ほろ酔い日記

 佐佐木幸綱のブログです

早稲田大学・芸術功労者(補)

2017年03月27日 | 日記
 「顕彰状」という、司会の人が読み上げてくれた文章の写真をアップしたのですが、逆さまになってしまいました。
どのようにして写真の天地を修正するのか分かりませんので、あらためて「顕彰状」だけアップします。

早稲田大学・芸術功労者

2017年03月27日 | 日記
 早稲田大学・芸術功労者ということで、3月24日(金)、卒業式の会場/・大隈講堂で表彰を受けてきました。
この賞は、創立100周年を記念して、1984年に創設された賞だそうです。
 第1回受賞者井伏鱒二、第2回受賞者が森繁久弥、という賞だそうです。
 これまでの受賞者を見ると、みな年配者です。ああ、そんな年齢になったのだと、ありがたく賞を頂いてきました。

 当日は、朋子が付きそいで参席するはずだったのですが、風邪で寝込んでしまい、急遽、頼綱夫人薰子さんに来てもらいました。
写真は薰子さんに撮してもらったものがほとんどです。
 当日は10分ほどの挨拶をしてくれとのこと。同時通訳があるので、前もって挨拶の原稿を提出してほしいとのこと、せっかくですから、その挨拶を以下に引用させてもらいます。

 受賞の挨拶
 この度は、栄誉ある早稲田大学芸術功労者としての賞をいただくことになり、光栄に存じます。ありがたく、かつ感謝の気持ちでお受けいたしたく存じます。

 卒業生諸君、ご卒業おめでとうございます。早稲田大学を卒業されて、それぞれの明日に向かって希望と期待で胸をふくらませておられることと思います。

 もう半世紀以上むかしになりますが、私の早稲田大学の学生時代のことをいま思い出しています。男子学生の半分ほどが、まだ制服、制帽で大学に通っている、そんな時代でした。
 ちょうど60年安保闘争のさなかで、日本の未来が問われ、大学という組織そのものが問われている、私はそんな時代の学生でした。

 伝説の早慶6連戦がありました。文京区にあったわが家に、10人ほどが1週間も泊まりこみ、連日、神宮外苑通ったものでした。
 人類初の宇宙飛行士・ロシア空軍のガガーリン大佐が早稲田にやって来ました。満杯の記念会堂に見に行ったのを思い出します。小柄ながら姿勢のいい、青い軍服姿のかっこういい青年でした。
 暗殺された第35代アメリカ大統領ジョン・ケネディの弟・若い司法長官ロバート・ケネディーも早稲田にやってきました。この大隈大講堂で、昂奮した学生たちと世界平和について大激論をかわしたのをおぼえています。 
 こうしたにぎやかな時代の早稲田の学生だったことで、私の人生の大枠が決まったような気がいたします。
 
 私は「短歌」という文字通り短い日本の詩にかかわりつつ長い年月を過ごしてきました。「短歌」という詩は、地味ではありますが、長い時代にわたって、日本語の大切な部分をになってきました。

 有名な話ですが、秋の虫の音を美しいと感じる日本人の心のメカニズムは、短歌をはじめとする日本古典の詩の力によっていると言われています。日本人の感性の、大きな部分を、短歌が形成してきたのです。
 私自身も、微力ながら、日本語を、つまり日本人の心を、より豊かにするために、何ほどかの仕事ができればと考えて、短歌にかかわってきました。

 早稲田大学には、先輩にすぐれた歌人が多くおられます。窪田空穂、若山牧水、北原白秋、土岐善麿といった方々です。
 また、私は、短歌の縁で、早稲田の縁で、同時代のすぐれた才能に出会うことができました。
 早稲田短歌会の2年ほど先輩に寺山修司さんがいて、学生時代から47歳で他界されるまでつきあってもらいました。
 日本文学特論という私の授業で、学生だった俵万智とであい、今日まで同じ短歌雑誌「心の花」の仲間として過ごしてきました。

 早稲田大学から、このように多くの歌人たちが出たことは偶然ではありません。大隈老侯以来、早稲田大学は、言葉、なかんずく日本語を大切にする校風があります。そうした大学の風土が、早稲田文学を生み、早稲田から多くの歌人を排出したのだと思われます。

 卒業生諸君、言葉を大切に考える早稲田大学の伝統を自覚しつつ、それぞれ、自身の未来を築いて行かれんことを願っています。
 卒業生諸君のご幸運を願い、早稲田大学のいっそうの発展を祈念して、ご挨拶の言葉を終えたいと思います。
 2017年3月24日              佐佐木幸綱