ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

なんでも批判

2016-10-16 08:05:21 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「なんでも批判」10月8日
  『「古い価値観押し付け」資生堂 批判受けCM中止』という見出しの記事が掲載されました。記事によると、『25歳の誕生日を迎えた女性が同性の友人から「今日からあんたは女の子じゃない」と言われ、「いい女になろう」と決心する』という内容のCMが、『男性の古い価値観を押し付けている』と批判されているのだそうです。
 このブログをお読みいただいている方はご理解いただいていると思うのですが、私は教委勤務時代に人権教育を担当していたこともあり、人権や差別については、世間の方々よりも過敏に反応してきた傾向があると自覚しています。女性差別、性別固定役割の問題についても同様です。
 しかし、この記事で紹介されている批判については、納得できません。CMは、女性が女性に対して発言しているのです。男性対女性という構図ではありません。さらに、友人というのですから、同世代同士でしょう。若い女性が中高年の女性に対して暴言を吐くという構図でもありません。
 もちろん、このCMを批判した方々は、表面的な対立構造ではなく、女性は若いほど価値があるという我が国の男性に特に目立つ古い価値観を反映した内容であるという意味で指摘なさったのでしょう。女の子=若い女=価値ある女性であり、その裏返しとして、女の子じゃない=若くない女=価値のない女性という図式に沿った内容というわけでしょう。さらに、化粧品会社のCMなのですから、いい女=外見の良い女という意味であり、女性の価値は外見上の美醜にあるという、これも男性の古い価値観に立脚しているという点も批判されているのでしょう。それは分かります。
 しかし私には、こうした批判自身が、「男性は女性の人格には見向きもせずに若い女性が好きなもの」「男性は知性には関心がなく美人が好きなもの」というステレオタイプな見方、レッテル貼りに思えてしまうのです。男性の中にも様々な見方、考え方、感じ方が存在します。それにもかかわらず、「男性は~」と決めつけるのは、黒人は~、障碍者は~、高齢者は~、と一律な見方で決めつける感覚と同じだと思うのです。
 私は教委勤務時代に、人権教育について研究発表をしたことがあります。1年間を費やし、学校の教員を委員として委嘱して取りまとめた「自信作」だったのですが、発表を聞いていた臨床心理士の職員から、「ご苦労様でした。ただ、研究の前提が、女性、高齢者、子供、外国人、障碍者、被差別部落出身者を差別される側と規定した行政の発想そのもので、興ざめしました。差別される側でない強者、つまり健康で部落出身者でない日本国籍の成年男性である先生(私のこと)が、そのことに無自覚なまま、日々移ろう実態を知ろうともしないで、頭の中だけで考えたもの」という趣旨の批判をされたことがありました。
 申し訳ないのですが、今回のCM批判についても、何だか規制の枠組みの中で、頭だけで考えた批判という気がしてしまうのです。全国で人権教育に携わっている方々は、この事例をどのように扱うのでしょうか。

 

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