ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

もっと深掘りを

2017-03-08 07:58:33 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「その指摘もずれている」3月1日
 『「伝統的家族」なる幻想』という見出しの特集記事が掲載されました。『戦後日本は「伝統的家族」が壊れ、家族の絆が弱まって家庭の教育力が低下した』という安倍首相に代表される保守派の主張に異議を唱える記事です。
 記事では、『1910年ごろにしつけや教育のノウハウを書いた育児本が登場し、富裕層や役人・知識人ら新中間層が家庭教育に注力し始めた。一方、農漁村や都市の庶民は、戦後まで教育に力を入れるゆとりはなかった』と家庭の教育力低下を否定する調査結果や、『58年には「一番大切なもの」に「家族」を挙げる人は12%だったが、2013年は44%に』『父親との会話の頻度を子供に聞くと「話すほう」と応えたのは70年の45.6%かた00年には64.9%に増えた。母親でも同じ傾向だ』という家族の絆の弱まりを否定する調査結果を示し、保守派の意見は幻想に過ぎないと批判しています。
 調査結果については異論はありません。ただ、記事の指摘も少しずれていると感じます。記事で触れられている100年前の「家庭教育」とは何なのでしょうか。そのイメージがよく分からないのです。現在でも、家庭教育として、ピアノや水泳などの習い事、塾や家庭教師などの家庭学習を頭に浮かべる人もいれば、挨拶や言葉遣いなどの基本的な生活習慣の定着を考える人もいます。あるいは、正義感や責任感、規範意識など集団への適応を重視する人もいそうです。
 私は、家庭の教育機能を、存在への根本的な安心感、つまり、「どんなときでもどんな状況になっても私のことを温かく見守り見方になってくれる人がいる、私はこの世の中にいる意味があるのだ」という感覚を与える場所と考えています。似たような考え方の方は少なくないと思います。
 また、家庭教育というときに、親が子供を、という視点だけで見ていると、総合的な教育力を見誤る可能性があります。兄弟による影響を考える必要があります。私の親の世代では、5人6人という兄弟構成は珍しくなく、年齢も長子と末子では、10歳以上離れていることも珍しくありませんでした。そうした兄弟間の「教育」についての掘り下げが弱いと感じるのです。
 次に家族の絆についての考察です。この点については、私も絆は強まっていると思います。子供が7人も8人もいるときと、一人っ子とでは、我が子に対する思い、兄弟に対する思いの深さが違ってきて当然です。ただ、私は絆が強まっていることの弊害を感じるのです。現在問題になっているモンスターペアレンツ問題にしても、親子の絆が強すぎるということが背景にあると思います。
 友達母娘などという現象も、少子化でなければ起こりようがありません。以前このブログでも書いたことですが、学校教育は子供を親から切り離し、親の過剰な干渉を排したところで子供を育てるという性格がありました。親の過剰な介入下では、子供の社会性が育たないという経験に基づいて、他人の基で過ごさせるということの意義か認識されていたのです。その反面教師が、わが子を溺愛した豊臣秀吉と秀頼親子だと言えば分かりやすいでしょうか。
 今回の特集記事の指摘は貴重なものです。事実で、ファクトで議論の誤りを是正するという姿勢も望ましいと思います。ただ、反論のためにデータを使うという側面も感じられます。深掘りした第二報が楽しみです。保守派の反論も。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 宝の持ち腐れ | トップ | ・森友問題3つの視点「私学... »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL