ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

一周回って「長所」に変わる

2017-11-13 07:40:27 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「フラット」11月6日
 『上司と部下 置かない職場』という見出しの特集記事が掲載されました。「ホラクラシー」について報じる記事です。「ホラクラシー」というのは、『組織内の立場が対等なため、上が命令するのでなく、自立した各現場での話し合いにより意思を決定でき、速やかに行動できるのが特徴』な非階層組織のことだそうです。
 実際に導入している企業等では、『現場のことは現場が最も詳しい』『当事者意識を持ち、責任とやりがいを感じてこそ成果が上がる』『従来型の会社で働きにくい人たちが活躍』『立場に関係なく、必要なことを話し合える』『テレワークにも向いている』などの肯定的な見解が聞かれるようです。
  「ホラクラシー」という言葉は初めて耳にしましたが、これはまさしく私が教員になった頃の学校の姿ではないか、という感じがしました。学校組織を表す言葉に「鍋ぶた型」があります。鍋のつまみの部分が校長と教頭で、あとは全て横並びという意味です。
 学年のことは学年会で決める、というのが当然のやり方でした。例えば遠足について言えば、学年会で相談し、「実地踏査に行ってきます」と教頭に声を掛けるだけで、実地踏査に出かけ、交通機関の手配をし、教委に提出する行事届を書いて、「公印お願いします」と言うと、教頭がろくにないようも見ないまま押印してくれる、という具合だったのです。
 資料集などの補助教材の選定、学芸会や運動会の演目、学年便りの内容、保護者会の内容、全て管理職は実質ノータッチでした。私の記憶に間違いがなければ、右も左も分からない新卒の私でさえ、管理職から「命令」を受けたことはありませんでした。アドバイスを受けたり、事後報告を求められたことはありましたが、それだけでした。
 職員会議を、最高意思決定機関だと主張する教員もいるくらいで、校長の意思よりも職員会議における多数決が重みをもつような現状でもありました。私が赴任した学校は、「組合立学校」と揶揄される職員団体の拠点校でしたから、全ての学校が校であったとは言いませんが、学校というものが、とてもフラットな組織、記事で言う「ホラクラシー」的な状況であったことは間違いありません。
 そしてこうした現状が、「組織体として機能していない」という批判を浴びるようになり、職員会議の補助機関としての位置付けの明確化、主幹・主任制度の導入などの改革が行われ、いわゆる「管理強化」が進められてきたのです。
 私自身は、元々「反職員団体」的な発想の持ち主であり、教委に入り幹部になっていった経歴からも明らかなように、「管理強化」の動きを推し進めてきた人間です。それは間違っていなかったと思っています。しかし、今、働き方改革の一環として「ホラクラシー」が最先端の改革として評価されつつあるという記事を目にすると、自分のしたことは何だったのか、という気分になります。
 学校教育行政の場でも、「ホラクラシー」は課題になっているのでしょうか。

 

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