遊去のブログ

ギター&朗読の活動紹介でしたが、現在休止中。今は徒然草化しています。

カレイの煮つけ

2018-01-29 08:49:20 | ぼやき・つぶやき・ひとりごと
 初めてカレイを買いました。「マガレイ、宮城産、調理済み」とあり、2つに切られていました。魚を買うとき、普段、私は小アジかイワシしか買いません。それは包丁を使わずに調理できるからですが、もう一つの理由は「骨」を気にしなくてもいいからです。そう、私は骨が苦手なのです。子供の頃からそうでした。それで煮魚が嫌いになったのですが、すると今度はその匂いまで嫌になりました。
 小学校からの帰り道、家の近くまで来てその匂いがするとその途端に憂鬱になります。今日は煮魚かと分かるからでした。箸の使い方が下手なのでうまく骨を選り分けられません。皿の上では崩れた身がぐじゃぐじゃになって食欲はさらになくなります。後年、魚が好きだという人の皿を見たことがありますが、そこには骨だけになった魚がありました。この魚は初めからこうだったのではないかと思いたくなるほどです。どうしてこんなにきれいに食べられるのか、今でも不思議です。
 中学生になって海釣りに夢中になりました。釣った魚は持ち帰ります。そしてその魚は自分で調理して食べなければならないというのが家の掟でした。生きていたものが死んで、それを調理して食べる、そこには何となく生々しい感覚がありますが、夏に海で魚を突いて、浜で焼いて食べるときにはそのような感覚はありませんでした。野生気分の程度によるのでしょうか。
 冬場はカレイでした。たまに大物も釣れましたがたいていは手のひらサイズです。それをどうやって食べていたのか、記憶はないのですが、スーパーでカレイを見たとき子供の頃のことを思い出しました。いつもなら素通りするところがその日はどうも気になります。迷っていると、前にTVの料理番組で、魚は少量の煮汁で落し蓋をすると言っていたのを思い出し、それを試してみたくなって買うことにしました。
 調理を始めると「少量」が気になります。どのくらいの量なのかわかりませんが、醤油と酒に水を加えてカレイの下半分が浸かるくらいの量にしてみました。調味液を煮立たせてから魚を入れ、アルミ箔を落し蓋の代わりにして加熱しました。上半分が心配だったので時々スプーンで煮汁をかけました。
 皿に取り出し、濃い煮汁を少しかけると何となくいい予感がしました。考えてみればこれだけ意識して調理することはあまりありません。やはり「意識を向ける」ということが何事にも大切なんだなと思いました。
 長く生きてきたせいか、箸の使い方も上達していました。まずまずきれいに食べられたと思います。身の下から次第に現れてくるカレイの骨格を見ているとその見事さに感心せずにはいられません。スケッチを取りたくなります。この魚もつい最近まで海の中で泳いでいたことを思うと心苦しくなりますが、これも生き物の宿命なら、できるだけきれいに食べて、残りは庭の土に埋め、自然に帰すことで一段落とするしかないでしょう。
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ふたご座流星群

2017-12-20 08:53:25 | ぼやき・つぶやき・ひとりごと
 12月13日、夜のラジオニュースで深夜に流星群が見られると報じていました。少し疲れていたことと、一仕事片付いたこともあって、その日は早目に酒が飲みたくなっていました。10時頃には飲む準備ができたのですが、流星群のピークは0時頃だと言います。酒を飲んでしまうとそれまで起きているのは難しくなります。いつもなら純米酒を飲みながら日記を書いたり本を読んだりする時間です。10分くらいは我慢しましたが、少しだけということで飲み始めてしまいました。11時頃にはもう眠くて起きていられなくなってきたので、1時間前だが少しくらいは見られるだろうと思って外に出ました。
 薄い雲が流れていましたが、その雲間に見える星空はとてもきれいで、洗われたような空とでも言いたいほどでした。だけど寒い、さすがに12月。オリオンが冴えます。ベテルギウス、シリウス、プロキオンの三角形。そこから少し離れてカストル、ボルックスのふたご座です。流れるかなとふたご座の方を眺めていると目の隅の南の空に光の筋が走りました。おうし座、おひつじ座の辺りです。ふたご座とはかなり離れています。どうしてこんなに離れているのかなと思いましたが、とにかく寒い。6個数えて家に入りました。

 随分前のことですが、しし座流星群が話題になったことがあります。それまで流星群というのを見たことがなかったのでこの機会に見てみようと思いました。暗いところの方がいいと思ったので山地に入ったあたりの川の堤防の上に陣取りました。立って空を見上げているとすぐに首が痛くなります。それで地面にマットを敷き寝転んで見ることにしました。しかし、時期が11月の終わり頃なので相当冷え込みます。それで寝袋を用意しました。これなら数時間は大丈夫です。だけど露が降りるからと考えて寝袋の上にブルーシートを被せました。そしてすぐ横には熱いココアを入れたポットを用意して準備万端。
 すぐに星が流れ始めました。「流星雨」というだけあって空一面に流星が降ります。ココアを飲みながら空を眺めているとだんだん眠くなってきました。寝袋に入っているとはいえ眠ることは想定していません。眠ってしまったら外に出ている頭部は露でびちゃびちゃになるだろうし、ブルーシートを頭まで被れば一応は大丈夫だろうとは思いましたが、この状況は怪しすぎます。明るくなって散歩にやって来た人がブルーシートをめくったら腰を抜かすでしょう。人家からは離れているとはいえ、ここは夜中のうちに適当に切上げた方がいいと思いました。
 夏にも流星群を見たことがあります。このときは農道の真ん中に寝転んで見ていました。尺八を一本持って、家から歩いて、できるだけ暗いところを探しました。ここらでいいだろうと場所を決めると寝転んだまま尺八を吹き始めました。星空には流星が走ります。それを見ながら吹く尺八の音は真夜中の田んぼを怪しく渡っていきます。これはいいと思いながら20分ほど経ったころでした。突然、口の中に嫌な味がしたのです。その瞬間にすべてを悟りました。尺八の中で凝結した息が水滴となって、いつもなら筒先に落ちるところが、寝転んでいるので吹き口の方に戻ってきたのです。今度はウクレレにしようと思いました。
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里芋の季節

2017-11-20 06:59:52 | ぼやき・つぶやき・ひとりごと
 里芋というと「芋煮」、芋煮といえば「親睦会」を連想します。ジャガイモもサツマイモも収穫の喜びや歳時記的な楽しみはあっても「親睦」のイメージはありません。これには、ジャガイモやサツマイモが比較的新しい時代に導入された栽培種で、馴染みが薄いということもあるでしょう。そこに行くと里芋は縄文時代には日本に入ってきているようです。そして何と言っても「鍋」との結びつきが親睦に一役買っています。一つ鍋のものをつついて食べるということです。また、健康には里芋のネバネバがいいようですが、ジャガイモにもサツマイモにもそれはありません。
 この里芋に、うちの畑は占領されかけています。元は私が植えたものですが、里芋は掘り上げたとき畑に小さな芋が残ってしまうとそれらは5月頃に小さなかわいい芽を出します。また、里芋は掘り上げるとだんだん味が落ちるので食べる分だけ掘り上げます。そうすれば春までおいしく食べられます。上の茎は冬に枯れてしまうので、そうなると里芋がどこにあるのか分からなくなり、多くがそのままになってしまいます。その結果、数年後には畑は里芋だらけになってしまうのです。
 この里芋は以前の小さな畑から持ってきたものなので20年ほどになりますが、調理するのが手間なのでそれほど頻繁には食べませんでした。どちらかというと<郷愁>を味わっていたようなところがあります。やはり何と言っても「芋煮」の持つ語感はノスタルジー全開です。そこで作ってみるのですが、なぜかそれほどの味わいを出すことができません。それで、皮を剥くまでの準備がめんどうなこともあり、食べることも少なくなった結果、畑の里芋は増えていきました。
 何とかしなければと思い、里芋を食べる工夫をしました。皮を剥く作業は圧力鍋で蒸すことによって手で直接剥けるようになりました。里芋を洗うときも台所用の手袋ではなく作業用の厚い手袋を使うことで解決しました。そうして圧力鍋一杯分ずつ調理していたら次第に食欲がなくなってきてしまいました。味は悪くないのですが見るのも嫌な気分です。それでも食べなければ畑は里芋に占領されてしまいます。これは一種の戦いだと思っても気が進みません。拒絶反応ではないか、拒絶反応ならきっと訳があるはずです。あまり無理に食べない方がいいかもしれないと思いました。
 一年経っても里芋に対する気分は脳の深いところに残っているようでした。それで今度は料理を工夫することにしました。里芋をだし汁で煮るだけでは芸がありません。今年になってから、あることがきっかけで毎日一食カレーを食べるようになりました。夏の間はジャガイモを使いますが冬場になるとジャガイモはなくなります。それで代わりに里芋を使ってみました。うまいかどうかは微妙なところですが、たくさん入れ過ぎなければ食材としては使えそうです。「煮っ転がし」は煮汁がなくなるまで加熱すると思っていたのですがそれでは芋がどろどろになってしまい、うまくいきません。調べてみると、最初は「水を入れずに」、醤油と砂糖で煮るということを知り、目から鱗が落ちました。水を入れずに醤油を加熱したら焦げ付いてとんでもないことになるだろうと思っていたのです。「60にして耳順う」とはよく言ったもので、この歳になって他人の話をよく聞くようになりました。まだまだ工夫の余地がありそうです。
 里芋を食べ始めて気付いたのですが、子供の時、里芋はそれほど食べていなかったのではないかと思いました。里芋がおいしかったという記憶はあるのですが、それは食べる頻度が低かったからかもしれません。「芋煮」も人が集まったときにするもので毎日食べる料理ではありません。煮しめも正月三が日です。こう考えてみると里芋の食べ方には伝承的な要素が背景に垣間見られそうな気がしてきました。
 実は、このところ、縄文時代の人々は里芋をどうやって食べていたのだろうかと考えています。稲作が伝わる以前は里芋が主食の一つだったのではないかと思います。里芋は生では食べられないから皮が付いたまま葉にくるんで火に放り込み、蒸し焼きにしたかのではないかと想像しています。最初の栽培植物と言われる里芋は、縄文、あるいはそれ以前の時代の人々の常食だとするときっとそれなりの食べ方があったのではないかと思うのです。
 古代の人の暮らしに心が惹かれる理由はわかりませんが、私が作る<話>は少しずつ時代を遡っていくことに気付きました。そして今、縄文時代に踏み込んでいます。数年前からそこでピタッと止まってしまいました。その時代の人々の交わす会話の話題がわからないのです。気質もわかりません。当然、言葉もわかりません。しかも縄文時代は一万年も続いているのです。そのどこに入り込むかによっても状況は変わってくるでしょう。その突破口として「里芋」を考えています。使いたい音は既に頭にあります。できるかどうかはまだわかりませんが、気持ちとしてはネアンデルタール人まで行きたいのです。こうなるともう病気だなと思いますが、その半ばで人生が終わるなら、それもなかなかいいなと思います。
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ウナギ

2017-10-14 08:16:53 | 野山の雑記帳
 投網の第一投。夜の川面に広がります。錘の鎖が鈍い銀色に光って花火のようにきれいに落ちました。一呼吸おいて投網の引き綱にショックがありました。これまでにもこの感じは何度かありましたが、今回は程度が違います。私はヘッドライトを点けました。青白い光の輪の中に巨大なウナギが2つ折りになり、頭のところに尾の先が来て、白い腹を外に向けるようにして歪んだ輪ゴムのような形になって動いていました。その状態で30cm以上はあるから全長は60~70cmくらいはありそうに見えました。太さも単一の乾電池くらいはあるでしょう。ライトの中で白い腹が上を向いたり下を向いたりしてぐるぐる回転しながら動いていました。そして網にぶつかると引き綱にどしんとショックが来るのでした。
 こんな大きなウナギを見るのは初めてでした。そのせいもあって掴むのをためらいました。一つにはこれを取ったら捌かねばなりません。ウナギやアナゴを捌くときのやり方は、調理しているところを目の前で見てよく知っていますが、自分ではしたことがありません。まず、最初の目打ちで躓きます。これができないのです。
 投網を打つ場所の少し下流に淵があります。そこはウナギの釣り場で、話を聞くとよく釣れるそうです。それを知っていてもそこで釣りをしないのは釣ったウナギの後の調理が理由でした。生きて暴れるウナギにする最初の目打ち。未だにこの決心がつかないのです。
 目の前のウナギを眺めながら私はためらい続けました。ウナギの血には毒があるから調理する時にアレルギーが出るかもしれない。それに軍手は右手にしかしていないので右手で掴んだ後に持ち替えができない。(軍手をしていない左手ではぬるぬる滑って掴めない。)そうなると右手でウナギを掴んだまま網ごと持ち上げて岸まで戻るしかないが、水から出たウナギには網が絡まってぐじゃぐじゃになりそうだ。それを外したところで入れ物がない。小さな網の魚籠よりウナギの方が大きいことは明らかだ。10分ほど思案にくれた結果、こんな大きなウナギは川にいた方がいいという気もして網の錘の鎖を上げ、逃がしてやりました。
 翌日網を調べるとあちこちに粘液が付いています。網の目には菱形に白い粘液のこびり付いているところがたくさんありました。ウナギが鼻を突っ込んだ跡でしょう。パニック状態のウナギの気持ちが感じられました。これで良かったのだと思いました。だけどこの次には取るべきだなと思いました。

 この日は音作りに苦しみました。そして気付きました。自分はフレーズに合う音、きれいな音を探している。これではだめだ。ここでは文章で表しにくいもの、文で書くとしつこくなるものを表現するために音を探っているのだから、それが何かということをはっきり掴まなければいけない。つまり取り組み方の方向性が間違っていたのです。
 5年ほど前から取り組んでいる話があるのですが、「キツネ塚」というタイトルで話自体は去年何とかこれでいいというところまで仕上げました。ところが音作りがまったく進みません。話を書いているとき、多少の音のイメージは持っているのですが、それを具体化するのは大仕事です。いろいろ当ててみるのですが『違う、違う』の繰り返しです。それで1年くらい中断していたのですが、そろそろ何とかしようと思い、この一カ月くらい音を探っていました。そして、この日、このことに気付いたのでした。
 実は、この中断期間中、ずっと和声学の勉強をやり直していたのです。音が作れないのは知識不足のためだと思ったからでした。もちろん知識は必要ですが、この流れは、合う音、合わない音、おもしろい音等々を探すことになり、コンピューターで自動作成するのと同じ方向性を持っています。音はできますが、それが自分の求めていたものに合致することは稀なのです。だからできなかったのかということにこの日やっと気付いたというわけでした。どうしていいか分からなくなり自分の欲しいイメージがどんなものだったのか探り続けてこの日は終わりました。
 翌朝5時に目が覚めました。そのとき頭の中で音が鳴っていました。奇妙な音形ですが、これはいいかもれしないと思いました。そのままフトンの中で音を探り、それから起きて、実際に小さく音を出してみました。これなら行けそうだと思いました。これで「できる」と確信しました。
 その日、楽譜に書きながら思いました。こんな音を思い付くとは如何にも奇妙だ。もしかすると、あのウナギのせいかもしれない。きっとあのウナギは川の主で、私が助けてやったと勘違いして御礼にこの音を教えてくれたのだろう。こうなると今昔物語の世界だが、こちらの方が心は豊かになるなと思いました。
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ゆかたでお参り

2017-09-07 08:35:29 | ぼやき・つぶやき・ひとりごと
 正式名称は「伊勢神宮 外宮さん ゆかたで千人お参り」です。八朔、つまり、8月1日のことですが、この日に伊勢神宮の外宮に浴衣でお参りをしましょう、というイベントです。
 私はこの地区で育ちました。外宮は「げく(う)さん」と呼びました。ちなみに内宮は「ないくさん」です。「さん」を付けて呼んでいたことに改めて気付いた次第です。そういう親しみ方をしていたということでしょう。小学生のときには外宮の山は遊び場でした。何もなかったけど隠れ家を作って遊びました。居場所を作るというのは人間の本能かもしれません。今は柵が設置されて中には入れませんが、以前はそんなものはありませんでした。だけど、山に入っていいということではありません。それで「エシ(衛士)が来たぞ!」と誰かが叫ぶと死にもの狂いで逃げたものです。「エシ」がどういうものかも知らないのにエシが来たら逃げることになっていたのです。

 このイベントは今回で20周年を迎えたそうです。そんなに前からやっていたのかとそれを聞いて驚きました。私が子供の頃には神宮はそれほど賑わいがあるようには見えませんでした。外宮界隈は内宮よりもさびれている感じがあり旅館街などのたたずまいも「昔の賑わい」を思わせるものでした。
 内宮の近くには平成5年(ということは24年前か)に「おかげ横丁」ができて賑わいが復活しました。それに比べて外宮は「静かな神宮」という印象でしたが、数年前から外宮界隈も賑やかになり始めました。そして、式年遷宮に合わせて「せんぐう館」が開設され、子供の頃から馴染んでいた「まがたま池」周辺の様子も一変しました。
 この日は、まがたま池の中にある舞台で奉納演奏がありました。夕刻から合唱・ウクレレ・バイオリン演奏と続きます。私は合唱の関係者からこの日のイベントのことを聞いていたのですが、そのとき「浴衣」を着ていなくてもいいということを初めて知りました。信じられませんでした。それで渡されたリーフレットを丹念に調べると「※雨天決行。洋服でもお参りいただけます」の一文がありました。それで行くことにしたのですが、この日は仕事で夕方まで出掛けていることになっていました。家に帰っていると合唱の時間に間に合わないので仕事先から直接外宮へ向かいました。
 外宮に入ると「君が代」の独唱が聞こえてきて、ちょうど始まったところでした。観覧席はせんぐう館に隣接する位置にあり、長椅子と屋根がありました。しかし、池の中の奉納舞台に屋根はありません。夕刻とはいえ、8月1日です。5時過ぎの太陽はまだ高く、浴衣姿の少年少女合唱団に斜めから照りつけていました。これは厳しいなあと思いました。みんな汗びっしょりでしょう。
 合唱の後は次の舞台まで1時間くらい空きがあってので、外宮前の特設「味の屋台村」でアナゴ丼を買って食べました。外で食べるアナゴ丼には懐かしさがありました。ちょっと祭りの気分になりました。
 7時からの奉納演奏はウクレレでした。演奏者は11歳の小学生。昨年のハワイ国際ウクレレコンテスト(13歳以下ソロの部)で優勝したそうです。
 このところ私はウクレレが気に入っていて昼寝のあと、座ったまま、横にあるウクレレを手に取って爪弾きます。メロディーに所々コードを付けて弾くと、シンプルなその音が実に心地よいのです。ギターでは味わえない素朴さがあります。それで今回の舞台もそういうものが聞けるかなと楽しみにしていたのですが、演奏はトレモロから始まりました。
 楽器に限らず、何にせよ、物事の始まりはシンプルであったはずですが、発展過程で次第に複雑化し、技巧の追及に向かいます。そして超絶技巧に、聴くのも弾くのも疲れ果てて、何をやっているのか分からなくなったとき、再び出発点のシンプルな響きが耳に止まるようになるのではないかと思います。
 今回のウクレレも技巧的な編曲が殆どでしたが、途中で「カエルの歌」が演奏されました。自分で編曲したそうです。ここでカエルの歌というのには違和感があったのですが、やはり小学生なのかなと思いました。もしかすると、単純な曲なので編曲の練習に使っていたのかもしれません。
 続くバイオリン演奏は、一人なので、当然すべて無伴奏でした。闇の池を背景に演奏されるイザイの無伴奏曲には鬼気迫るものがありました。神様もこれはいったい何だろうと思って聴いているのではないかと思いました。バッハや日本の曲も織り交ぜていましたが、夜の池の中の奉納舞台では湿気がひどいだろうし、蚊もたくさんいるだろうからこの条件はつらいなと思いました。
 神宮の表参道入口には「竹あかり」という工芸作品に明かりが灯っていました。アジア風でありながら現代的で、こういう仕事をしている人もいるんだなと思いました。外宮前の広場では伊勢音頭を踊っていました。身の振りにも指先まで洗練されたところがあり、かつての伊勢参りの歓楽街が舞台であったことを思わせるものがありました。「見せる」踊りとしての名残りが感じられ、自分には田舎の素朴な「祝う」タイプの踊りの方が合うなと思いました。
 そこを離れると、暗くなったところには「障子行灯」の明かりが並んでいて、それには俳句が書かれていました。一つひとつ読みながら歩いていくと夏祭りの名残りを味わうような気分になりました。夏はこれから本番に入るというときなのに、秋口に行われる昔の田舎の祭りを思い出しました。
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夜の川原

2017-08-07 17:12:39 | 野山の雑記帳
 投網を使い始めて5年になります。40年前にも投網を買ったことがあるのですが、川で使うことは一度もありませんでした。買うときには、投げれば網は開くものだと思っていたのですが、小学校の運動場で試してみると全く開きません。錘がまとまったまま飛んでいくだけでした。投網には「投げ方」があったのです。それはそうだなと納得はしたものの、投げ方を知っている人はなく、その投網が開くことはありませんでした。
 川で魚を取るには遊漁券を買うか、漁協の組合員にならなければなりません。こちらに引っ越して1年目は組合員になる方法が分からず、川で泳いで夏を過ごしました。以前より水質は落ちていますが、まだたくさん生き物がいます。鮎もたくさんいるので来年は組合員になろうと思いました。
 役場で聞くとそれには漁業組合に行かないといけないと教えてくれました。事務所の場所も教えてくれたのでそこに行くとそれぞれの地区に担当者がいるのでそちらに行くように言われました。迷路のような集落の中の道を自転車で辿って担当者の家を探し出し、手続きを済ませました。
 古い投網を使おうとすると持っただけで破れました。網が劣化していたのです。そこでインターネットで探すと3000円くらいで見つかりました。これはいくらなんでも安すぎると思いましたが、投げ方の練習用にと考えて買いました。網が届くと、安いだけあって、投網に付けるヒモがありません。そこで古い投網のヒモを外して付けました。とりあえずこれで形は整ったわけです。
 図書館で投網の本を探し、投げ方を頭に入れました。鮎の解禁日が過ぎたのでさっそく川原に行きました。水中メガネで見ると川の中は鮎だらけです。これなら取り放題だなと思いながら網を投げました。ところが網は開かず、爆弾のようにドボンと一塊になって水に落ちました。やっぱりだめかと思っていると、網の落ちたあたりに白い腹を上にして魚が二匹浮かんでいました。どうも錘の直撃を受けたようでした。網が開けばなあと思いながらいろいろ試しましたが、S字になったり、細長い楕円になったり、半分が塊のままだったりで、少し開くようになるまでに一夏かかりました。
 翌年は、網は何とか開くようになったものの鮎は取れません。網に入った鮎も石に掛かった網の隙間に潜り込むようにして逃げていきます。少し流れが強いところには大きな鮎がたくさんいるのですが、そういうところには投網は使えません。投網が使えるのは浅くて流れの弱いところです。そういうところの鮎は小さく、網の目を抜けていきます。次の年もそのまた次の年も殆ど取れませんでした。投網も破れて、直しはするものの、手に負えなくなり、迷いましたが、ここで止めたら何も得られないので新しい網を買いました。今度は1万5千円、釣り道具屋で買いました。
 去年の解禁日には夜明けに投網を打ちました。その日は5,6匹取れました。しかし、やはり昼間は取れません。今年も昼間は取れません。そこで意を決して、日暮れに川に行きました。というのは、川原に行くには河畔林を通り抜けねばなりません。そこにはイノシシがいるのです。昼間でも出会ったことがあります。すごい勢いで逃げていきました。マムシもいます。暗い中ではよく見えません。そういうわけでこれまでは明るいうちに川から上がるようにしていたのです。
 投網は夜の方がいいことは最初から知っていました。まずは薄暗くなるまでにしようと思いました。日暮れになると鮎が跳ね始めます。それでどの辺りにたくさんいるかが分かります。薄暗くなると鮎が網に掛かるようになりました。それは暗くなると網の糸が見えにくくなるからのようでした。それからは日が暮れてから川に行くようになりました。夜の川で投網を打つと昼間には掛からないものが掛かります。ゴリ(ハゼの仲間)や川エビ、カニまで掛かりますが、鮎以外は逃がしてやります。
 夜の川原は神秘的です。これもいいものだなと思いました。昼間にはない落ち着きがあります。何千年も前からこうだったのかなあという気がします。鮎取りも、一回食べる分だけ取ったら川から上がることにしよう、それがいいと思いました。
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菓子博への道

2017-06-29 09:12:09 | ぼやき・つぶやき・ひとりごと
 「菓子博」のような人の集まるところへは何か事情でもない限り行きません。基本的に「並んで待つ」ということが嫌いなのです。だけど、今回は近くでもあることだし、たまにはそういうところを見ておくのもいいかなと思いました。それで「決行日」を連休明けの5月11日(木)としました。金・土・日は混むだろうとの予測からでした。
 それほど行きたいという気持ちがないので出発時間がずるずる遅れ始めます。昼を食べたらすぐに出かけるつもりだったのに2時を過ぎてしまいました。『明日にしようかな』という方向に傾く気持ちを抑えて出発します。伊勢自動車を走りながら菓子博会場を見下ろすと駐車場はガラ空きでした。これならここに止めればいいと思ったのですが、自動車道から二見へ降りたことがなかったのでその道を確かめておきたいという気持ちもあってそのまま走り過ぎました。二見への案内板を見て自動車道を降り、ぐるぐる回っているうちに覚えのある街道に出ました。ほっとしてシャトルバスの発着所まで行き、車を止めようとすると、驚いたことに、広大な駐車場が満車なのです。とりあえず、少しはみ出した場所に車を止めてシャトルバスの乗り場に行くとそこには長い列ができています。あと10分でバスは来るということでしたが、正規の場所に車を止めてないことが気になって自分の車で行くことにしました。
 街道を逆戻りして自動車道に入り、菓子博会場のところで下に降りようとすると警備員に止められました。そこからはバスやタクシーのような車しか降りられなかったのです。『そうだろうな』と思いました。ここからは入れれば話があまりにもうま過ぎます。自動車道をそのまま走り「菓子博駐車場」の案内板を見て道を降りました。そこからは延々車の列が続いていました。まるで蟻の行列です。その行列はゆっくりと駐車場に近付いて行きますが、その間に時間はどんどん過ぎていきます。駐車場に車を止められても、会場までにはそこから歩いて20分くらいかかると聞いていたのでこれでは見る時間がなくなってしまうと思いました。孫子の言葉を思い出しました。「彼を知らずして己を知らざれば、戦うごとに必ず敗る」それで駐車場の入り口直前で車を反転させて帰ってきました。
 『作戦を立て直して、明日もう一度チャレンジしよう』と思いながら帰途につきました。途中に以前から気になっている場所がありました。そこは広い花畑が作ってあってその辺りにはあちらこちらに等身大の人形が置いてあるのです。車で走りながら見ていると「人間」に見えます。ずっと気になってはいたものの車を止めてまで見る気はしなかったのですが、今回は時間ができたので菓子博の代わりに見る気になりました。
 花畑の横の広場に車を止めると、そこにもたくさんの人形が立っていました。「相撲取り」までいて、作っている人たちの心持ちが伝わってきました。そのとき車が一台入って来ました。そして窓を開けるとここに車を止めていいかと聞きました。私も来たときそこにいた人に同じことを聞きました。一見してそのための駐車場であることはわかるのですが、人がいれば尋ねたくなるようです。
 花畑の脇に三脚を立てて望遠レンズを付けたカメラをセットしている人がいました。花の写真を撮っているのだろうと思ったのですが、話を聞いてみると「ヒバリ」を撮っていると言います。時々、上空からヒバリが降りてきて花の上に止まるのだそうです。それを狙っているということでした。その一瞬を何時間も待っているようです。何かやるにはそのくらいの根気と根性がいるのだなあと、自分の物事への取り組みの甘さを痛感しました。今日はこれで良かったのだと思いました。
 その晩、インターネットで菓子博の情報を調べました。すぐに状況はつかめました。このくらいのことは行く前に調べておくべきだったなと反省しました。翌日は午前中から出かけ、二見の駐車場に車を止め、シャトルバスで会場に向かいました。きちんと小銭も用意していたので気持ちに余裕がありました。バスに乗るのは何年ぶりでしょうか。シャトルバスは初めてでしたが、乗ってみると普通のバスと同じでした。バスからの景色は旅行気分にしてくれます。やがてバスは、警備員に止められた昨日の関所を難なく過ぎ、会場に入って行きました。バスを降りるとすぐに帰りのバス乗り場と発車時刻を確認しました。それから中央ゲートの横でチケットを買い、会場に入りました。すぐ前にたくさんの人が並んでいたのでここからだなと思い、私も並びました。そのことは覚悟していたので読み物を持ってきていました。少しずつ歩きながら本を読んでいると、周りの人は見ているものが違うことに気付きました。「待つ」ときに本を読むというのは既に過去の風習になってしまったようでした。時代は変わったな思いながら待つこと45分、入口まで来るとそこで係員に買い物カゴを渡されました。『何、これ?』という気持ち。そこは全国のお菓子が買える館だったのです。おそらく「買いたいお菓子があれば買えますよ」ということで、帰る前に立ち寄る場所なのでしょう。すぐに出るとチケットを買うときに渡された会場案内図を見ました。肝心なところでミスをしています。
 今度はきちんと確かめてテーマ館に向かいます。中に入ると柿や魚などの食材の模造品が展示されていました。高校や専門学校の生徒が作ったということでしたが私は意味が分からず、どうしてこんな模造品が置いてあるのだろうと不思議に思いました。あとで「お菓子の匠工芸館」を見ているときに、途中で気付きました。もしかするとこれらは食材で作ってあるのかもしれない。近くにいた人に尋ねると「そうだ」と言います。「工芸菓子」というそうです。それまで松の木や鳥や盆栽のようなものがずらりと展示されていて「お菓子」はどこにあるのかと思っていたのです。
 テーマ館にあった高校生の作品も「お伊勢参り」の様子を描いた大きな作品も全部食材を使って作られていたのでした。お菓子の匠工芸館の緻密な作品を見ながら、「しかし、味はどうなのかなあ」と思いました。造形の技術はすごいものですが、食材で作るということは一種の「遊び」だと思います。デコレーションの延長でしょう。そういうことなら、これは「和菓子」を作る遊び心あたりがちょうどいいのではないかと思いました。ここまで来ると「形を作る」ことが目的になり、「食材を使う」ということはその条件になって「味」のことは消えてしまっているのではないかと思いました。食べ物はやはり「食べる」ということで完結するのではないかと思います。これらの「作品」を最後に食べるのかどうかは確認していませんが。
 人の海の中を漂って一日を過ごし、へとへとになりました。人の少なくなった会場では大道芸人がショーをしていました。これだけの芸を身に付けるには並大抵の練習では済まないでしょう。「うまくなりたい」というのは素朴な願いでしょうが、それは次第に「認められる」ことを望むようになり、やがて「頂点」を目指します。何事においてもそのような傾向はありますが、どうしてなのでしょう。こういうことに大して意味のないことに気付くのは「膨大な投資」をした後になります。多かれ少なかれ、人生とはそういうものだと思いますが、その黄昏時に再び原点に戻り、したかったことをして楽しめるのも「投資」によって磨いた技術があってのことなので、案外うまくできているのかもしれないと思います。
 帰り道でまた昨日の花畑の前を通りました。夕暮れ時の人形たちは花畑の脇でその日の出来事を語り合っているように見えました。子供の頃のゆったりと流れる時間の感覚を思い出しました。その頃の記憶が今も心に残っているのはとても幸せなことだと思いました。人形たちもかつて夢中になった日のことを振り返っているのかもしれません。
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「おじさん」

2017-06-04 11:30:24 | ぼやき・つぶやき・ひとりごと
 伊勢での「菓子博」開催中のことです。会場周辺は車が多く、駐車場も遠いのでシャトルバスを利用した方が便利だと聞きました。シャトルバスの案内板は市内のあちらこちらに立っています。二見からのものがいいと聞いたのですが、市内への入口に当たる宮川堤にもシャトルバスの発着所はありました。私にはここが便利なのでその前を通った時に駐車場の入口の脇に車を止め、警備員に尋ねました。
 警備員は若い男女2人で、シャトルバスの案内板の横に立っています。私が「菓子博の会場へ行けますか?」と聞くと「み~んな、そう聞く。どうして?」と女性の警備員が案内板を指差しながら言いました。歳の頃は20歳を少し過ぎたくらいでしょうか。見るとそこには案内板いっぱいに大きな字で「このシャトルバスは菓子博会場には行きません」と書いてあり、「行きません」の部分は赤字になっていました。
 「なるほど」と思いました。車を運転しながらちらっと見ると青字で書かれている「シャトルバス」「菓子博会場」の文字だけが一塊になって目に飛び込んできて赤字の部分は弾かれてしまうようです。その女性警備員は朝から何度も何度もしているらしい説明をまた繰り返してくれました。
 ここからのシャトルバスは外宮前までしか行かないこと。そこからバスを乗り換えて内宮まで行き、そこで菓子博行きのシャトルバスに乗り換えると説明してくれました。私が、それなら二見からの方が良さそうだなというと、「二見?シャトルバス、あったかな?」と言いながら考えていましたが、「あった、あった!」言うと、そちらの方が便利だと教えてくれました。会場の様子を聞くと人が多くて並んでばかりでなかなか見られないとのことでした。5月の連休の前でしたが、連休後の平日の方がいい、しかも雨の日がいいということでした。「今日は仕事の仲間が会場に警備に行っているので様子を教えてあげてもいいけどオジサンの連絡先、知らないしなぁ。」
 オジサン? 私のことでした。これが外で「オジサン」呼ばれた初めての体験でした。自分の目には相手の姿が映っているので、つい、自分も相手と同じくらい年齢の気分になってしまうのです。そうか、俺はオジサンか。そういえば先日、役場から「健康手帳」なるものが届きました。添付書類には65歳以上の高齢者に届けるとの旨が記されていました。そうだ、そうなんだなぁ、自覚しなければいけない、とは思うものの、まだ受け入れる心構えができていないような気がします。
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「お茶会」

2017-04-30 07:57:01 | ぼやき・つぶやき・ひとりごと
 ある美術館で「桜」の写真展に合わせたセレモニーとして「お茶会」がありました。その後にはコンサートがあります。私はそちらを聴きたかったのですが、料金が「お茶会・演奏会セット」となっているのでお茶会の方にも出ることになりました。
 私は「セレモニー」というものが苦手です。こういうものはできるだけ避けて生きてきました。セレモニーでは決まった「手順」があり、その手順をよどみなくこなすことを期待されています。私は自分が、その意義を感じることのできない行為を行うことに抵抗を感じます。人がやるように真似をしてやれば済んでしまうことなのに、どういうわけかその前で立ち止まってしまうのです。実際には自分の番が回ってきたときには適当に流すしかないのですが、それで良かったのかどうか、どうしてこんなことをするのか…等々、後味の悪さが残ります。
 「抹茶」に初めて出会ったのは中学生の時でした。文化祭のときに「お茶会」のチケットをもらったのです。おそらくそういうサークルがあったのでしょう。「和菓子が出るよ」という言葉に釣られて友達とその部屋の前まで行くと入口には先に来た人が並んでいました。そこに「お茶」を終えた同級生が部屋から出て来ました。そして私に「お茶は苦いぞ!苦い、苦い!」と言い残して去って行きました。その一言は効きました。その言葉で私は動揺し、ためらい始めました。部屋の入口まではあと数人並んでいます。あそこを入ったらもう戻れないぞという気分が高まって入口の直前でついにUターンしてしまい、後には「和菓子」への未練が残ることになりました。
 今は家で時々お茶を点てています。その理由は簡単で、点てたお茶の「さ緑」色が好きだからです。あるとき、と言っても、父がまだ存命中で、30年も前のことですが、簡単なお茶の道具を持って父の隠居所に行ったことがあります。父は若い頃に「花」を長くやっていて、それに合わせて「お茶」も習っていたことがあるのです。それを知っていたのでお茶を点てたら喜ぶかなと思ったわけなのですが、途中でお茶用の和菓子屋へ立ち寄ってぎょっとしました。値段が倍くらいするのです。確かに、そこに並んでいる和菓子は食べてしまうのが惜しいような美しいものでした。怯む気持ちを抑えていくつか買うと、父の家に行き、茶を点てました。座卓の上に茶碗を置くと、父は胡坐をかいたまま茶碗を取ろうとしたので、正座した方がいいのではないかと私が言うと「そうか」と言って座り直しました。そしてお茶を飲もうとしたので「お菓子が先やろ」とまた私が言いました。父は「そうか」と言って茶碗を置くとお菓子を一口食べました。それから茶碗に手を伸ばしたので「お茶はお菓子を全部食べてからじゃないの?」と聞くと「そうかなあ」と言いながらお茶を一口飲みました。それから茶碗を置くとお菓子の残りを食べかけたので『やはりこれも有りなのかなあ』と思いました。
 実は私もそうなのです。外では聞きかじりの作法の知識に合わせますが、家ではお菓子を食べたり、お茶を飲んだりしながら楽しんでいます。実際、お菓子を食べればお茶が飲みたくなるし、お茶を飲めばお菓子が食べたくなるのです。初めは自由に楽しんでいたものに次第に形ができ「作法」としてまとめられていったのでしょう。
 今回は写真展の会場にパイプ椅子が並べられ、四面の壁に桜の写真のパネルがぐるりと展示されていました。そして最前列の椅子の前に3人掛けの折り畳み机が2つ置いてあり、そこでお茶を頂くようになっていました。お茶は正面の壁際で点てていて、そのお茶を着物姿の女性が机のところまで運ぶ形です。
 私が席に着いて机の上に引換券を置くとすぐに着物姿の女性が桜餅を運んできました。歳の頃は60前後か、そして桜餅を私の前に置くと「先にお菓子を食べてください」といいながら引換券を手に取って下がっていきました。
 そのとき目に留まったのはその女性の指先でした。爪に強烈な色のマニキュアが塗られていたのです。それから少ししてお茶が運ばれてきましたが、それが差し出されたときにも目についたのは爪先でした。お茶を飲み終えて私が茶碗を見ていると茶碗を引き取りに来たその女性は「○○です」と言いました。私が茶碗を置くと両手(?)を伸ばしてそれを引き取り、下がっていきました。着物よりも茶碗よりも爪先のマニキュアが私の目に残りました。
 私は以前から、「お茶」をする人たちがそのセレモニーの中にどのような楽しみを見い出しているのか気になっていました。それで「お茶」をする人に出会うとそれを聞きたいと思うのですが、不躾に「どこがおもしろいの?」とは聞けません。それで遠回しに尋ねてきたものの未だ要領を得た返答に出会ったことがありません。
 ずっと以前のことですが、クラシックギターコンサートのチラシを配っているとき、ある女性に「どんな服を着ていったらいいの」と聞かれたことがあります。そういうところに行ったことのない人はまずその服装から不安になるようです。逆にいうと、そういうときでもなかったら着る機会のない服もあるということです。つい最近、真珠のネックレスを見る機会がありました。ずらりと並んだ商品の横にある値段表を見て目を瞬きました。落ち着いて「0」の数を数えると6個あります。100~200万円でした。それまでこういう装飾品の値段を知らなかったのでその時にはこんな高価なものを身に付けていたら不安にならないかと思いました。今考えると、それらはそれなりの機会に身に付けるものなのでしょう。やはりパーティーのようなものでもないと箪笥の肥やしになってしまうことになります。
 華やかな着物も日常生活で着る機会はありません。茶席もその機会の一つかも知れないなと思いました。今回は「桜」と関連しての彩りかも知れませんが、華やかな着物の袖と茶碗を繋ぐ手の指先は桜色の爪がいいと思いました。いずれにせよ、私には、雑草の生えた庭や畑に小さなゴザを敷いて茶菓子を食べながら楽しむ「お茶」が合っているようです。
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客演します。

2017-04-02 08:28:51 | コンサートの御案内
◆伊勢市クラシックギターを楽しむ会第68回例会
「ギターと語りと…」          
4月23日(日)14:00~15:30   
伊勢市福祉健康センター1F 日常生活訓練室
演奏者;遊去(客演/ギターと語り)、広垣 進(ギター)
演目;谷川の小さな川原のコンサート(遊去/ギターと朗読)
   「リュート組曲第3番」より前奏曲(バッハ)
   埴生の宿(ビショップ)
   花(滝廉太郎~広垣 進編)…etc.
参加費800円 *共通前売券(700円)が使えます。
※会員は無料! … 会場設営、受付等お願いします …
⇒ 一部を「いせ市民活動センター災害復興支援プロジェクト」に寄託
主催;伊勢市クラシックギターを楽しむ会  
   http://blog.goo.ne.jp/ise-guitar
後援;広垣 進ギター教室  
【問】広垣 進 090-5618-4463 sh72j@yahoo.co.jp
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 今回の演目の「谷川の小さな川原のコンサート」は実話に基づいた話で、蛙が出て来ます。この出来事は2002年6月に「山のコンサート」というタイトルで「遊去の部屋」に載せました。だからこの出来事自体はそれ以前ということになります。一昨年の夏にギター朗読用の作品として作り直したのですが、音楽の方がどうも気に入らず、そのまま寝かせてありました。
 今回、広垣進氏から客演の依頼を受け、何をやろうかと考えていたところ、この話を作ったことを思い出しました。久しぶりに見てみたら前に行き詰ったところはすぐに解決してしまいました。「寝かせる」ことにも意味のあることを実感しました。
 この作品が約30分、その前後に何曲か合わせて全体で45分くらいになり、コンサートの前半を受け持ちます。後半は広垣進氏の演奏です。
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