ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

長く広く視る

2017-12-11 07:55:56 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「価値観の転換」12月5日
 『特集ワイド』に、上司と部下の特集記事が掲載されました。その中で、人材育成を支援する「FeelWorks」社長前川孝雄氏は、『経営陣は、たとえ目先の業績を上げられなくても、若者を育てられる人を評価し、昇進させるべきです。そうすれば上司の側は部下の育成により熱心になる。若手社員も仕事に生きがいを感じて、パフォーマンスを発揮し、中長期的に企業としても発展するのではないでしょうか』と語っていらっしゃいました。
 その通りだと考えます。私は、20代後半から30代半ばにかけての教員時代に2人の校長に仕えました。2人に共通していたのは、私を育てようとしてくれたことでした。校内で学年主任、研究主任、教務主任など責任あるポストを与えてくれただけでなく、当時の教頭に命じて、朝の校内巡視に同行させるなど、管理の視点から学校全体を視る能力を高めるよう配慮してくれました。
 また、校外の研究活動への参加も積極的に後押ししてくれました。教育開発委員、教員研究生などを経験するとともに、区内の研究部の幹部として多くの授業研究に携わることができ、それが教委に勤務するようになってからも職務の遂行に役に立ったものです。
 もちろん、私にだけ「依怙贔屓」していたわけではありません。私以外にも、研究員とうに推薦されたり、英国に教員として留学したり、教委の委員を務めたり、管理職選考に合格したりしたものが何人も出ました。それまでのその学校では皆無だったのに、です。彼らは、他の区の学校に異動していきましたが、そこで、校内の中核を担う人材として活躍していきました。つまり、東京都というより大きな視点で見れば、政治力を発揮し、他校から優秀とされる人材を引き抜いて、即効性がある「成果」を上げた校長よりも、貢献していると思うのです。
 そんな2人でしたが、正直なところ教委の評価は高くないようでした。2人とも、いわゆる「カド番校長」でした。「カド番校長」というのは、なかなか校長試験に受かることができず、受験資格が切れるぎりぎりで校長になり、1校だけ校長を経験して定年退職していく人たちのことです。校長会や教委が主催する委員会や検討会等の役職に就くこともなく、「大物校長」と言われる人たちからは軽く見られている存在でした。私から見れば、2人とも、職員団体の拠点校であった学校を立て直し、正常化を果たしたとして評価されるべき実績を上げた人物でしたが、校長としてあまり報われた形での退職ではなかったように思います。教委に言わせれば、Cランクの学校をBランクにしたというだけのことで、Aにはできなかったということだったのかもしれません。
 この2人がもっと評価され、複数の学校で校長として力を振るわれたら、という思いを捨てきれません。それだけに、人材育成を重視するという前川氏の提言に賛同したいのです。

 

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