遊去のブログ

ギター&朗読の活動紹介でしたが、現在休止中。今は徒然草化しています。

記憶変調

2016-07-22 08:16:17 | ぼやき・つぶやき・ひとりごと
 さすがにおかしいと思いました。ここまで思い違うということはありうるのか。それとも年を取ってくればこのくらいのことは当たり前のことなのか。案外、年を取るということはこういうことなのかもしれません。
 先日、運動靴を買いに行きました。「運動靴」なんて言葉、今も使うのでしょうか。ランニングシューズと言った方がよくわかるかもしれません。山登りに使うためですが、いつからか日帰り登山のときには登山靴ではなく運動靴を履くようになりました。荷物の重いときには底の厚い頑丈な登山靴が必要ですが、軽装のときは運動靴の方が便利です。
 運動靴のサイズは26cmでした。平地のときはこれで問題はありませんが、山では下るときにつま先が靴に当たって痛みが出て来ます。これは単純に体重のために足先が前にずれるだけのことですが、靴ではこれは致命的です。前から知っていましたが我慢していました。今回も山を下りながら何とかならないか考えていて、靴のサイズを大きくしてみようと思いました。もちろん、こんなことはこれまでに何度も考えましたが、靴の場合には「足に合ったサイズ」が大切だと聞いていたので、大きすぎるとごそごそして使いものにならなくなるのではという気が強くしていたのでした。ただ、今回その気になったのはつま先の痛みがひどくなってきたのと、この数年、何でも試してみるようになってきたことがあります。
 そう思い始めるとすぐにも試したくなります。といっても町に出たときじゃないと買えないので4,5日あとになってしまいました。当然、そのときには靴のことはすっかり忘れています。別のものを買ってすぐ帰ろうとしたのですが、何となく気持ちがすっきりせずホームセンターの中をぶらぶらしているとパッと靴のことを思い出しました。
 27cmの靴を持ってレジに行くとそこで「サイズは大丈夫ですか」と言われました。一瞬、靴のサイズと私の背丈を見て言ったのかという気がしましたが、相手は単にマニュアルに沿って尋ねているだけでしょう。私の体の中には昔の感覚がいつまでも残っていて、つい相手の言葉に対応しそうになってしまいます。それにしても、レジで働く人も品物によってマニュアルが違うわけだから、いったいどれだけ覚えなければならないのだろうか、たいへんだなぁと思いました。自分の中では昔のように話した方がいい気がして、頭の中で、『本当のサイズは<26.5cm>なのだけど、坂道を下るときにはつま先が当たって痛むので一回り大きい27cmを試すことにしたのです』と説明しておきました。
 家に帰ってこれまでの靴をみると「26cm」でした。何、これ。自分の靴のサイズまで思い違いするようになったのか。これは効きました。当然のことながら、自分でも、何もかもがこれまでとは違ってきていることには気づいています。その一つとして簡単な暗算ができなくなりました。特に引き算です。実際のところ、筆算は問題なくできるので計算の論理は壊れていないのですが、どうも複数個の数字を同時に保持することが難しくなってきているようです。しかし、自分の靴のサイズを間違えるとは。
 日常生活の一つひとつは記憶している多くの数値をもとに無意識のうちに行われていきます。これでは早晩おかしくなる。これがモウロクの始まりだなと思いました。
 いずれにせよ、<少し大きい>靴には違いないので試してみることにしました。平地でも違和感はありません。これまでサイズにこだわり過ぎていたのかもしれないと思いました。すぐ近くに90mほどの山があるので登ってみました。登りは問題ありません。問題は下りです。やはり靴の作りが柔らかいので体重のために前にずれます。だけど足首のひもをしっかり締めれば何とかなりそうです。
 いろいろ試しているうちに、40年前、初めて登山靴を買ったとき、つま先が当たるといけないということで27cmにしたことを思い出しました。ただ、登山靴の場合には毛糸の靴下を、厚手、薄手の2枚履きました。その分を見込んだ<27cm用>だったのか、それを見込んで27cmにしたのかはわかりませんが、つま先が当たらないことを確認したことだけは覚えています。
 そのうちに、運動靴の場合、以前は<26.5cm>を履いていた時期があったような気がしてきました。若いときには26.5cmを履いていて、あるとき26cmを履いてみたらそれでも問題なかったのでそれから26cmに切り替えたのではなかったかと思います。それでモウロクが始まった今、記憶の混乱が起きているのかもしれません。今後、このような思い違いはどんどん増えることでしょう。60代でこれですから70代、80代の人はどうしているのだろうかと思いました。
 とりあえず、<物>を少しずつ減らしていかなければと思います。カセットテープやビデオテープだけでも全部聴こうとすれば何年かかるかわかりません。実はこの作業、すでに始めていたのですが内容をチェックしたもので捨てることのできたものはありません。捨てられたのは、チェック中に切れたり、からまったりしたものだけです。テープの劣化が進んでいるようで、これは誤算でした。しかし、この誤算のおかげで少しは荷物が減りそうです。
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「魔の山」を読む

2016-06-19 08:30:46 | ぼやき・つぶやき・ひとりごと
 トーマス・マンの「魔の山」は40年くらいうちの本棚にあります。岩波文庫で全4冊。学生時代に古本屋の棚で見かけて買いました。何かで、北杜夫氏がトーマス・マンに惚れ込んでいるという話を聞いたのですが、聞き違いかもしれません。トーマス・マンという名前はそのとき初めて知りました。北杜夫氏の小説は読んでいなかったのですが、「どくとるマンボウ」で氏の名前だけは知っていました。そんな有名な人に影響を与えるトーマス・マンとはどんな人だろうと思っていたときに、たまたまこの本を見かけたのでした。帯には「マン中期の代表作であるこの大長編は、“ファウスト”、“ツアラツストラ”と並んでドイツが世界に送った偉大なる人生の書といえよう」と書かれています。そのころの私は人生をどう生きればいいかを模索していたので、これを読めば何かつかめるかも知れないと思いました。
 40年も前のことなのでよく覚えていませんが、長い説明が多く、ごく日常的な会話が延々と続くばかりで全くおもしろくありません。「サナトリウム」って何だろうと思いました。私にとっては異世界の話で、勝手が違うという印象でした。この先に何か意味のあることがあるのだろうかと思いました。言いたいことがあるならもっと手っ取り早く言ってくれという気分でいらいらしてきます。こんなペースにはとても付き合っていられないと思い、中断しました。
 その本を再び読み始めたのは去年です。きっかけは村上春樹著の「ノルウェーの森」を読んだことでした。ノーベル賞の発表が近づいてくるとよく村上春樹氏の名前が出て来ます。私は氏の作品を読んだことはありませんでしたが、ただ外国人がよく「村上春樹」の名前を口にすることは聞いていました。それで学校の図書館に行ったとき、村上春樹の作品を読んでみたいのだけれど…という話をすると、紹介してくれたのが「ノルウェーの森」でした。
 数ページ読んで気付きました。外国文学の翻訳を読んでいるみたいです。『な~るほど』と思いました。この人は英語かフランス語か、とにかく外国語で考えているなと思いました。それを翻訳する形で日本語にしているのではないかという気がします。それで外国人にとっては読みやすいのでしょう。
 1ヶ月間借りられるので2度読みました。おもしろかったからではありません。それまで自分の気付いていなかった世界のあることをこの小説で知ったからです。「心の病」というものがあることは知っていましたが、これまではそれを「外から見る形」で知っていただけだったということが分かりました。それを内側から眺めたら外の世界がどのように見えるかということは考えたこともありませんでした。そういうことだったのか思いました。
 この小説の中に、主人公が「魔の山」を読みふける場面が出て来ます。「魔の山」に関しては、私には<読みふける>などということは考えられませんでした。自転車で長く緩い坂道を漕ぎ上っているときのように次第に息切れがしてきて、いつ止めようかとそのタイミングばかりを探っている感じだったので、<読みふける>という表現に自分が何か大切な物を忘れてきたのではないかという気がしてきたのです。それで40年ぶりに「魔の山」を本棚から取り出しました。
 読み始めてすぐに40年前の気分を思い出しました。だいたい「魔」という文字が問題です。全部読んだ後ならどうしてこのようなタイトルを付けたかの意味もわかりますが、タイトルに引かれてこの本を手に取り読み始めた人にとっては、いつまで経っても「魔」の出てこないこの小説は「やってられない」という気分が募るばかりです。
 私は、4年ほど前から市の図書館を利用するようになりました。それまでは学校の図書館を利用していたので多少融通が利きます。市の図書館を利用するようになって「返却期限」というものの持つもう一つの意味を知るようになりました。その日になるとその本は家から消えることになるので、おもしろくなくても、よくわからなくても、とにかくその日までに隅から隅まで目を通すようになったのです。そのおかげでどんな本でも必ず読み通すようになったのですが、それでも今回は勝手が違いました。膨大な文字、それはまさに活字の海です。こんなにたくさんの言葉を使って語っているにも拘らず、私の心に響いてくるものはあまりありません。文章は文法的には成立していますが、その意味を、あえて立ち止まって解釈してみても、図式としては捉えられますが、それには実感が伴いません。気分は空虚になるばかりです。膨大な言葉の無駄遣い、そんな言葉が心の中を駆け巡ります。私も時間を無駄にしたくないという気持ちが募り、ついに2冊目の途中で本を開けなくなりました。

 今年の1月の半ばから浄化槽の工事が始まりました。そして2月に入りトイレが洋式になりました。私は洋式トイレは苦手です。これまでの人生の中で数回しか使ったことがありません。それで、使い方を知らない道具を渡された時のようにどうしていいかわかりませんでした。まだ残っている感じがしてすっきりしないのです。『仕方がない、出るまで待つか』ということで本を持ち込むことにしました。
 幸いにして今回の工事でトイレに不潔感はなくなりました。とはいえ、大切な本をトイレに持ち込むことはためらわれます。そこで候補に挙がったのが読みかけのままになっていた「魔の山」でした。
短い時間でも毎日読むことには意味があったのだと初めて知りました。というのは、以前、ある高校で1限目の授業の前に、10分間、「読書の時間」を作っていたのですが、そのとき私は、こんな短い時間で、ぶつ切りで読んでも…、と思ったのです。読書の習慣をつけさせるということだろうと思いましたが、そのときには「毎日」ということの威力に気付きませんでした。
 トイレ読書で「魔の山」は再び動き出しました。しかし、おもしろくはありません。喜びはただ一つ、ページが進んでいくことだけです。それなら止めたらいいようなものですが、最後までそうなのかは終わりまで目を通さなければわかりません。興味を引かれた箇所もいくつかはあります。主人公のハンス・カストルプが、死を間近に控えた患者のところに花を届けるという活動を始めたところもその一つです。一種異様な印象を受けました。確かに、青年期ならそういうことを思いつき、そこに意味を見出すこともありうることでしょう。作者のマンは、この出来事をハンスの精神的な成長過程に必要なことと考えて挟んだのか、それとも、ふと思いついて挟んだのか、もしこの場面がなければ小説あるいはハンス青年の色調が変化してしまうのか、そのあたりのことはわかりませんが、自分の青年期の「ふわふわした気分」を思い出しました。
 セテムブリーニ氏とナフタ氏の論争もそうです。両氏はありったけの用語を駆使して議論を展開します。ハンス青年は2人の論争を聞きながら時々口を挟みますが、私はそれを読みながら、工科大学を終えたばかりの青年に、怒涛のようにぶつかり合い、溢れ渦巻く言葉の流れが理解できるものだろうかと思いました。しかし、考えてみれば自分もそうだったかもしれません。難解なものが立派に見えて、そんな言葉を使いこなせるようになりたいと思ったときがあったのですから。今はそれが青年期なのかもしれないと思います。
 セテムブリーニ=ナフタ論争の結末は意外でした。これは私にもさすがにショックでした。だけど『なるほど』と納得できるものでもありました。そして、すぐにすべては第一次大戦に飲み込まれていって物語は終わり、私の「魔の山」も終わりました。
 読み終えて思いました。最初に読みかけた青年期では、たとえ最後まで読んだとしても、そのときの私にはこの小説を受け止めるだけの力はなかったでしょう。だから中断したのです。今も、この小説が、帯に書かれているような「偉大なる人生の書」であるかどうかわかりません。ただ、40年間、ちらちらと気になりながら、今、機会を得て読むことになったということには味があると思います。日記をみると、この本を読み終えたのは4月5日でした。そして、5月1日には「リンの話」を書き出しています。リンは私が最初に飼った犬の名前ですが、この話を書くということは自分の人生を整理する作業を始めることでもあるからです。これまで何度もやろうとしたのですが、書き出しても続けることができず、どれもが途中で止まってしまっています。それが動き出したということはようやく機が熟したということでしょう。自分が人生でお世話になった人や物の話が中心ですが、それを書くことで自ずと精神的な身辺整理ができていくのではないかと思います。
 トイレ読書は今、ドストエフスキーになりました。ドストエフスキーは十代の終わりから数年間に亘って読みました。「魔の山」同様、読めば何かつかめるのではないかと思って読んだのです。その頃は、人生には答があると思っていたようです。それを先に知りたいということだったのかもしれません。それが青年期というものなのでしょうか。昔、「薬」として読んだものが、今は「小説」として読めるようになりました。長く生きるということにはいいこともあるなと思います。
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イチゴの日

2016-05-23 07:01:26 | 畑の話
 4月30日、ついにイチゴを取って食べました。と言っても、たったの2個です。小さいけれど甘く、確かにイチゴの味がしました。『なるほど』と思いました。イチゴは人気のあるはずです。
 これまでずっとイチゴには抵抗がありました。それは、一つには「少女趣味」的なイメージがあること、二つには「商品化」され過ぎていること、三つ目は栽培時の管理が極まっていること、などです。私は、どちらかというと自然に近い放任栽培的なものが好きなので、それは一般的なイチゴ栽培の対極に当たります。とはいえ、イチゴのあの可愛らしさが気にならないはずはありませんでした。
 昨年の秋、イチゴとの関わりができました。LEDを使ってイチゴを周年栽培する植物工場を始める計画があり、その相談役をしてほしいというのです。これこそまさに私の対極中の対極、しかもイチゴです。当然断るべきところですが、断れない事情がありました。一応、問題が発生したときや、専門的、技術的なことでわからないところが出てきた場合の相談相手に、ということなのです。自分はその方面のことは知らないといっても農学部の出身なら調べればわかるだろうといって聞いてくれません。仕方なく「わかる範囲で」と返事をしたのですが、1週間くらいして「大変なことになった」と気付きました。プロジェクトが動き出してから「知らない」では済みません。春から打診があったのでその方面の資料には目を通していたのですが、現場で発生する問題をそんな付け焼刃で解決できるわけがないという思いがひしひしと迫ってきました。
 図書館に行くとかなりの専門書がありました。それを借りて毎日、早朝2時間の勉強です。LED、植物工場、光の特性と光合成、植物の生理学、水耕栽培、イチゴの栽培技術、等々、つまり、範囲は工学、理学、農学に亘ります。ノートを取りながら、学生時代にこれだけ勉強していればなあと思いました。3カ月くらいすると現在の最先端技術の全容がほぼ見えてきました。そのあたりから吸収した知識をもとに考えることができるようになりました。半年を過ぎるころには自然のしくみが見えだしました。それまで自分は「気持ち」を中心に考えていたなと思いました。
 秋にホームセンターでイチゴの苗を買いました。買いに行ったのではなく、たまたま行ったら売っていたのです。5本買って庭に1本、畑に4本植えました。これが10月25日です。育つのかなあと思いましたが、枯れたようになりながらも中心から小さな葉を覗かせたときには『なかなかやるなあ』という印象で、その後は霜が降りても雪が降ってもマイペースという様子を見ていると何となく力強ささえ感じるようになりました。多年生植物だというし、もしかするとかなり野性的な力をもっているかもしれないという気がしました。
 このイチゴに実がなるとは思っていませんでした。きちんと管理をすれば実もなるでしょうが、無肥料では期待する方が野暮です。それでも春先になり、葉の成長に勢いがついてくると『もしかすると』という気持ちにもなります。そんなとき花房が出て蕾がつきました。1月25日です。ところが2月4日の日誌には「蕾と思ったものは蕾ではないようだ」とあり、2月8日には「イチゴ、やはり花だった」となっています。これが「不時出蕾」か、と思いました。まだ虫もいないから実りはしないだろうが、花の咲くことは確認できました。
 咲いた花に実がつきだしたことに気付いたのは4月14日でした。薄緑色をした小さな小さな実で、これが本当に大きくなるのだろうかという感じです。何しろ無肥料ですから期待はしていませんでしたが、これは実りそうだと思いました。少し大きくなって赤みが差し始めると一日で色づきます。もう少し様子を見ようとそのままにしておいたら先の方をナメクジに食べられてしまいました。実を取って洗い、ナメクジに食べられたところを取り除くと甘い香りがします。かじってみると確かにイチゴの味でした。
 今回のことで赤くなったら夕方には取らないとナメクジにやられてしまうことがわかりました。つまり、熟すと来るわけで、ナメクジは匂いか何かでそれが分かるのでしょう。そして、4月30日、ついにまともなイチゴが2個、取れました。一つはすぐ食べました。甘く、爽やかで、香りもよく、ふくよかな気分になりました。もう一つはスケッチブックに絵を描いて色鉛筆で彩色しましたが、あの赤色はとても描き表せません。いくつもいくつも描いたのですが、不思議なことにどうもイチゴらしくないのです。こんな単純な形なのにどうして描けないのだろうと思いました。イチゴを見るとイチゴです。絵を見ると、形はそのままなのですが、イチゴではないのです。何だろう、これは。そんなことをしているうちにイチゴの美しい赤色が少しくすんで艶が落ちているのに気付きました。これはいかんと思い、すぐに食べたのですが、味は少し落ちていました。なるほど。それからはさっと描いて、すぐ食べるようにしています。
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「納豆汁」

2016-04-30 08:24:26 | ぼやき・つぶやき・ひとりごと
 納豆汁、確かに、こういうものは存在しますが、今回はそれとは違います。ようやく食べ終えて、ほっと吐息をついたところです。そもそもの始まりは去年、いや、もっと前かもしれません。数年前から時々「納豆」を作っていたのですが、突然、飽きがやって来たのです。
 なぜかは知りませんが、私は「手作り」のものに惹かれます。食品もその一つで、特に長い歴史を持つ発酵食品は自分でも作ります。ただ、できたものを試食するときには躊躇することがよくありますが、それは無理もないことです。色やにおいは食欲をそそるものではないし、それより食べても大丈夫かどうかが気にかかります。腹を壊すくらいなら大したことはありませんが、ひどいときには3日くらいの絶食は覚悟しなければなりません。犬がいたときにはとりあえず、犬が食べるかどうか様子を見るという手もありましたが、今はほんの少し自分で食べて様子を見るしかありません。
 数年前に稲わらの納豆菌で納豆を作ることを思い立ち、本を見て調べました。そのとき、まず、稲わらを煮沸することを知ったのです。『何だ、これは!』煮沸するということは100℃で沸騰するということです。それまで私は、煮沸すれば細菌は死ぬと思っていました。だから殺菌するときは煮沸するのでしょう。ところが、納豆菌は煮沸しても死なないというのです。納豆菌は高温になって環境が悪くなると胞子のカプセルを作り、そこに命の種を預けるのです。そのカプセルは100℃でも耐えられます。そして、環境が良くなるとその胞子が発芽して、ほかの微生物がいない環境で一気に増殖するのだそうです。
 『何という凄いやつ。そんなやつかこんな身近なところにいるとはなあ。』ただ、殺菌したいときはどうするのか。120℃で殺菌できるようですが、普通の圧力鍋ではとてもそんな温度にはできません。納豆菌が有害な微生物じゃなくて良かったと思いました。こんな相手を敵に回していたら人類も大変なことになっていたはずです。
 そんなわけで「稲わら納豆」はできました。ですが、市販の納豆と比べると、糸の引き方も弱く、味も特にいいとは思えませんでした。しかも、「手作り」という感動も日が経つにつれて次第に薄れてきます。そして、何度か作っては食べることを繰り返した後、弁当箱一杯くらいの納豆を作ったところでピタッと食べる気がしなくなりました。
 それから1年か2年くらい、その納豆は冷蔵庫の奥でじっとしていました。私もそれのあることすら忘れてしまうくらいで、ちらっと目に入ったとき「何とかしないと」と思うだけです。結局はずっとそのままで年月が経っていったのですが、弁当箱分の体積はかなり場所を取ります。それでついに今回それを処分することに決めました。
 「処分」という言葉は便利です。口にするのをためらうようなことをするときにはこの言葉が重宝するようです。同じことをするのに言葉の使い方で気持ちが楽になったりするのは不思議で、奇妙なことだと思いますが、責任感を希薄にする働きのあることは問題です。
 弁当箱のフタを開けると納豆は干からびてカラカラになっていました。カビは生えていません。さすがだなあと思いました。だけど、火は通したいので、油で炒めることにしました。それから味付けに塩と酒を加えると今度は納豆がどろどろになって味噌状化しました。考えてみれば納豆も味噌も原料は同じ大豆です。が、こちらの場合は強烈な臭いがあるので、これは後々尾を引くなと思いました。
 仕方がないので煮詰めて佃煮風にすることにしました。出来上がった納豆風味の佃煮、弁当箱一杯分。食べられないことはないのですが、塩分が多いので一度の食事で減る量は僅かです。これでは食べ終わるまでにどれだけかかるかわかりません。数日後、一気に解決するには汁か鍋にするしかないという結論になりました。そこで納豆汁となったわけですが、これがうまくないのです。いろいろな具を入れたのですが、特にワカメは良くなかった。温めるとだんだん溶け出して汁の泥沼化に貢献するばかりです。他の野菜や肉もそれぞれの味がばらばらで全体としてのまとまりがありません。しかし食べられないことはないだけに始末が悪い。しかも、火を通すたびにどろどろ度は上がっていきます。結局、量が減っていくことだけが喜びで、どうしてこんなことになってしまったのかと自問自答を繰り返すばかりです。食べ終えたときにはある種の達成感すらありました。
 今、納豆汁からは解放されました。しかし、このままでは納豆の顔に泥を塗っただけになってしまいます。少し休んで、また納豆を作るつもりです。何があっても「一休み」の効果は絶大ですから。
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体力調べ

2016-04-08 11:20:39 | 野山の雑記帳
 何年ぶりかで近くの山に登ってきました。30歳になった頃からよく登ってきた山です。今は家から車で10分くらいになりましたが、前の家からは車で30分以上かかります。初めてこの山に登った時は、夏で、登り口まで自転車で行きました。昔は体力があったんだなあと思います。国土地理院の地図を見ながら最後の山村まで行き、そこで村の人に登り口を尋ねると、そんな格好で登るのかと言われました。短パンにサンダル姿だったからですが、着替えは持っているというと安心したようで、丁寧に教えてくれました。そして、「マムシが多いから気をつけてな」と言われました。
 これは効きました。一瞬、止めようかと思いました。その頃はまだあまり低い山には慣れていなかったからでした。「登山」というと、一般的には、ある程度の高さのある山が対象で、普通は「登山道」があります。高い山は、それなりの危険はあるものの基本的には「安全」が確保できるように整備されています。ただし、それは「コースから離れなければ」の話ですが。
 それに比べると、低い山では意外に危険がいっぱいです。500~1000mくらいの山では特に注意が必要です。道があっても山仕事の道で、どこに行くのか分からないし、たいていは森になっていて見通しが利かないので、磁石を持っていても自分がどこにいるか確かめられないことが殆どです。道のないところを進むときには通ったところを覚えておかなければならないのですが、同じ地域の山の中にはそっくりな場所がかなり多く、よく騙されてしまうので、初めから迷うことは勘定に入れておかなければなりません。
 今回の山は730mくらいあり、30年くらい前に初めて登ったときには道はかなり荒れていました。それは単純に人があまり登らなかったからですが、15年くらい前、中腹あたりに林道が通り、そこから登れるようになったのでかなり登山者が増えました。といっても、それは新登り口から頂上までだけで、旧登り口からは誰も登らなくなったため荒れ放題の有様です。5,6年前に登った時には、夏場は、ここは登れないなと思いました。今回は体力を調べるためだったので、春先でもあり、下から登ることにしました。
 すごい荒れようでした。道はなくなっていました。少し登ると鹿避けネットが出て来ました。植林した木を守るためですが、これは10年くらい前に張られたものです。その向こう側は自然林だったのですが、伐採され、そこに植えた杉を鹿の食害から守るためにネットが張られたのです。その杉はかなり大きくなっていました。『この辺に樅の巨木があったはずだが』とネット沿いに登っていると先の方に茶色いものが見えました。どうもネットに絡まっているようです。動きません。死んでいるのか、弱っているのか。狐か、と思いましたが、そばまでいくと犬でした。死んでいました。首輪はないので野犬でしょう。あまりにも無残な姿だったので『帰りに外してやるから』と言って先に進みました。
 中腹の林道に着くと、上の方から話し声が聞こえてきました。新登り口の駐車場に車が一台止めてあったのでこれだなと思いました。すぐに若い女性二人が降りてきて、私の前まで来ると「あっ!」と言って立ち止まりました。「どこかで会ったかなあ」と私が言うと、3秒くらいして「間違いました!」と答えました。5,6年前、ここにあった「クマ出没、注意!」の看板はどうなったのか知らないか尋ねると、今日が初めてとのことでした。それは大きな立派な看板で、クマの絵が描いてありました。誰が設置したのかわかりません。役場にも尋ねたのですが、役場ではないとのことでした。ただ、一時、そのような噂が流れたことはあるそうです。
 頂上まで行き、時刻は遅かったのですが、少し先まで足を延ばしました。というのは、その先に「風の岩」と私が勝手に名付けた場所があったからです。岩の上に立つとヒヤッとするような場所ですが、なかなかいい所です。すぐに頂上まで引き返し、勢いがつかないように注意しながら下山しました。足を傷めるのは下りです。今日はそれを調べるために登ったのですが、案の定、途中で膝に痛みが出て来ました。やはり、無理はできないなと思いました。
 注意しながら下り、犬のところに着くとザックを降ろし、ナイフを出しました。よくこれだけ絡まったものだと思いました。網を切るのを最小限にとどめたいからですが、なかなか外れません。そうしているうちに死ぬ前の犬の気持ちが伝わってきました。どれだけ苦しんだことか。もがいて傷つき、流れた血が乾いてかさぶたになっています。最後は水が飲めずに死んだのでしょう。死臭がするし、死後1週間くらいではないかと思います。網はナイフで切ろうとしてもなかなか切れません。ようやく外すと地面に寝かせ、恨みを残すなよ、と言い聞かせました。そして、山を下り始めたら膝の痛みがまったく感じられません。私もかなり気が昂っていたようです。5,6年も登ってないこの山に、この1週間くらい急に登ってみようと思い始めたのですが、もしかすると、この犬が「外してくれ!」と言って私を呼んだのかもしれないというような気がしました。
 数m歩いたところで私は唖然として立ち止まりました。目の前には真っ黒になった樅の巨木がありました。根元から少し上の皮をチェーンソーでぐるっと一周切られています。こうすると木は養分の通り道を断ち切れ、枯れるのです。幹回りが大人二人では抱えられそうもない巨木に、それほど邪魔になっているとも思えないのに、こんなことすることはないだろうと思いました。悲しくなりました。この山を下りてきたときはいつもこの木に挨拶をしていたのです。登るときにはこの辺りで犬の方に目が行ったので気付かなかったのでしょう。この木もこんな自分の姿を見られたくはないでしょう。もうここに来るのは止めようと思いました。木のそばに行き、最後の挨拶を済ますと山を下りました。
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リフォームは大変だ!

2016-03-15 08:48:15 | ぼやき・つぶやき・ひとりごと
 今回のリフォームでは風呂とトイレがメインでした。それに伴って給湯器も電気からガスに替えます。給湯器にはそれまで井戸水を使っていたのですが、ガス給湯器の場合は水道水じゃないとだめだということで配管も新しくすることにしました。湯は台所でも使うので、つまり、水回り全部のやり替えになります。今後のことを考えれば、大変でも、今やっておくのが一番だと考えました。
 去年の11月からその打ち合わせが始まりました。まずは給湯器です。1ヶ月ほど前から電気給湯器に異変が出ていたのでこれを一番先にするのはよかったのですが、見積書を見ると「壁掛け型」となっていました。これは「据え置き型」の方がいいだろうと思いました。ガス給湯器を設置するには専用の配管が必要になるのでボンベを設置しているJAの担当者に来てもらって話を聞くと、給湯器は法律でプロパンガスのボンベから2m以上離さなくはいけないことになっているといいます。確かめて良かったと思いました。そのとき「壁掛け型」の話をすると、この壁では強度が足りないといいます。そこで納入業者にその話をすると、もう品物が来ていて返品できないというので、仕方なく補強をして設置することにしました。
 ガス給湯器からの配管を台所に入れようとしたとき、その位置に雨戸の戸袋があってうまく行きません。そこで、とりあえずこれまでの配管につないで使うことにしました。春になり暖かくなってから全部まとめてやり直そうということですが、本当にできるのか不安がありました。難しいものを先送りしても易しくなることはありませんから。
 12月2日、ユニットバスの納入業者と風呂の打ち合わせ。5日に風呂場解体。私は簡単なことだと思っていましたが、風呂場の床を破るのは1日がかりでした。いや、「1日でできた」というべきです。それは電動ハンマーを使ったからですが、兄貴は自分の家の風呂を破ったときには鏨(タガネ)とハンマーでやったので1週間かかったと言っていました。その経験から、今回は知り合いの会社で電動ハンマーを借りてきてくれたのでしたが、それでもコンクリートを割るのは大変です。こんなに硬いものとは知りませんでした。
 生まれて初めて電動ハンマーを使いました。ダダダダーッとやれば床はバリバリッと破れるものと思っていましたが、全然です。1時間もすると、もう重くて抱えていることすらできなくなりました。しかも、風呂場は一度リフォームしてあり、古い床の上にさらに新しい床が作ってありました。つまり、床が二重になっていたのです。一重でも大変なのに、もうトホホの気分です。機械を使えば何でも簡単にできると思ってしまう傾向がありますが、これ以来、道路工事でダダダダーッとアスファルトを破っているのを見ると大変だなあと思うようになりました。
 夜になって気付いたのですが、台所も居間もあらゆるものの上に砂埃が積もっていました。この日、家の中の各部屋の戸は開けたままにしていたのです。砂埃は2階にまで上がっていました。電動ハンマーを使うと粉塵が出ることを知らなかったのです。掃除機で吸うと目詰まりするし、雑巾で拭くと墨流しのように塗り付けたような状態になります。これでは床に磨き砂を撒いたようなもので、上を歩けば床は傷だらけになります。おかげで掃除も1日がかりになりました。
 庭には割った瓦礫が山積みになっています。こんなに出るのか、どうする、これ。結局、処分場を捜し、有料で廃棄しました。約200㎏ありました。処分場で話を聞くと、それは砕石業者に出し、粉砕して、また道路建設などの材料として使うそうです。それを聞いてほっとしたのですが、あとで、処分場は砕石業者に瓦礫を有料で出すのか、それとも有料で引き取ってもらうのかが気になりました。
 翌、6日、コンクリートで床作り。こんなにいるのかと思うほどセメントと砂と砂利がいります。それをスコップで練っては入れ、練っては入れで、またもやへとへとです。その晩、銭湯に行ってたっぷりの湯に浸かっていると、つい、だらだらしていたくなり、長い時間、泡のぶくぶくの中にいたら気分が悪くなってきました。これはいかんと思って上がったのですが、落ち着くまでには少々時間がかかりました。おまけに帰りの車を運転中には眠くなってくるし、何でもほどほどにしておかないといけないものだなと思いました。
 ガス給湯器に切り替えて一段落したと思ったのですが、すぐにあちこちおかしくなってきました。水が漏れ始めたのです。井戸水はポンプで汲み上げているのですが、ポンプの圧力は水道より弱(低)いのです。ガス給湯器に切り替えたときから、水圧が水道のものになりました。40年近く使ってきた配管は劣化していて、特に継ぎ目の部分の接着剤は効き目がなくなっていました。圧力が高くなると同時に水が漏れ出し、ついに栓が吹き飛ぶところが出て来ました。というのは、配管をやり替えるのにこれまでの配管がどうなっているか調べるために土を掘っていったのです。
 「何だ、こりゃ!」、姿を現した配管は蟻の巣か、プレーリードッグの地下通路のように入り組んで、まるで迷路のような状態です。どうしてこうなのか、実は、この家の前の持ち主は水道屋でした。それで必要に応じて、その都度、自分で付け加えたり、切ったり止めたりしていったのでしょう。迷路はその結果でした。どれがどうなっているか調べなければならないので配管は埋戻さず、そのままにしておきました。
 配管が劣化していても上に土の圧力がかかっている間は何とか保っていたのですが、土の重量による圧力がなくなったとたん、継ぎ目の部分がゆるみ始めたのだろうと思います。その上、朝には氷が張るようになってきていたので、昼と夜の温度差も災いしたのでしょう。おかしくなるたびに水道の元栓を止めては応急処置の繰り返しで、やはり、今、水回りの配管をやり直すという判断は正しかったことがわかりました。
 ユニットバスの出入り口は、設置するとき、洗面所の床の上に乗ることになります。そうなると、その部分はもう動かすことができません。そこで、その前に洗面所の床も張り替えることにしました。
 床をはがすと木組みの風呂に面した部分がかなり腐って土のようになっていました。洗面化粧台の後ろの配管の辺りの板も腐っていて、ここで水が漏れていたこともわかりました。これまで、水を使っていないのにポンプが回り出すということが日常的にあったので、どこかで水が漏れているなと思っていましたが、調べようがなかったのです。ホームセンターに材料を買いに行ってその日のうちに床を張り替えることができました。大きなムカデが2匹出てきて、ここに巣のあったこともわかりました。
 14日の夜、7時にユニットバスの納入業者が風呂の床の具合を確認に来ました。17日が設置予定です。洗面所に入るなり「あ~~~~~っ!」と叫べました。「低い、低い~~」と言いながら図面を出し、メジャーで測り出しました。『測るまでもない』という雰囲気ですが、どのくらいダメか、どう手を打てばいいかを考えているようでした。「5cm低い、5cm…。言い方が悪かったのかなあ」見ている私の方が気の毒になるような有り様でした。しかし、私は不思議でなりませんでした。打ち合わせのとき、兄貴と二人で図面を見ながら細かい寸法まで話をしていたのです。私は、当然、兄貴は全部わかっているものと思っていたので余計な口は挟まない方がいいと思い、二人の話を聞いていました。
 ユニットバスには6つの足があって、その6本の足で床に立つようになっています。
「足は高さの調節、できるんやろ?」「はい、できます」
横で、その会話を聞いていて不安な感じがしたのを覚えています。どうしてそんなことを聞くのかと思ったのです。ユニットバスのことを全部知っていたら聞くはずがないのです。そして、私の勘は的中しました。兄貴は、ユニットバスの足の長さが10cmくらいあるのを知っていたので、10cmくらいは調節できると思い込んでいたのです。それで、床のコンクリート面を図面の位置より5cm低くしたのです。ところが、足は10cmくらいあるものの、その調節範囲は±2cmだったのです。結局、厚さ5cmの煉瓦を足の下に置くことにしました。それだけではありません。6本足の着く位置も違っていました。私にはさっぱり訳が分からないのですが、兄貴は図面を見ながら何度も何度も確認していました。それなのにどうして10cm近くもずれるのか。足の立つ位置はきれいな平面になっていないときちんと煉瓦を置くこともできません。結局、その日のうちにセメントを練って足場の位置を大きく、広く盛り上げ、きちんとした平面にやり直すことになりました。
 「9時、9時、9時、…」私はそればかり考えながら一人で作業をしていました。風呂に入るためには9時に家を出なければなりません。7時過ぎに始めたセメント補修は3時間かかり、とうとう風呂には入れませんでした。この寒い時期に風呂に入れなかったらぐっすり眠れないじゃないかと悲しい気分になりました。仕方なく、いつものように少し純米酒を飲み、布団に入ると意外にもすぐに眠ってしまいました。
 朝になるといつもと何も変わりません。風呂に入らなくても疲れが残っているわけでもなさそうです。考えてみれば、子供の頃は風呂を毎日焚くということはなかったし、学生の頃は銭湯代がなくなることもありました。風呂に毎日入れるようになったのは風呂のある家に住むことができるようになってからで、20代後半からです。今回の一件で、風呂に毎日入れるということは、それだけですごいゼイタクなことなのだとわかりました。しかし、夜の待ち遠しいことといったらありません。夕方になると飛んで行って、誰もいない銭湯に浸かりながら、砂漠の民が日本の銭湯の溢れるような湯を見たらきっと腰を抜かすだろうと考えていました。
 17日! 7時半に業者到着、ついにユニットバスの組み立て・設置工事開始。みるみる作業は進み、午後3時半には作業終了。さすがに本職は違うなと思いました。今晩は風呂に入れると思っていたのですが、最後の説明で接着剤が乾いていないので明日からにしてほしいと言われ、最後の銭湯に行きました。
 今、風呂は快適です。風呂に浸かりながらよく考えます。私自身はかなりいい加減な人間ですが、その私が今回のリフォームの進捗過程を見ていて、こんな行き当たりばったりなやり方で風呂場は完成するのだろうかと思いました。ただ、だめならまたやり直せばいいだけで、銭湯に通う期間がさらに延びるだけのことですから、その腹積もりはしていました。大筋の計画はあっても、進むに従い次々に問題が発生し、行き違いがあったりして、どれを取っても、1日ずれたら大変面倒なことになることばかりです。それにも拘らず、すべてすれすれで解決して、何とか風呂場はできました。その風呂に浸かりながら思うことは、人生も、また、そんなものだな、ということです。
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銭湯めぐり

2016-02-05 12:52:57 | ぼやき・つぶやき・ひとりごと
 風呂を作り直すことになりました。それは水が出にくくなってきたからですが、その傾向はこの家に引っ越した時からありました。少し気にはなったものの使えないほどではなかったのでそのまま使うことにしたのです。ところが、蛇口から出る水は年々細くなってくるようで、やがて手を打たなくてはならなくなることは明らかでしたが、ただ、変化が4年をかけてゆるやかに起こっているので手を打つべき時期がなかなかつかめないのです。確かに、シャワーは初めから殆どシャワーの体をなしていないし、洗い場の蛇口の水もちょろちょろで、洗面器に水を溜めるのにも長い時間がかかります。浴槽の蛇口からはかなりの勢いで湯が出ましたが、ただ、水の方の勢いが弱いので、浴槽に湯を張るにも湯の勢いを抑えるしかありません。深夜電力利用の給湯器では温水は80℃なので、水が出ないと湯の勢いを抑えるしかないのです。
 4年前はもう少し勢いがあったと思うのですが、そんな状態ですからシャワーはずっと使っていませんでした。前の家もシャワーはなかったので気にならなかったのですが、去年の夏頃だったか、シャワーを出してみたら、すごい勢いで出たのです。これはいいと思ったのも束の間で、30秒後にはピタリと止まってしまいました。そこで、まずは、サーモ水栓を外し、分解してみましたが、どこも詰まってはいないようでした。ここでないということは配管を調べなくてはなりません。水栓の取り付け部を外すと管の口には赤い鉄さびが詰まっています。これを取ればいいだろうと思いましたが、カチカチでドライバーなどを使って奮闘しましたが、口のところは少し広げられたものの、その奥の直角に曲がった部分より先は手の打ちようがありません。その先は詰まっていないことを願うばかりです。器具を組み立てテストしましたが全く変化はありませんでした。しかし、一瞬とはいえ勢いよくシャワーが出たからには出る能力はあるはずです。その思いを捨て難く、考えられる限りのことを試しましたが結局はだめでした。一瞬とはいえ、どうして勢いよく出たのか、その理由は今もってわかりません。
 いずれにせよ、配管を替えるには壁を破らなければなりません。それなら風呂を作り直した方がいいだろうということになりました。どちらかというと嫌いだったのですが、時代の流れからユニットバスにすることにしました。
 兄の会社で安く仕入れられるということで、組み立て以外は自分でやることにしました。兄は自分の家のも自分でやっているので私は手伝いをするだけですが、かなり簡単に考えていました。最初に、今の風呂の天井を破ると聞いたときにはギョッとしました。そんなことして大丈夫なのかと思ったのです。換気扇を付けるので保守するためには天井はない方がいいというのです。私は、天井は鉄板を張ってあると思っていたので、それを破るくらいなら換気扇は要らないと思いました。ところがユニットバスは換気扇を取り付ける仕様になっているため、こちらには工場で穴を開けられたものが来るということが分かりました。納入業者に、穴を開けないでほしいというと、すでに発注してあるのでもう遅いといいます。そこでメーカーに連絡を取って確認してもらったところまだ大丈夫だということがわかりました。ところが、そのとき納入業者との話し合いの中で天井はプラスチックの板だということが分かり、たいていの家ではその隙間から水蒸気が漏れて木組みはボロボロになっているということを知ったのです。それで結局、天井を破り、換気扇も付けることにしたのですが、家に帰って天井に触ってみるとやはり鉄板ではないようでした。家が「軽量鉄骨」ということと、天井の色から私が勝手に薄い鉄板だと思い込んでいただけのことでした。
 工事中、風呂はなくなります。その間、どうするか。銭湯へ行くということになりますが、家の風呂に慣れている私には少し抵抗がありました。それに銭湯がどこにあるのかも知りません。そこで考えたのが、今の風呂の浴槽を庭に持って行って露天風呂を作るということでした。給湯器からホースで湯を引けばいいと簡単に考えていました。まだ11月の初めのことだったので、これで解決すると思ったのですが、それから気温はぐんぐん下がりはじめ、ついに初霜が降りました。これはだめだと私も悟りました。
 インターネットで銭湯を捜すと伊勢市内に6か所あり、小俣町に市の経営するものが一つあることがわかりました。車で20分くらいかかりますが仕方がありません。土日を利用して工事をするので風呂ができるまでに10日程かかります。いろいろ考えているうちに「銭湯めぐり」を思いつきました。こういうときでもなかったら銭湯に行くことはないわけだから、ある意味、これはいい機会です。それぞれの定休日を調べ、銭湯めぐりの計画を立てました。
 40年前のことを思い出して、洗面器に石鹸、タオルに着替えを持って行ったのですが、今はプラスチックの四角いカゴのような銭湯グッズがあり、私は何か場違いなところに来た気がしました。タイムマシンで40年をタイムスリップした気分です。意外にも銭湯はかなり混んでいて、家に風呂があるのにわざわざ銭湯に来ているようでした。以前は、家に風呂がないから銭湯に行ったのです。こういう変わり方もあるのかと思いました。確かに、浴槽には湯があふれています。泡もぶくぶく出ているし、ビリビリする浴槽もありました。漏電していると思ったのですが、実は電気風呂でした。
 湯船につかりながら浴場の様子を眺めていると昔とはずいぶん違うなと思いました。それは体形です。極端に肥満した人がかなり多いのです。これでは家の小さな風呂に入るのは苦しいでしょう。これが今の日本の姿かと思いました。背中一杯に入れ墨をした人もいました。今もこういう人はいるんですね。ということは彫士もいるわけで、経済的に成り立つのだろうかと思いました。また、ある銭湯では英語の説明書きがありました。外国人に銭湯のマナーを説明するためのものですが、その英文を読んでみると、通じるかどうか怪しいものもありました。だけど、これも国際化のあらわれでしょう。番台にいる人に、外国人は来るのか尋ねたところ、来ないとのことでした。仮に、来たとしても最初は銭湯を知っている人に連れてきてもらうだろうから、その人からマナーも教えてもらうことになるでしょう。実際、それが自然ですね。
 10日ほど銭湯に通い、銭湯が賑わっていることを知って嬉しく思いました。銭湯はさびれているものと思い込んでいたからです。確かに、多くの銭湯が廃業したことは事実ですが、今営業しているところは大丈夫なようで、今後も長く続けて行ってほしいと思います。銭湯は、これは日本の生活文化的遺産ですから、これからは私も時々銭湯に行こうと思います。
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コンニャクを作るぞ!

2015-12-17 10:42:49 | ぼやき・つぶやき・ひとりごと
 ついにコンニャクの刺身を食べました。40年以上前に「コンニャクの刺身」というものがあると聞いて以来、ずっと気になっていたのです。そのとき私はまだ十代の終わり頃で、聞いた印象としては気味悪さが先行し、食べてみたいとは思いませんでした。ただ、誰が考えたのか、「刺身」と「コンニャク」という異質な結び付きが妙に気になったことを覚えています。その後、何十年かして、時々「コンニャクの刺身」という言葉を耳にするようになりました。「コンニャクの刺身はうまいらしい」、「あれは絶品だ」、「フグ刺しみたい」等々…、それを聞くに及んで私の中で「コンニャクの刺身」についての捉え方が変化し出しました。もしかすると「掘り出し物」かもしれないという気分が醸成し始めたのです。
 10年ほど前に、市の広報でコンニャク作り体験会の記事を見つけました。そこにも「作りたてのコンニャクはうまい…」というような解説がついていて、すぐにも申し込もうと思ったのですが、予定の調節に数日かかってしまいました。市の広報部に電話したところすでに満員ということで最初のチャンスを逸することになってしまったのです。キャンセル待ちのリストに載せてもらったものの連絡はなく、ただ悔しさだけが残りました。
 4年前、ここに引っ越してきたとき近くの畑でコンニャクを掘り上げているところに行き会いました。そのとき掘り出した生子(きご、1年目の芽で植えれば将来コンニャク芋になる)をいくつかもらいました。翌年の春に半信半疑で植えたのですが、だめだったかと諦めた頃に地面からピンク色の槍のようなものが突き出してきたのです。やはりコンニャクは変わり者だなと思いました。3,4年後にはコンニャクが作れるかもしれないと思ったのですが、その時に消石灰(水酸化カルシウム)を混ぜるというし、そんなことして食べられるのかなあとあまり気乗りはしませんでした。でも、まあ、食べられるのは数年先のことだから、考えるのはまたそのときにすればいいと思いました。
 2年後の秋、コンニャク畑をイノシシに荒らされました。すぐそばにサツマイモと山芋をつくっていたので、そこが襲撃されたのですが、そのときコンニャク芋も掘り返されたのでした。これで終わりかと思ったのですが、今年の晩春、地面からピンク色の槍が突き出したのです。いくつかは土の中に残っていたのでした。秋になって、今年はコンニャクを作ってみようか、それともまだ早すぎるかと迷っていたとき、たまたま図書館に「植物工場」関連の資料を調べにいったのですが、そこで偶然「絶品 手作りコンニャク」という本を見つけたのです。何というタイミング!これはもう作るしかないと思いました。
 これは稲わらの灰を使うもので、いかにも手作りという感じです。熟読し手順をノートに書き出して準備をしました。まず稲わらが必要です。友人に電話をし、事情を話して稲わらを分けてもらうことになりました。ところが彼は話をよく聞いておらず、畑に野積みにしてある腐りかけの稲わらを軽トラックの荷台に積んで家に帰ってきたのです。すると、それを見た奥さんが、「コンニャクを作るのにそんな汚い稲わらを持って行ってどうすんの。」と言われてやっと気が付いたようで、納屋からきれいな稲わらを出し、うちに持ってきてくれました。せっかく積んだからといって汚い稲わらも置いていきました。こんな稲わら、どうしようかと思いましたが、たまたま別の件で役立つことになりました。
 畑のコンニャクの葉はまだ枯れ切っておらず、枯れて茎が倒れるまでの1週間を一日千秋の思いで待ちました。最初に枯れたコンニャク芋を一つ掘り出し、まずそれで実験です。河原へ行って一斗缶の中で稲わらを焼いて灰にしました。それに分量の水を加えて灰汁を作ります。ゴム手袋をしてコンニャク芋の皮を剥き、灰汁の中でおろし金を使ってすりおろします。それを半日靜置するとプリンのように固まりました。夜になってしまったので火を通すのは翌日にしました。一回目は小さな鍋で湯を沸かし、固まるかどうか実験します。本によると最初が難しいということなので慎重にやりました。温度計で測りながらプリン状の塊を一つ入れてみました。10分くらいしてうまく行ったかと思った直後、部分的に溶け出すように見えました。1時間以上加熱して、結果は、一部は溶けだしたものの何とかコンニャクらしきものになりました。それを水に晒して数時間、ようやく刺身作りにかかります。その本によると刺身にはへぎ(そぎ)作りと平作りと書いてあるので両方試してみることにしました。
 いよいよ試食です。頭の中を「コンニャクは絶品だ、うまいぞ、フグ刺しみたい…」の言葉が駆け巡ります。醤油をつけて一口目、何かよく分かりません。期待感が先行してうまいのか、それほどでもないのか、判断がつかないのです。しかし、確かに、魚の刺身の食感はあります。味は醤油の味なので「うまい」というべきなのか分からないのですが、二切れ、三切れと試すうちに、これが本当にコンニャクかという気持ちが強くなりました。考えてみれば、魚の刺身は筋肉で、筋肉もコンニャクも、物理化学的にはプリン状の「ゲル」という状態なので食感が似ていても不思議はないのです。それからは、うまい、うん、うまい、確かにうまい、まちがいない、これはうまい、うまいぞ!と一気に絶品街道を駆け上りました。
 次は大きな鍋を用意し、本茹でにかかります。数時間加熱を続けるので、これはガスを相当使います。コスト面からしょっちゅうするわけにはいかないことが分かりました。今月のガス代は跳ね上がっているかもしれません。「コンニャク祭り」として年中行事にするのが妥当なところでしょうか。
 作ったコンニャクを知り合いや職場に持っていきました。やはり好評でした。全部なくなってしまったので次を作ろうと畑に行ってコンニャク芋を掘り出すとどれもまだ小さく、来年用だなというものばかりです。もう一度食べたい気分はありましたが、案外、こういう終わり方がいいのかもしれません。どんなうまいものでもたらふく食べれば飽きが来るし、もう一口食べたいというところで終わるのが好印象を残すことになるのでしょう。ということで次の絶品コンニャクは来年までお預けです。
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栗、栗、栗

2015-10-26 10:46:20 | ぼやき・つぶやき・ひとりごと
 栗をもらいました。山でたくさん拾ったということでしたが、もらいにいくと大小いくつかのレジ袋に詰め込んでありました。2,3日の間は10粒くらいずつ鍋で茹でて食べていたのですが、袋の中を見るとおがくずのようなものが出ています。これはだめだ、虫が多すぎる、置いてはおけないと思い全部に火を通すことにしました。加工して調理するつもりだったので圧力鍋で茹でたのですが、これが大失敗。包丁で2つに切ってティースプーンで実をほじくり出すつもりでしたが、実の色が変わってしまい、虫や、虫の食った部分と見分けがつきにくくなってしまいました。
 栗の実が小さいことと、量も多く大きなバケツ一杯分くらいあったのでやってもやっても減りません。1時間くらい作業を続けると首が痛くなってきました。姿勢を考えながらやらなければいけないと思いましたが、1回に1時間半くらいが限度でした。翌日になると茹でた栗の表面がぬるぬるしてきました。これは急がないといけないと思いましたが作業は遅々として進みません。もうどうでもよくなってくる気持ちを抑えながら続けるしかありませんでした。
 途中で何度もやり方を変えました。最初は一つ切っては中身を取り出していたのですが、すぐにこれではだめだと思いました。それでまな板の上に10粒ほど並べて、それら全部を包丁で半分に切ってからスプーンで中身を取り出すようにしました。これでかなり効率は上がりましたがまだまだです。3日目には全部を処理するのは無理だと思いました。それで良さそうなものを選んで取り出すようにしましたが、一方で取り出した中身の方も次第に色が変わってきます。こちらも何とかしなければなりません。冷凍や冷蔵という手もあるのですが、量が多すぎて入りきりません。そうなると日持ちするような形に調理してしまうしかないのですが、それには糖分で細菌の増殖を抑える「餡(アン)」がいいかなと思い、一部を餡に炊いてみました。ところが残念ながらその味はあまりいいとはいえません。結局、ここにその餡をどうするかという新たな問題が生じてしまうことになりました。
 これは結局、ハンバーグのような形にしてオリーブオイルで焼いて食べましたが、これは、餡を炊くとき、失敗するかもしれないという迷いが生じ、砂糖の量を少な目にしたのが幸いしました。とはいうもののおいしいと言えるほどのものではなく毎朝のパン代わりの栗バーグは多少苦痛でもありました。が、食べ切ったときには、明日からは他のものが食べられるという幸福感がありました。
 栗の実を入れてパンに焼いたものはまずまずでした。水分が抜けきらないところがあり、パンとケーキの中間くらいの食感でしたが、かなり日持ちはするようでした。ケーキに入れて焼いたものもまあまあ食べられましたが、どちらも栗の使用量が少ないので栗の減らないところが問題です。乾煎りしたり、油で炒めたりして塩で味付けをしたものも作ってみましたが味はもう一つでした。
 結論としては圧力鍋で「蒸し」たら良かったのではないかと思います。量が多かったので「茹でる」ために圧力鍋が沸騰するまで温度を上げるのに時間のかかってしまったことが一番まずかったようです。いい経験になりました。
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栗がない

2015-09-27 10:37:40 | ぼやき・つぶやき・ひとりごと
 2年前に栗の木を植えました。つまり、今年で3年目です。これは買った苗木でした。その前の年にここに引っ越したのですが、そのとき庭に山栗の実を撒いておきました。特に植えたというのでもありません。ただ、秋に拾った山栗の食べ残った分で、春には食べられる状態ではありませんでした。しかし、栗の実は生きものなので、ゴミのように捨てる気にはなれないのです。それで仕方なく庭の土の上に撒くともなく撒き散らしておいたのですが、それはまだ生きる力が残っているものなら生かしてやりたいという気持ちからでした。だけど、芽を出すとは思っていませんでした。それが何と、次々芽を出したのです。
 庭のあちこちで緑の芽が空に向かって突き立ってきたときには本当に驚きました。それは、あちらこちらに栗を植えて回っている人に栗の発芽の苦心談を随分聞かされていたからでした。その人の方法は竹筒の中に土と枯葉を入れ、そこに栗を一粒入れて竹筒ごと土に埋めるというものでした。それは野ネズミの巣から発想したもので、栗の芽が出るまではネズミによる食害から栗の実を守り、発芽し根が伸びるときには竹筒が腐るから根は広がることができるということでした。私はそれを聞いたとき感心すると同時に栗の木はそう簡単には芽を出させることはできないと思い込んだのです。
 それがどうしてどうして、どれだけでも芽が出るではありませんか。何だ、これは。あの話は何だったのかと思いました。その栗の何本かは今、庭や畑で育っています。去年は初めて少しですが実をつけました。今年はまだイガが緑なのでもうすぐです。一方、買ってきた栗の木は一足先に実を落としました。山栗に比べて実はかなり大きくうまそうです。その実の落ちるのを楽しみにしていましたが、イガが弾けたのを見て実を拾いに行くと実がありません。辺りには茶色いイガが落ちているばかりです。畑は家のすぐ横で周りには防獣ネットがしてあるのでイノシシは来ていません。ネズミの仕業ではないかと思います。油断でした。この大きな栗の実で、結局、今年食べられたのは落ちる前の緑のイガから取った2粒だけでした。
 山には山栗がたくさん生えています。今年もたくさん拾いましたが、イノシシと分け合っています。夜の間にイノシシは栗の実を拾って食べます。昼の間に落ちた栗は夕方私が歩いて拾います。この関係がいいような気がしてきて、畑や庭に栗の木を植えることはないかなと思い始めました。栗の木は大きくなるし、そうなると手に負えなくなる可能性があります。どうしたものか。思案中です。
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