Yuko & Hide のマルタ日記

Hの引退を機に新しい人生を出発するにあたり、歴史・文化そして人々の生き様に触れるべく、ヨーロッパ行きを決心しました。

送別会

2008-09-21 00:07:23 | Weblog
9月22日(月) 18日木曜日、ゴルフクラブ・女性メンバーの試合があり、皆さんと一緒にプレーできる最後の日となった。いつもより参加者が多く、終わってからも皆パブに残っているので、どうしたのだろうと思っていたら、私の送別会のために残ってくださっているのだった。大きなチョコレート・ケーキが用意してあったので皆で食べ、寄せ書きをもらった。

1年足らずだったけれど毎週木曜日の朝9:30に集合して、組み合わせやゲームの種類を決めて一緒にプレーするのはとても楽しみだった。

この日の試合は3部門に分かれて結果が出る。3番目のハンディ36のグループ、8人の参加者の内、私が一番良かったので£6ゲット!クラブ内のショップで買物が出来るので、ドライヴィング・レインジのボール代に使った。

ゴルフ場で二人の韓国人男性の知り合いに会ったら「お宅のご主人はイギリス人にとても溶け込んでいますねぇ」と言ってくださった。マルタにいる頃のHideは、英語が聞き取れないので、とりあえず何でも「Yes」と答えていたようで「Yes の Hide」と言われていたらしい。3年経ってもう帰ろうという頃になって、やっと少し落ち着いて周りが見えるようになり、聞こえるようになったようだ。

19日(金)には、サボってばかりいた英会話教室に顔を出して挨拶した後、ヨーク大学へ。最初のコースの時からずっと一緒で仲良くしていた韓国人の若い友達二人と一緒に、先生や事務の方たちの所へお別れの挨拶に行った。二人は大学院に進み最後の課題である卒論を提出。韓国に帰ったら引き続き小学校で教える。済州島と東京での再会を約束した。

20(土)は夕方からイタリア人の友達サラが、英語の先生でもあり友達のS、日本人のAさんと送別会をしてくれた。21(日)はお昼から日本人の友人達と会い、夜はWさん宅で夕食をご馳走していただき、日本での再会を約束した。

ヨークでも、たくさんの素敵な友達や先生達のお蔭で楽しい経験ができ、思い残すことなく十分楽しんだ。

3年2ヶ月のマルタとヨークでの生活。長いようであっという間だった。あちこち旅行も楽しんだけれど、なんと言っても人と人との触れ合いが一番忘れられない貴重な宝物となった。


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自分たちの記録の為と、家族や友人たちへ近況を知らせる為に簡単なブログを書き始めましたのに、思いがけずたくさんの皆さんに読んでいただいたお陰で、何とか最後まで続けることができましたことを、心から感謝いたします。

帰国しましたら、もう少し感想などを書き加えたいと思っております。










アイルランド旅行 2

2008-09-15 04:53:15 | Weblog
  ドン・エンガスの断崖

9月16日(火) 2日目 市内見学 シティー・ホールの後、トリニティー・カレッジへ。図書館にある、アイルランド最高の宝と言われている9世紀頃の、装飾が施された文字で書かれた4つの福音書=「ケルズ書」が保管されている。Hideは興味を持ったようでじっくり見ていたが、私はさっと見ただけ。図書館の2階はロング・ルームと呼ばれる部屋に図書館の中でも最も古い蔵書が収められている。
その後、聖パトリック大聖堂を見学。

午後からはホテルの部屋で簡単な昼食をすませHideだけギネス・ビール醸造所へ。

私は読みかけの本を読み終わった。日本語版「君の為なら千回でも」と同じ著者の「A Thousand Splendid Suns」(Khaled Hosseini)。アフガニスタンの女性二人が主人公。物語途中からグングン引き込まれて一気に読んだ。滞在中、テレビでタリバンがアメリカ軍の基地に攻撃を仕掛ける所を女性記者が取材した番組を放映していた。

3日目 ツアー・バスで’タラの丘’ーー 「紀元前200年ごろからアイルランドに移入してきたケルト人が瞬く間に先住民族を駆逐し、大小の国を形成した。やがて王の中の王タラを中心に緩やかな連合国家を形成した・・・・。移民で世界各地に散ったアイルランド人にとって「タラに帰る」と言う言葉は「アイリッシュとしての心・望郷」という意味がある・・・と地球の歩き方には書いてあったが、ツアーに同行していたアイリッシュ系のアメリカ人に聞いて見たが頷いていた。

その後、ニューグレンジに行く。5000年以上前の巨石古墳(ピラミッドよりも少し古い)。渦巻き模様や一年に1回(冬至に)入口から内部に光が入り込むような設計になっている所はマルタの巨石神殿と同じだ。ガイドブックにも「ヨーロッパ各地の同時代の巨石の遺跡に共通している所もあり、ヨーロッパ南部から移住してきた人々が住んでいたと考えられている」とある。

4日目 アラン島へ。ダブリンから電車で3時間のゴールウェイGalwayへ(途中の車窓風景はほとんど平地でイングランド南部とよく似ていた)。そこからバスで小さな空港まで行き、飛行機で10分位。10人乗りの小さな飛行機に初めて乗ってちょっと怖かった。辺鄙な所なのに日本人の観光客が多かった。

一番の見所は'ドン・エンガス’という断崖に建てられた半円形の古代遺跡要塞と海面から約90mの断崖絶壁。

行きの電車でガイドからアメリカのケネディ・レーガン・クリントン各大統領、オバマ大統領候補の母親そしてマッケイン大統領候補がアイリッシュであることを聞いたが、アメリカでアイリッシュの人口が多いとはいえ、有名な政治家が多い。

5日目 午前中、国立考古学・歴史博物館とアイルランド国立美術館へ。午後からは、バーナード・ショーの生家へ。

アイルランド旅行 1

2008-09-15 03:46:08 | Weblog
9月16日(火) 8日(月)から13日(土)までアイルランドに行って来た。帰国前の最後の旅行。マンチェスターからダブリンまで1時間。空港でのパスポート・チェックはチェック・インの時と飛行機に乗り込む時だけだった(マンチェスターに帰ってきた時にもノーチェックだった)。

ダブリンで5泊。アイルランド音楽(中年過ぎの男性が中心で歌も入る)をやるパブに毎晩くり出して食事をし(イギリスのレストランやパブよりも食事がおいしかった)、色々なビール(名物のギネスも飲んだが余り好きになれなかった)を飲んだ。
初日は宿泊したテンプル・バーのホテルでアイリッシュ音楽とアイリッシュ・ダンスを見た。ここはシティー・センターの中心にあり観光名所にもなっているようだった。

音楽をやるパブは観光客が多く、最後の日はアメリカ人とダブリン在住の6人グループの楽しい人たちと、一緒にダンスを踊った。ダブリン人の英語が全然分からなかった。酔っていたからだろうか、ほどけた毛糸のようにずるずると延びた英語だった。

ファッション・ショーが終わって打ち上げに来たという女性5人グループは、10センチもありそうなハイ・ヒールを履いて「立ちづめで足が痛くて座りたかった~」と言いつつも、丁度音楽の小休止中だったのに腰をふり踊りながらお酒を注文に行く人もいて実に楽しい人たちだった。

シティーセンターの路上で20才台位の若い乞食をよく見かけた。他のヨーロッパ各国と異なり目立った。アイルランドは現在結構豊かな国だと思われるが東欧等からの移民だろうか。

今年8月のアイルランドは、50年ぶりに雨ばかり降って最悪の天気だったそうだ。二日目は一日中雨だったが、それ以降は曇り時々晴れで何とか大丈夫だった。


日本からのお客様

2008-09-08 17:28:40 | Weblog
9月8日(月) ロンドンの語学学校で2週間の英語研修にいらっしゃったK子さんが、2泊3日でヨークまで訪ねて来てくださった。K子さんとは初対面。共通の友人達のお友達で、同い年。よく話題に上っていたので全然初対面のような感じがしなかった(ご主人様とHideとは同じ会社の同期)。

ヨーク到着の金曜日には大雨だったので車で市内を見て回った。天気予報では土曜日も午後から雨だったので、午前中ムーアのへザーが見頃だろうと行ってみた。最盛期を過ぎたのか、これからなのかよくわからない。キャンピング・カーで来ていたご夫婦に聞くと、1,2週間後だろうとの事。色々おしゃべりしているうちに、キャンピング・カーの中でお茶でも如何ですか?と言ってくださったので、持参していたK子さん手土産の和菓子で一緒にお茶をした。

車は£16,000(1200万円位)だったそう。2年間で走行した距離はHideが1年半で走行した距離よりはるかに少なかった。あちこち走り回らず一箇所でのんびり過ごす彼等の旅の仕方が垣間見えたような気がした。

午後、一旦家に戻ってから二人でシティー・センターに行き、ヨーク・ミンスター等など見学。
日曜日の午前中は天気予報では雨だったが、雨が降らなければゴルフをしましょうといっていたが、当日は最初は曇っていたのに段々晴天になってまぶしいくらい。9ホールだけだったけれどゴルフもできて喜んでくださった。

K子さんは長年英語を教える仕事に携わっていらっしゃる、とても話題の豊かな楽しく素敵な方で、いろいろ刺激を頂いた。


ギリシャ旅行 3

2008-09-01 16:48:25 | Weblog
                     サントリー二島

9月3日(水) クルージング1日目 ピレウス港11:00出港 ミコノス島入港 各自島内を散策。しゃれたお店が多かった。

クルージング2日目 クシャダシ(トルコ)からツアーでエフェソス古代遺跡観光、
パトモス島ではツアーで聖ヨハネス修道院と黙示録教会観光 

クルージング3日目 ロドス島 半日観光のツアーでリンドスまで行ったのだがギリシャでは他にたくさん大きな遺跡を見る機会があるので、ここはパスすればよかった。その後聖ヨハネ騎士団のグランド・マスター宮殿や博物館になっている病院、旧市街を見学。塩野七生著「ロドス島攻防記」で聖ヨハネ騎士団やマルタ十字騎士団の歴史を多少かじったので楽しみにしていた。オスマン・トルコ軍と激烈な戦いをしたはずだけれど、建物も城砦も破壊の跡が全く残っていなかったが、完全に修復されたのだろう。少し残しておいてもらいたかった。

クルージング4日目 クレタ島(イラクリオン)ではツアーでクノッソス宮殿を見学。クレタ島の青銅器時代はミノア文明と呼ばれ、紀元前26世紀から11世紀まで続いたが特に前18世紀から16世紀にかけては繁栄の絶頂に達したといわれる。その遺跡がクノッソス宮殿であるが、きわめて高度な建築物と素晴らしい出土品に驚く。エジプト文明が地理的に近いクレタに流れ、そこで発展したミノア文明がギリシャ本土に流れ、ギリシャ文明を形成していったのではないかという思いがすぐに浮かんだ。

サントリー二島は「崖に白い壁と青い屋根の教会や民家が段々に建っていてメルヘンティック。夕日が海に沈む景色が美しいイアという村が特に有名で人気がある」とガイド・ブックに書いてあったし、同船した日本人の方のお嬢さんが「あちこち旅行したけれど3週間滞在したサントリーニ島が一番良かった」と言っていたというので期待していたのだけれど、確かに白い建物に静かな海は異国情緒があるし、きれいで素晴らしいけれど、数時間の滞在ではそれほど感心はしなかった。

旅行中ずっと晴天だったのだが霞がかかっていて地中海の青い空!と言う感じではなかったのがちょっと残念。そのためきれいな夕日・夕焼けも見られなかった。

5日目の朝7時にピレウス港に戻ったが、帰りの飛行機の時間まで、アテネの郊外のキフィシアやアテネのコロナキ地区を散策。

全体感としてはギリシャ文明の素晴らしさに感じ入るとともに、ローマ帝国はやはりギリシャ文明から学んだのだということを再認識した。



ギリシャ旅行 2

2008-09-01 02:45:45 | Weblog
          ハドリアヌス皇帝お気に入りの美青年・アンティヌス

9月3日(水) 8月21日の1日目 イギリスとギリシャの時差は2時間。飛行時間は3時間。夕方17:40着。ホテルの屋上のレストランで、ライトアップされたアクロポリスを見ながら食事。

2日目 アクロポリス、ハドリアヌス門・ゼウス神殿、ミトロポレオス大聖堂、プラカ地区、現代のアゴラ等を見学

私の初めての海外旅行は?十年前の20代の頃、友達とのギリシャ旅行。白い壁に青いドアの家々を見て「異国に来たなぁ!」と思ったのをはっきり覚えている。アクロポリスでは、観光客もまばらで、柱だけが立っている間を歩き回ったり石の上に座ってのんびり過ごした。今回は観光客もとても多く、昔の建築を再現する工事が進行中で外から眺めるだけだった。
葡萄の葉が繁ったテラスのあるタベルナでギリシャ料理のムサカを食べたこと、今の私くらいの年の素敵なカップルが、食事の間中おしゃべりをしていて「途切れなくしゃべリ続けて話題がよくあるものだ」と感心したことも、ありありと思い出す。

それにしても、イギリスの涼しい夏に慣れているので、連日35℃位の強い日差しの中を歩くのは疲れた!
しかし地下鉄は4年前のオリンピックで整備され、それほど混まないので便利で快適だった。

3日目 デルフィ一日観光。アテネから北西へ170km、人里離れた岩山の一隅にある古代ギリシャの宗教上の中心地。アポロン神殿・古代劇場・スタジアム(競技場)等が残っている。紀元前8世紀から3世紀にかけて有力なポリス(都市国家)は殖民活動や政治活動等に当たってアポロンの神託を伺うとともに競って奉納品を納め、富と権力を誇示した。

4日目 国立考古学博物館、エンシェント・アゴラ、ローマン・アゴラを見学。
国立考古学博物館は素晴らしかった。特にミケーネ時代(紀元前16~11世紀)の高度な文明に驚いた。

5日目 エーゲ海クルーズに出発。ホテルから船が出港するピレウスまで地下鉄で行き、そこから港までタクシーに乗ったのだが、月曜の朝9時頃という混雑する時間帯だったせいか、タクシーがなかなかつかまらなかった。タクシー乗り場がないので乗客が我勝ちに止めて乗ろうとしてするので、チェック・イン時間に間に合わないのではないかと少し心配した。

今回のクルージングの乗客は約700人位で、26ヵ国の人々が参加(乗員は31ヵ国から)。日本人は10人。朝食のビュッフェで並んでいると聞き覚えのある懐かしい言葉が聞こえてくるのでマルタから来たのですか?と聞いたら32人が参加しているとのことだった。中でもスペイン語を話す人が多かったような気がする。ギリシャ人の参加者も多かった。食事の時、隣の人に話しかけても英語が通じないことが多かった。

ギリシャ旅行 1

2008-09-01 01:48:38 | Weblog
                     パルテノン神殿

9月2日(火) 8月21日(木)ヒースロー空港発ギリシャ行き11:45に乗る為にはヨークを前日に発たなければいけないので、マガリーの所に泊めてもらうことにしていた。同じ日に彼女のお父さんも夏季休暇でロンドンに来ることになったので、時間を合わせてKing's Cross駅で待ち合わせ。

マガリーのフラットまで一緒に行って荷物を置き、彼女が予約をしておいてくれた中華料理屋さんの夕食の時間まで、私達は 
キュー・ガーデンズへ行った。

キュー・ガーデンズは広く、大きくて珍しい木がたくさんあって世界自然遺産にも登録されている。入場料が£13(65歳以上は£12)と高いので、一日のんびりと木を見ながら散歩したり静かに過ごしたい人にはいい場所だ。日程の詰まった旅行者向きの場所ではないだろう。

マガリーのお父さん(フランス人)とは初対面。英語を聞くのは大丈夫だけれど話すのが苦手とのことだったが、日本への関心を持っていてくださって楽しい方だったので、あっという間に時間が経った。帰る途中、マガリーのフラットの部屋を借りているエジプト人の同級生ムスタファ君が合流。

彼は26歳だが、アラブ語の外、英語、フランス語、ドイツ語ができる。16歳以下の卓球世界大会で優勝したことがあるそうだ。高校に入るまでは体の基礎作りのためのトレーニングと中国人コーチによる卓球練習で、一日13時間費やしていたとのこと。

高校に入ってからは、将来はお父さんの仕事を手伝ってビジネスの世界でキャリアを積もうと思って一生懸命勉強したのだそうだ。『人と違うことをしないといけない。卓球をする人は少ないし、フランス語やドイツ語ができることも人と違うと言える』・・・エライ!!!

一方、マガリーは、マルタで会ったころは将来はビジネスの世界に入りたいと言っていたけれど、『将来は大学で教えたい、それも一流の大学でないと嫌だ、もし一流の大学で教えられないのなら、別の道に進むかもしれない。そのためにはPhd.コースに進んでいい成績を取らなければいけない』以前、試験が終わった頃電話で話したときには、死ぬかと思うくらい勉強したと言っていたが、満足のいく成績が取れたようだ。

二人とも、ものすごくしっかりしていて、気持ちがいい。

2008-08-19 02:23:47 | Weblog
8月18日(月) この所天気がぐずついている。金曜日午前中晴れ間があったが、前日の木曜日から今日まで雨模様。一日中雨が降り続けることは少ないのだが、4日も雨が続くと、ウーズ川が道路に溢れてしまう。日本だったら、そのくらいの雨でも洪水になることは無いのだが、写真の通り、川の辺にあるパブの屋外にあるテーブルの上まで水に浸かりそうな所まで来る。

気候も、もう夏が終わってしまったようだ。寒がりの私は半袖Tシャツを着る機会がこの夏も無かった。そしてもうセーターを着、ソックスも離せない。昨日は友達が遊びに来たので鍋物をして一緒に食べた。

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また旅行に出ますので9月初めまでブログをお休みいたします。

マルタ・ニュース

2008-08-16 03:28:34 | Weblog
         写真はグランチェスター

8月15日(金) Uさんたちからのマルタ・ニュース。

■ マルタでの交通機関はバス。タクシーもすべて1つの企業が独占している。政府が他の会社も進出できることを認めたら、バス、タクシー、観光用及び通学送迎バス、ボート、霊柩車・・・ストライキで5日間全て止まったそうだが、政府が勝利したとのことだ。

■ イーストボーンは海沿いの街。朝4時前からカモメがギャーギャーとうるさい。スコットランドの海辺の町に行った時も、カモメがうるさかった。マルタも海に囲まれているのに、カモメがいなくて静かだったのが不思議に思っていた。Uさんにそれを言うと『最近戻ってきたよ』と言うので『どういうこと?』と聞くと『EUのメンバーに入ったら動物愛護の基準が厳しく、鳥を撃つことが禁じられているから』とのこと。

マルタ在住イギリス人に言わせると「マルタ人は動いているものは何でも撃ちたくなるんだ」と眉をひそめていた。ゴゾに行った時、よくパーン・パーンと銃の音が聞こえていたものだが・・・。

■ 私たちがマルタを去る前年の夏は、クラゲが多くて一夏海で泳げなかった。観光が主産業のマルタでは大問題だろうと心配していたが、この夏はあまりいないとのことだった。マリさんはゴルフ仲間25人で一人€10づつ出し合いボートを借りきって沖に出、海水浴を楽しんでいる、と言って真黒に日焼けしていた。

■ 私達が住んでいたフラットの近くに半官半民経営のホテルがあったのだが、1階を商店街、2階以上をアパート、映画館等にするという計画があり、私も反対運動の署名をしたのだが、ついに建設が始まってますます埃っぽくなってきたとのことだった。600戸ものアパートができるそうで、全部埋まるのかどうか疑問だ。




イーストボーン

2008-08-14 20:13:14 | Weblog
        ロイヤル・イーストボーン・ゴルフクラブからの眺め

8月14日(木) ケンブリッジからイーストボーンまでは4時間くらい。1年ぶりに会うトムとテりー。トムは来月78才になる。テリーはトムより10才ほど若い。二人とも若いときからテニス、ゴルフなどスポーツをしているし、家のペンキ塗りなども自分達でやってよく体を動かしているので、少し若い私達よりも歩くのが早く、元気だ。マルタから車でドイツを経由し、ドイツに住む友達とゴルフをやってイギリスまで帰ってきた。

ここでもトムの家の近くのゴルフ場まで散歩したら、Uさんの目がキラキラ。観光よりゴルフの方がいい、と言い出した。で、次の日、又ゴルフ。

但し、私はやらなかった。マルタ時代は、ゴルフを始めたばかりのビギナーだったので下手なのは当然として、イギリスに来てどれ位上達したかUさんに見てもらうつもりだったのに、思うようにスコアが伸びず、相変わらずパットが下手でUさんに呆れられた。トムとテリーにまで呆れられるのが嫌だったので、キャディーを買って出た。テリーには「まだハンディキャップが36なの!?」と言われてしまった(汗、汗・・・)!!!

次の日、朝食後イーストボーンを発ち、約7時間(途中2回休憩、約450km)かけてヨークに戻った。イギリスでのHideの長距離ドライブはこれでお終い。