■□大学生活な私□■

「独りであること、未熟であること、
これが私の二十歳の原点である。」

二十一歳の原点を探すブログです。

『世界は村上春樹をどう読むか』

2006-10-28 | 時事問題的な
久々の更新が、こんな話題。
卒業論文真っ最中です。

今、私が卒業論文で扱っている問題をまさに
「どまんなか」な本が出版されました。

これ
http://d.hatena.ne.jp/japanfoundation/20061016/p1


毎日最近は卒論で頭がいっぱい。
最近読んでいる本は
これ

小森陽一は『<ゆらぎ>の日本文学』で二年生の時に非常に感銘を受けた人。
オイディプスやフロイトを持ち出した精読から、日置先生にアドバイスを頂いた、
古典と村上春樹のつながりを考えてみる。

卒論のテーマは、まさに今日の題。
初めて村上春樹を読んだのは高校生の時。
『スプートニクの恋人』
だった。
確か、すごく読みにくいな、と感じて、すぐに閉じてしまった記憶がある。

短大に入って中島みゆきをやろう、
と思ったら気が付いたら二年間で一番勉強したのは村上春樹だった。
村上春樹の研究者である
栗坪良樹先生(『村上春樹スタディース』の編集者、お酒を飲み交わしたこともある)
今井清人先生、小林正明先生、日置俊次先生、
などこんなに沢山の研究者に直接教えてもらえる大学生って、
なかなかいないんじゃないかなぁ。

という訳で、私はいつのまにか
「村上春樹」
を研究対象として意識するようになっていたのだけれど、

「なんで、こんなよくわからない本が受けるんだろう」

という素朴な疑問を持っている、のだ。今でも。
それが、海外でも受けて、カフカ賞も受賞して、ノーベル文学賞の候補だとうわさされて、
まさに
「!?」
としか言いようが無い。

確かに、『羊をめぐる冒険』『ねじまき鳥クロニクル』
などから感じられる彼のストーリーテラーとしての力はものすごい。
でも、夏目漱石や村上龍らと彼はかけ離れている、といえるだろう。
しかし、今までの日本文学になかったものを持ってるから、
こんなにも世界で読まれているのではないか。
国境を越えて響くものがあるのではないか。

今、その問いに対する答えを卒業論文で考えている途中。

ヒントは
・デタッチメントとコミットメント(ここの問題を大きく扱う。)
・映画と古典(普遍性)

その問いって、今の文学のあり方や文学研究の姿勢にも繋がることで、
今は常に自分の心や行動に
「?」
を投げかけている。

この問いについては、また今度。