夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

高齢者が配偶者に先立たれて『高齢独身』まもなく激増する時代、私は動顛しながら学び、やがて溜息を重ねて・・。

2017-06-28 16:05:15 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読しているネットの『東洋経済オンライン』を見ていた中、
【激増の高齢者孤独が「7割が男」という現実
        ~既婚者でも「妻が看取ってくれる」は大間違い~】と見出しを見てしまった。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、いつの日にか、どちらかが亡くなり、遺(の)された方が、
『おひとりさま』になることは、漠然としながら私たちは話し合うこともある。

このような心情を秘めた私は、記事を精読してしまった・・。

この記事は、博報堂ソロ活動系男子研究プロジェクト・リーダーソロ男プロジェクト・リーダーの荒川 和久さんが、
寄稿された文で、『東洋経済オンライン』に6月28日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・2017年4月、国立社会保障・人口問題研究所が、
2065年までの日本の将来推計人口を公表しました。

それによると、総人口は、2065年には8808万人に減り、
65歳以上の高齢者の構成比は38.4%に上昇すると推計しています。
つまり、人口の約4割が高齢者になるわけです。


こうしたニュースは、少子化の問題と相まって世間ではいつも大きな話題となります。
もちろん高齢化社会は憂慮すべき社会的課題です。

しかし、それと同様に深刻なのは、日本のソロ社会化です。
以前、「2035年『人口の5割が独身』時代がやってくる」という記事に書きましたが、
たとえ結婚しても、離婚や死別などで、誰もがソロに戻るリスクがあるということが忘れられています。

 ■2035年には「ソロの国・ニッポン」になる

国立社会保障・人口問題研究所が2012年に出した配偶関係別人口推計をひもとくと、
2035年には有配偶男女と独身男女の比率が、ほぼ同数になるだけではなく、
高齢者男女3740万人に対して、独身者約4800万人と、独身の数のほうが上回ります。

つまり、高齢者の割合が高いだけでなく、高齢者以上に、独身者が多い国に日本はなります。
まさに「ソロの国・ニッポン」になるわけです。

世帯別の推計でも、2035年には単身世帯がほぼ4割に達し、
最も多い世帯形態になることが予想されます。

「夫婦と子」というかつての標準世帯も、子どもが独立して、
新たに核家族を作れば、高齢の夫婦だけの世帯へと戻ります。

そして、熟年離婚は増加しており、仮に添い遂げたとしても、
最終的には配偶者のどちらかの死によって、すべてが高齢単身世帯に帰結していくのです。



■47都道府県別に見る「高齢独身者」の実態


離別・死別を含むこうした高齢独身率については、生涯未婚率や若年層の未婚率が注目される一方で、
あまり触れられてきていません。

そこで、2015年の国勢調査を基に、都道府県別の高齢(65歳以上)独身者の実態を見てみましょう。

男女とも高齢独身率が高いエリアは、青森を別格とすれば、
鹿児島、高知、長崎、福岡などの九州地方に集中しています。

興味深いのは、「未婚男が割を食う『バツあり男』の再婚事情」という記事で、
再婚数の上昇率ランキング1位だった滋賀県が、
この高齢独身率では男女そろって下位に来ているということです。


■20の都道府県で女性の独身率が5割超え

しかし、何より驚愕するのは、女性全体の高齢独身率の高さではないでしょうか。
トップの青森55.10%を筆頭に、50%を超える県が20もあります。
全国平均でさえ49%に近い数字です。

もはや高齢女性の半分は、ソロになるというわけです。


2035年の将来推計人口でも、高齢独身女性は約1200万人に対し、
高齢独身男性は半分以下の約500万人であることからも、
長寿の女性は、それだけ人生の終末に、ソロに戻る確率が高くなります。

だからといって、既婚男性も安心は、できません。
「妻が最後を看取ってくれる」というわけではないのです。

独身の内訳構成比を見ると、女性は未婚9%、死別80%、離別11%と、
圧倒的に死別が多いのですが、
男性も未婚27%、死別51%、離別22%と離別・死別によるソロ率が7割以上を占めているのです。


いつまでも結婚しようとしないソロモンに対して、
「結婚しないと、孤独死するぞ」という言い方をする既婚者が、いまだに多くいます。

ただ、正しくは「結婚したとしても、孤独死になる可能性はある」ということを認識すべきです。



たとえ子がいても、同居するとは限りません。
結婚して子どもを産み育て、家族という共同体を作れば安心・安定だった時代は、
残念ながら過ぎ去りました。

言うまでもなく、結婚や家族それ自体を否定するわけではありません。
が、ソロに戻るリスクは、全員にあるのです。

「孤独死」とは、一般的には、「一人暮らしの人が自宅で、
自殺や他殺以外によって、誰にも看取られずに亡くなる」こととされ、
親族がいる場合でも、死亡時に誰もそばにおらず、一人で死亡した場合を指します。

しかし、実は、「孤独死」に対して法的に明確な定義はなく、
警察庁の死因統計上では、変死に分類されています。

その名称も「孤独死」のほか、「孤立死」や「独居死」などまちまちです。
そのため、「孤独死」を明確に定義づけた国としての統計は存在しません。

ここでは、東京都福祉保健局が発表している
「東京都監察医務院で取り扱った自宅住居で亡くなった単身世帯の者の統計(異常死数)」

「東京都23 区における孤独死統計(平成15~19年)世帯分類別異状死統計調査」
東京都監察医務院編2011年]を参考に、その実情を把握していきたいと思います。
なお、対象範囲は東京23区内のみ、単身世帯の実績だけを抽出しています。

 ■孤独死は男性が女性の2倍

これによると、直近2015年の実績では、男性3292件、女性1398件。
12年前の2003年実績では、男性1985件、女性876件でしたから、
男女ともに約1.6倍に増えています。

また、男女比は、男性の構成比がつねに、およそ7割近くを占め、
圧倒的に男性が多いことがわかります。


年代別に見ると、2015年実績では、65歳以上の高齢者の比率が男性で6割、
女性では8割を占めており、やはり高齢者の「孤独死」が多いことは事実です。

2003年と比較すると、男性では60歳以上、女性では70代後半以上の発生件数が
大幅に増加していることがわかります。

東京都の例でいえば、死後半月以上発見されなかった「孤独死」が、
女性に比べて、男性は2倍近くあります(男性23%、女性12%)。

いかに男性が「人とのつながり」を失っているかがわかります。
むしろ、こうした「人とのつながり」を遮断した時点から、
人は「孤独死」への道を突き進んでいると言えるのかもしれません。


当然、経済的な貧困問題もあるでしょうが、決してそれだけではありません。
物理的な「孤独」が問題なのではなく、心理的な「孤立」こそが問題です。

そういう意味では、個人的には「孤独死」というより
「孤立死」という呼称のほうがふさわしいと考えます。

心理的に「孤立」してしまうことは、例えその時点で身体は生きていたとしても、
心はすでに死んでしまっているのです。




ただでさえ、男性は定年退職などで長年勤め上げた職場を離れると
「人とのつながり」を失いがちです。

そんな中、妻だけに依存してきた夫が、その後、万が一妻と死別や離別してしまうと、
虚無感に支配され、引きこもってしまうことも多いのです。

普通の日常生活を営もうとする意欲や生活能力を喪失し、
自己の健康・安全を損なうことを「セルフネグレクト」といいます。

内閣府が2011年にまとめた調査では、
そんな状態にある高齢者は、全国で推計1万人以上いるとされています
(内閣府経済社会総合研究所「セルフネグレクト状態にある高齢者に関する調査」)。

行政や自治体、地域などでは、見守り活動など各種支援を展開してはいますが、
そうした「周囲の支援をかたくなに拒否する」という例も多いと聞きます。
誰かに頼るということが、できなくなっているのです。


ゴミだらけの部屋の中で、死後腐敗した状態で発見される人の中には、
部屋の中に「自分を管理する」など自己を律する張り紙があることも珍しくありません。
本人はその状態を脱しようという意思があるのです。

しかし、問題は、すべてを自分だけで、なんとかしようという別の意思が、
皮肉にも本人を追い込んでしまうのです。

ただでさえ、男は誰かに頼ることを恥だと思いがちです。
愚痴や泣き事を言うだけでも、いいのです。
誰かとのつながりを遮断してはいけません。

■自立心は「頼れる先を複数用意」して生まれる

誰にも頼らず生きることは、決して自立ではありません。
自立心は、誰の力もいっさい頼らないことではなく、
頼れる依存先を複数用意できることで生まれるもので、
依存先が1つしかないという状況のほうこそ、憂うべきなんです。

拙著『超ソロ社会』で書いた「ソロで生きる力」も、
まさにそうした選択可能な依存先を用意できるよう「人とつながる」ことが
大切であるとしています。


人は皆死にます。どういうふうに死ぬかはわかりません。
重要なのは、「どう死ぬか」ではなく「どう生きるか」のほうです。

未婚も既婚も関係ありません。
誰もがソロになるという認識と覚悟を抱いて、
若いうちから生きるうえでの自分のネットワークをつくり続けていくことが必要です。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
多々の理由で年金生活を始めた。

そして私は、いつの日にか私は家内より先にあの世に旅立つことを思い、
残された家内が生活に困苦しないように、私は公正証書の遺言書を作成したのは、
定年後の年金生活を始めて、まもない時であった。

私たち夫婦は無念ながら子供に恵まれなかったので、一代限りの身であり、
私は家内には、俺が死んだ時は家族葬で、和花と音楽に包まれて、出来うる限り質素にして貰いたい、
とここ15年ぐらい言ったりしてきている。

そしてお墓は要らず、死者は土に還る、という強い思いがあるので、
樹木葬のある墓地の里山に埋めて頂きたい、と私は独断と偏見である。

その後、四十九日の納骨が終われば、何らかの雑木の下で永久に安らかに眠る、という考えの持ち主である。

そして残された家内は、旅行か何かの機会に時、気が向いたとき、お墓参りをしてくれれば良い。
数年に一回でも良いし、或いはそのままお墓参りなどしなくて、
ご自分の余生を楽しんだ方が良い、と私たちは話し合ったりしてきた。

こうした中で、家内には自宅を処分して、マンションの小さな部屋を買い求めて、
生きがいとして趣味を強くして、老後を過ごして欲しい、と私は幾たびも言ったりしてきた。

 
そして我が家は、ここ数年、ときおり家内が独り住まいの家内の母宅に、
家内の妹と交代で、看病で宿泊することも多くなっていて、
私は我が家で独りぽっちの『おひとりさま』の生活をしたりしている。

こうした時、年に数回ぐらい、この世は予測できないことも多々あり、
まさかの出来事で、家内に先立たれることも考えられるので、
私が『おひとりさま』になってしまうことを思案する時もある。

しかしながら、この世は予期せぬことがあり、家内に先立たれて、
私は『おひとりさま』になってしまうこともある。

私は家内が亡くなった時は、世の中はこのようなこともあるの、
と茫然(ぼうぜん)としながら失墜感を深めて、やがて四十九日を終えて、樹木園に行き、埋葬をすると思われる。

そして家内に先立たれた時、こうした古ぼけた家でも小庭の手入れも含めて維持管理するのは、
私たち夫婦の長き航路を歩み、愛惜感もあり、苦痛が増したりするので住めないだろう、と私は改めて感じている。

やむなく小庭のある古惚けた一軒屋を処分し、大きな公園が隣接した場所で、
小さな2DKのマンションに転居すると思われる。

そしてスーパーと本屋に徒歩10分前後で行けた上で、
大学総合病院に公共の路線バスなどの利便性のある場所を選定するだろう。
 
                                                             

この前提として、もとより住まいが狭くなるので、
やむなく本の大半は処分し、500冊前後に厳選した上、
映画作品のDVD、そして音楽のCD、DVDは程々に多いがすべて移動する。

こうした独り身の『おひとりさま』になった時の私の日常生活は、
付近の公園で四季折々の情景を眺めながら散策したり、
スーパーでお惣菜コーナーの売り場で買い求めたり、本屋に寄ったりして、数冊を購入する。

そして小さな2DKの12畳は居間として、少し大きめのテープルを置き、壁一面に本と映画・音楽の棚で、
テープルにはバソコンを置き、窓辺のバルコニー越しにマンション敷地内の大きな樹木が数多く観え、
食事もこのテーブルを使い、四季折々の常緑樹、落葉樹の情景を眺める。

そして6畳はベットの下には、収納棚に下着と靴下、壁側は衣服棚・・
付近の区立の小公園を散策代わりに、毎日のように歩く。
                                                                                                             
こうした中で、週たった一度だけ定期便のような居酒屋に行き、
中年の仲居さんと談笑し、からかわれながら、純米酒を二合ばかり呑むだろう。

そして私は家内の位牌の代わりに、定期入れに愛用した革のケースに、
家内のスナップを入れて、いつも持ち歩くと思われる。

こうした日常生活を過ごすと思われる・・・。

         

或いは私が心も身も溌剌であった時は、古惚けた我が家で住むことも思案したりする。

過日、私たち夫婦は最寄の銀行に行った帰路、ある地域福祉センターを通り過ぎ、
センターから何かしら集会があったらしく、談笑と歓声が私は聴こえてきた・・。

やがて私たち夫婦は、遊歩道を歩くながら、
『僕がおひとりさまになったら・・家に閉じ込まらなくて・・ああした地域福祉センターで、
私は定期便のように通うと思うょ・・』
と私は家内に言ったりした。

私は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、男の癖に小学5年生の頃から、おしゃべりが好きで、
年金生活の今でも、何かと家内と談笑したり、
ご近所の奥様、ご主人さまと話し合ったりすることが多い。

            

私は音楽業界のあるレコード会社に勤め、定年退職の5年半前、リストラ烈風の中、
各レコード会社がCD、DVDなどの音楽商品を委託している物流センターに出向となり、
センター長をはじめ私も含めて5人の正社員の基で、パート女性30代~40代が多い130名前後、
そして契約社員、アルバイトの男性20代が多い10名前後の職場に勤めたりした。

こうした中で休息時間、或いは懇親会などで談笑を重ねて、多々学び、貴重な体験をしてきたので、
数多い人の中でも、公明正大に談笑ができるタイプてもある。

もとより地域包括支援センターは、《・・介護の必要がなくても、誰でも利用できる。・・》、
《・・介護予防のための体操教室や談話会など・・》を知り、微笑んだりした。
            

私はおひとりさまになってしまった時、相変わらず古惚けた自宅を出て、
トボトボと歩いて、地元にある地域包括支援センターに殆ど毎日通い、数時間を過ごす・・。

そして私はコーヒーを飲みながら、或いは昼食を共に頂きながら、70代が多いと思われるが、
XXさん、と私は呼ばれたり、やがて同世代の女性からでも、
XXちゃん、或いはXXクンと苗字で、呼ばれることを夢想したりしている。

この後、コーヒー代、昼食代を支払い、わずか700円以下が多いと思われ、
何よりも数多く同世代と共に数時間を気楽に共有して、談笑できるので安らぎのひとときと思える。

やがて帰宅後は、この日の夕食、翌日の朝食の為にスーパーに買物した後、
自宅付近の遊歩道、公園を散策する。

その後は、随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書とし、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くと思われ、独りを愉しむ時を過ごす。

このように過ごせば、たとえ私は『おひとりさま』になっても、
心身のバランスが保てる、と微笑んだりしている。

                        

今回の記事を読み多々教示され、私は『おひとりさま』になってしまった時、思案を重ねたが、
こればかりは、
その時になって動顛しながら、戸惑いながら実感されことだよねぇ、
と私は心の中で呟(つぶや)いたりした。

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