ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

卒業可能?

2017-07-15 08:50:25 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「考え違い」7月10日
 漫画家西原理恵子氏がタイトルとマンガを描かれている『卒母のススメ』欄が掲載されています。人気コーナーであった西原氏の連載漫画が終わった後の企画です。『卒母』とは、母親業を卒業するという意味のようです。似たような言葉に「卒婚」があります。婚姻関係を卒業するという意味で、身も蓋もない言い方をすれば、離婚だったり、別居だったりして、パートナーとの関係を解消することです。
 では、「卒母」という場合、親子関係を解消するということなのでしょうか。母親業を退職するということなのでしょうか。同欄に投稿を寄せているのは、中高年の母親が中心です。その投稿の中身を読むと、子供が成人したり、一人暮らしを始めて、食事や清掃など子供の面倒を見るのをやめる、いろいろと教えてきた「躾」をやめるというイメージのようです。実は、私は、この「卒母」という考え方には違和感を覚えているのです。
 それは先述したように、母親という存在の役割を、子供の世話や躾というように狭く捉えているという点です。私はこのブログで再三再四、家庭というもの、親という存在について言及してきました。別に目新しい主張ではありません。簡単に言えば、子供が外の世界で様々な人と接し、いくつもの不合理な目に遭って、傷付き疲れたときに、誰に気兼ねすることなく安心して自分を解き放ち、本音を吐露し、弱みや嫌らしさも曝して、心の傷を癒すことができる母港であるというようなことでした。
 これこそが親の本質であり、世話や躾はあくまでも二次的なものでしかありません。したがって、20歳になったから、上京して大学に入ったから、就職して給料をもらうようになったから、ということで「卒母」する、あるいはしてもよいという考え方とは合致しないのです。
 もちろん、「卒母」という言葉を口にしている方々もそんなことは百も承知だと思います。しかし、「卒母」という言葉が広まっていく過程で、親を業として考える考え方がじわじわと浸透していってしまう可能性は無視できないと思うのです。そして、親を業だと考えるようになれば、他の職業と同じように、契約や損得という概念で捉えられるようになり、親子関係が、悪い意味でビジネスライクな関係に変質していってしまい、最も大切な機能である心の母港という性格を失ってしまうのではないか、それは子供の人間性の涵養にとって大きな問題となるのではないかと危惧するのです。
 「卒母」の次は、「卒子」ということになり、縁を切られた寂しい老人が巷に溢れるという悪夢が現実にならないことを願わずにはいられません。

 

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