ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

私の新発見はあなたの常識

2017-04-06 08:02:35 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「垣根を越えて」3月29日
 プロボクサー村田諒太氏が、『正しい調整法共有を』という表題でコラムを書かれていました。その中で村田氏は、『競技団体によって知識の差は大きく、効果的なトレーニングの方法を当たり前のように取り入れている競技は、コンスタントに好成績を上げることができている』と書き、『ボクシング界も競技団体の垣根を越えて正しいトレーニングの知識を共有していくことが必要』と述べていらっしゃいました。
 村田氏によれば、ボクシング界では長くハードな練習でスタミナがつくという発想に基づく練習方法が主流なのだそうです。そうではなく、高強度と低強度のトレーニングをバランスよく組み合わせることで、1ラウンドの中に攻撃と防御といういくつかのアクションがあるボクシングに相応しいスタミナが身に着くというのが村田氏の主張であり、既にそうしたトレーニング方法を取り入れている競技団体から学ぶことが重要だというのです。
 よく分かります。同じようなこと、つまり、ある業界なり分野なりでは常識となっていることが、類似する他の業界や分野では全く知られていないという話です。私が都の教員研究生であったとき、全都から選抜された幼少中高特のそれぞれの教員が、研究所に勤務し、個別のテーマの下に指導法の研究にあたるという経験をしました。
 そのとき驚かされたのが、私たち小学校の教員にとって当たり前だった授業法、研究法が中高の教員にとってはまったく知られていないものだったということです。例えば、授業に対する分析・評価です。彼らの多くは、授業研究に当たり記録を残して分析するという手法を採用したことがなかったのです。小学校の教員にとっては、授業を録音・録画し、教員の指示や発問、それに対する子供の発言を再現して分析するのは授業研究における常識でした。しかし、中高の教員は大まかな印象や授業後の小テストで分析・評価を済ませていました。一方で、幼稚園の教員は子供の発言だけではなく、一人一人の行動を動線で表し緻密な分析を行っており、私は大変驚かされたものです。
 学習指導案も全く異なっていました。私が作成した小学校において一般的な学習指導案には、学習活動、主発問、評価の方法と基準、予想される子供の反応、躓きが見られた場合の留意点などが書き込まれていましたが、中高の教員の指導案にはねらいと学習活動程度でした。しかもそこに書かれていた「学習活動」とは、「~について考える」「~について理解する」というような表現でした。正直なところ、理解するという活動として何をするのかが全くイメージできませんでした。実際に授業を見ると、ただ単に教員が説明するという場面を目にすることもしばしばでした。
 私は「学習活動」とは、子供の具体的な行動を記すものであり、話し合う、調べる、カードにまとめる、模擬体験する、インタビューする、といったように~するという目に見える形でかくものだと理解していましたので、大きなギャップを感じたものでした。
 1年の研究期間を終え、成果をまとめる段階になってもギャップの大きさは埋まりませんでした。高校の英語教員が、ある場面のイラストを提示し、その登場人物になったつもりで吹き出しに会話文を書き込むという手法を開発したという「研究成果」を発表したのです。場面を設定しての吹き出しという手法は、小学校では私が教員になったときに既に一般的な手法でした。それなのに十数年後、そんな手垢にまみれた手法が、高校では新開発されていたのです。私に言わせれば、1年間の努力、時間、経費が全て無駄に思えて仕方ありませんでした。
 指導主事になり、幼少中高特、すべての校種の授業を見、教員とふれあう中で、同じ東京都の公立学校の教員であっても、校種を越えた交流は乏しく、お互いのもつ知見が共有されていないことが実感として分かりました。つまり、村田氏の言う「競技団体の垣根」と同じ構造だったのです。
 教育行政は、垣根を越えさせる研究研修システムを確立すべきです。

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