・しっかりとしないと』
と家内は苦笑しながら、私に言ったりしている。

こうしたこと以外は、私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇せずに、
ほぼ予定通りに、順調に年金生活13年目を迎えている。

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