雪姫鳥の独り語

雪姫鳥の山暮らし、日常に感じる事。
雪姫鳥のニットの紹介、旅した国の回想。
食べ物や子育て、雪姫鳥のエコライフ。

治療の旅

2019-10-29 09:44:06 | 
今日は静かな雨
秋へと移行を感じます
息子の治療の旅が始まって5年
役者修行で上京して12年
ずっと精神的な旅の最中です
劇団東俳に所属していた頃
花子とアンの最終章で、アップになった
大河ドラマにも良く参加していたけれど
これをピークに降り坂
首の異常に気がつき
カイロ整体を受け
西洋医学では異常なし
噛み合わせに気づき
体調不良で週3日しか働けず
薬は飲まずに頑張り
この夏から丸山咬合クリニックと出会い
治療費の高さに驚くも
最終手段と思い下顎の是正を始める
骨の戻りで身体がきしみ
苦しいながらも前向きに成り
大阪へ夜行バスで古武術式の整体を受けながら
お金の無い不安と戦っている
3年ぶりに自炊を始め
5年ぶりに部屋を片付け
主治医の丸山先生の著書のように
ワーキングメモリが上がっているが
かなり肉体的に苦しそう
役者を諦めれば
楽になるという事でも無く
役者という希望があるから頑張れる
私もツレも息子も
国民健康保険をほとんど使わず
医食同源の考えで生きて来た
顎の是正は90万近い
整体も保険は効かない
歯列矯正は150万円
息子の場合は酷いから、相場と思う
大学や専門学校へ行けば
費用はもっとかかる
私が逆子出産したのが根元
子は親や祖先の因果を抱える
私が諸々の因果を克服できたのは60歳
息子のこれからを考えれば
今がお金の使い時
役者を目指さず、身体を酷使しなければ
極度な体調不良は避けられたかもだが
ステルス医療のように
吐き気・めまい・無気力
一生、薬の世話になり
税金を使っていただろう
健康保険は支払っても使わず
下顎の是正は80万円+消費税
日本の保険医療は
西洋医学に傾きすぎている
健全な人を増やし
健康に働ければ、納税も増える
病人を増やし
医療・製薬に儲けさせ
税金の無駄使いは
やめて欲しいと願う
息子の今後も
自身でどうにかするだろうけど
宇都宮にスタジオオープンさせるから
ニットだけでなく
息子の治療の旅に興味ある人も
是非、ご連絡をお待ちします
これからの時代
精神的な旅は必要になる
旅は学びです





周山街道R162号で若狭湾から京都へ

2019-06-06 17:35:24 | 
三方五湖の道の駅から、R162で海岸線を西へ
若狭湾の支湾、世久見湾に出ると
小さな島が浮かんでいた
鳥辺島と言う名の無人島


棚田も広がり
海水浴場やダイビングで
夏は賑わいそう
海も穏やかで、ほっとする景色
周山街道は小浜から南下して
京都の美山町に入り
府道38で東に方向を変え
かやぶきの里へ


観光地だけれど、現実の暮らしがありました


画一的な建物に変わらないで欲しいと願うけれど
維持するのも大変と思います

 
そのまま府道38号で京都の鞍馬へ向かう
佐々里峠までは、かなりのクネクネだったけれど
十津川村の昔のようで、妙に懐かしかった
街道も昔のままで、人のパワーを感じる


京都市左京区の山間部には
市営バスも走っていて、公衆電話も
バス旅の番組が好きな私は
ルートと予算を決めて
いつかして見たいと密かに思う

鞍馬・貴船を経て府道40号で大原へ
懐かしい大原工房へ寄り道
初めて個展の時は、大原工房の糸にお世話に成りました

京都の山間部は歴史や文化を感じます
多くの武将がこの山を駆け抜けたかと思うと
身体能力の凄さに驚きます
思わぬ事で日本海まで行き
今頃になって
ドライブは私の趣味だと気がつきました

来月は関東へ出張予定
どんなコースを行くか楽しみです






琵琶湖経由で若狭湾へ

2019-05-30 08:10:16 | 
日本海に沈む夕日には、間に合わなかったけれど、
道の駅 三方五湖は車中泊にはオススメです。


近くには美浜原発があり、付近の漁村は活気を感じなかった。
自然にそぐわないモノは、もう要らないですね。
太陽光も異常な位に暑い、平成の時代に産業転換できなかったのは悲しい。

画一的な箱物は、全国何処の市街地も同じだけれど、
琵琶湖周辺も、田園が広がっていたし、まだまだ日本は美しい。


船着場もあって、殆どの建物が木造です。

TVも無いので、ネットのニュースだけ見るけれど、
そんなに裕福でなくても、働かずに生活できる人が多い時代。
自然に触れない生活は、息苦しさを感じないままに、
人間が壊れていくのだろうか?
政治家達の劣化も、壊れた人の象徴かもと思う。

観光目的では無いけれど、気の向くままに車を走らせながら、
初めて道や景色に出会うと、気持ちもリフレッシュして、
妄想も膨らみ、創作意欲も増すので、旅は面白い。


日光自然博物館

2019-04-28 19:02:37 | 
行きたい場所と言うか
また行きたい日光の別荘記念公園
男体山が山開きする5月5日前なら
少しは空いているかな?
私は2週間前に行きましたが
何度でも行きたいし、
旅ランしたい


英国大使館
のんびり中禅寺湖を眺めるのも良い


イタリア大使館
内装、外装が全て杉、杉、杉、、、
それはそれは素晴らしかった


杉アートのような天井


モダンでお洒落


壁も全て杉


湖畔までのウッドデッキも素敵!

住居には消防法があって
このような建築は無理のようですが
日本中の杉山を自然林に戻し
このような建物を増やして欲しい
花粉症対策
地滑り対策
環境保護
良いコト多いのに
なぜ?産業転換できないのだろう?
政治が劣化している
特に十津川村には、あって然りと思いました

日光はグローバル化の最前線だったと感じる
中禅寺湖には、大量の放射能が落ち
ニジマスが食せなかったが
2年前から解禁になったよう

最近はホテル建設が続き
残された自然が今後どうなるのか?
奥日光の自然は
雄大で素晴らしいです


共有する感性

2019-04-18 09:44:17 | 
一昨日は宇都宮のギャラリーHANNA
インドのデザイナー、スニタ シェンカーさんの手仕事展。


昨日は鹿沼市のギャラリー シェイ・ケイコ



鹿沼には、日本の原型が残って居ます。
友人のナビのお陰で、田舎道を走れ、余韻にしたって居ます。

栃木県で初ギャラリー巡りをしました。
ご縁のあるSETSUKO TORIIのサイトから情報を得て尋ねましたが、
共有の知人が居たり、好きなモノが同じでしたり、
感性や美意識の繋がりに、改めてモノ作りの原点を確認したように思います。

タッサシルクの美しさや、布をまとうような感覚の衣のデザイン。
飽きが来ず、年齢や体型も気にせず、品も良い。
20年前に作家デビューした頃から、見慣れたモノですが、
新鮮な感覚で見れるのは、やはり温故知新のように思います。

今年のテーマは温故知新。
従来のちゃんちゃんこベストを、リニューアルしたデザインで、
ベストの製作と、シルクパールのデザイン展開を試みる。

旅は非日常なので、ゆったりした時間の中、
アイデアも湧き出て来るようようで、楽しい日々です。

道は続く

2019-04-16 17:51:38 | 

先週末に出て、R1で東へ向かい、綺麗な富士山に出会いました。
早朝、R426で東京へ、散りかけた桜と新緑が美しく、
山合いの道は楽しく、スローな時間に酔いしれます。


大阪へ行き始めた頃は、聞き慣れない地名が新鮮だったけれど、
東京周辺は見慣れた地名に、懐かしさも有り、温故知新の気分に浸る。


何だか、ホントに懐かしい。


環八から井の頭りで、吉祥寺へ。
まさか、この大好きな場所へ車で来る事に成るとは、夢にも思いませんでした。
20年間、関西をウロウロし、この5年位はR19で信州を往来して来て、
車の移動にも慣れ、情報はPCで調べられるので、
便利な世の中のお陰で、時間があれば経費をかけずに営業できます。

編み物百姓のような、私のニットワールドを、
どのような容で表現すれば良いのか、
まだまだ考えるコトが山程ありますが、不思議とご縁が繋がれ、
何となく外輪が見えて来たように感じます。

我が道もまだだまだ続きます。






葛城山麓 眺め良し

2018-12-04 10:27:10 | 

昨日の朝、箕面からの帰り

奈良の葛城山麓の県道30号線

大阪へ行く時に通る道でも

帰りに通る事は滅多に無く、しかも早朝

奈良盆地を望み、少し雲海が広がっていた

簡単なデジカメで広大さは、お伝えできないけれど

雰囲気だけでもと、、それくらい美しく感じた

古からこの地に文化が宿り

日本の和を感じる風景です

同じ道でも、方向が違うと眺めも異なり

季節や時間で新しい出会いがあります

街は規格品の画一的な建物が立ち並び

季節感は催事の宣伝だけ

自然の移ろいは、神の創造

お馬鹿な天候も

それなりに楽しめます



群馬 みどり市

2018-11-27 08:29:10 | 

群馬 みどり市西福寺の本堂の片隅

お寺での展示は2度目です

ニット作家の履歴とか、パネルの用意もこれからで

ショールの作品と雪姫鳥の商品でまとめる

来年は作家への私の道を表現できればと思う

コンサートも2度目で

元ガロの大野さんも住職もツレの世代

お元気なのが嬉しい

キーボードの太田美知彦さん

さすがプロと思えるミュージシャン

出身が信州の安曇野なので、不思議です

みどり市の神梅館

レトロな温泉旅館で、とても静かな佇まい

神のお告げがあるという温泉

私は群馬で生まれ、母の名がみどりです

R122の近くで育ち、道を辿ると

わたらせ渓谷鉄道と並行して、日光に向かっています

ご縁が繋がり、仕事の拠点を日光にと思っています

隣接している桐生市は、日本の機どころでした

群馬の繭と生糸は日本一と

上毛かるたで学んだ私にとって

手仕事のDNAを引き継いだ養母の実家が

足利で栃木県出身

これからご縁がどう紡がれるのか

私の道は日光へと向かい

みどり市とのご縁も楽しみです

 

 

 

 

 

 


草津温泉から嬬恋ルート

2018-11-26 13:57:14 | 

24日に展示も終わり、草津温泉経由で大町美麻へ向かいました

世のチリ洗う草津温泉が、上毛かるたのです

古き良き温泉街も、クリスマスの準備

湯畑も35年振りだろうか

雰囲気あるけど、全体がテーマパークのように感じます

周囲に有名人の名前が刻まれていました

土曜日でしたので、駐車場も満車

道の駅に止めて、1k位かな歩きました

丁度良い距離で、薄着でも身体が温もり

道の駅近くに無料の温泉も見つけました

11時〜15時までで、湯船と桶だけの温泉つつじの湯

強酸性泉で眼に入ると少し痛い

肌も少しチクチクしてきますが、温まります

草津から県道59号を抜けようと

道路状況を尋ねると

道路は良いけど、人家の無い道を通りますと心配されたので

慣れているから大丈夫ですと

嬬恋高原に出ると思わずWaっと声が出た

丘が連なり広々として、カナダを思い出す

パノラマは写真より記憶に残りますね

菅平を抜け、長野へ降りる県道が急で

十津川で慣れた私でも、上りは避けたい気分でした

久しぶりに、初めて道の移動は楽しく

日光から大町までのルートは豊富なので

暫くは楽しめそうです

 

 


1984年ヨーロッパの旅 ギリシャ・シフノス島

2018-08-16 17:05:25 | 

エーゲ海のショートクルーズに出かけたが、もっともっと遠くへ行きたくなりシフノス島へ。

アテネから5時間位の船旅で、近からず遠からずで選び、島に2泊しました。

夏のような太陽の陽射しが無くても、どこを撮っても絵葉書になるような素朴で、美しい島。

白い建物と赤や青の窓の、コントラストが何とも言えないメルヘンを感じました

空き屋を月$300で、レンタルするオーストラリア人がいると聞きました。

世界各地にシェアハウスしている人が居るので、憧れます。

陶芸家の多い島で、夏は暑いので、シェスタ(昼寝)をするので、

夕方4時~8時まで働くと、出遭った地元の陶芸家が言っていました。

タベルナでは歌い踊り、何故か?お皿を投げて割ります。

放し飼いなのか、普通にいました。

荷物もロバが運んでいます。

灯台ですね、ロケ地には最高の場所。


1983年の11月にニューヨークからハンブルクに渡り、

約4ヶ月のヨーロッパ滞在でした。

1988年に仕事で、パリとミラノへ行きましが、記憶が乏しい。

これと言った目的も無いままに、ウロウロしましたが、感性と美意識はアップしました。

情報が無くても、美しいと感じたり、心惹かれたり、ドキドキしたり、そんな旅でした。


この後、カイロ経由で日本に帰ります。

エジプト滞在の10日間は、インド旅に繋がる、新たな好奇心が芽生えました。

私の旅はまだまだ続きます。



1984年ヨーロッパの旅 アテネの食

2018-08-16 12:01:05 | 

もちろんアテネでも、市場へいきました。 

魚介類も多く、ペースト状に近いタラコとヨーグルト(クリームチーズのような)を買い、

パンにつけて食べていました、安くて美味しいごちそうでした。

 ギリシャ語でレストランをタベルナと言います。

地球の歩き方」を持った日本人の旅行者も多く、顔見知りになった旅人達と何度か食事をしました。

ポテトとタラコのタラモサラダや、ナスのグラタンのムサカは、大好きです

ギリシャにはレツィーナと言う松脂の香るワインと、ウーゾと言う40度の蒸留酒があり、

音楽や踊りが好きな、陽気な人が多い印象を受けました。

スイーツの苦手な私にバクラバは甘すぎて、未だに本格的なバクラバは食べたことがありません。

 

旅人の中にはイスタンブールへ行き、そこから陸路でタイに向かう人もいました。

私はカイロ経由で日本行きの、旅券を購入していたので、もし買う前なら、進路を変えたかも知れない。

人生にたらればはないけれど、あの時、航空券を買っていなければ、

イスタンブールへ飛んでいて、別な出会いがあり、違う人生だったかもと思ったりもします。

シンタグマ広場や郊外もウロウロして、アテネを歩き回りました。

でもやっぱりギリシャはエーゲ海の小島です。

つづく



1984年ヨーロッパの旅 ローマからアテネへ

2018-08-16 11:10:21 | 

1984年2月

アテネもエーゲ海とアクロポリスのイメージだけでした。


ブリンディシの港近くの駅から、船の出発が近いと知り、

次の時間を調べる余裕も無く、急いで乗船した記憶があります。

船は午後の出発で、船上で夜を過ごす事になりました。

安いチケットでは船内に入れず、甲板にいなければなりません

夏なら星空眺めてと気持ちもいいが、2月では寒い、私は寝袋も持っていませんでした。

数人の旅行者と相談し、最終の見回りの後に、船室に入り込み、空いている椅子に座りました。

アテネから来た日本の女性と知り合い、パトラスからアテネまで一緒に行きました。

 

パトラスの港に着き、彼女の後を追うように駅に行きました。

アテネ行きの列車に乗ると、車内はテレビドラマで見る戦時中の買出しのような雰囲気でした。

エーゲ海のギリシャとはイメージがかけ離れて、

当時の通貨ドラクマは国際通貨ではなく、国外に出れば紙切れでした。

ドルも貴重でアテネは航空券もドル買いで安かった。

アテネに着いたのは、夜中でしたがが、日本女性の常宿にしているプラカ地区に行く事にしました。

タクシーの交渉も彼女がして、無事、安宿に泊まる事が出来ました。

アクロポリスの丘のパルテノン宮殿をバックに撮っている、日本人の撮影隊にあいました。

クイズ番組の正解シーンに使うようでしたが、やっぱりここでもTVとご縁がありました。

世界遺産をバックに写したこの写真、何だか勇ましくて、好きですね。

つづく


1984年ヨーロッパの旅 ローマ

2018-08-15 09:42:59 | 

オードリヘプバーンがスクターに乗っていても、おかしくないようなローマの街並みでした。

カナダから日本に帰るのに、ニューヨーク経由でヨーロッパを見てからと思ったのは、

ハンブルクに知人がいたのと、北欧のニットが見たいからでしたが、

バンクーバーで知り合ったフランス人がパリに居たのも、理由のひとつです。

パリから帰るつもりが、友人から「南を見て、アテネでチケット買うと安いよ」のひと言で、

ローマに途中下車したのも、事前に調べも無く、かなり感性をアップできたと今は思います。

市場好きな私は、ローマでも覗きにきに行きました。

裏はこんな感じで、何だかアメ横のような雰囲気でした。

ローマと言えば、トレビの泉。

見物人も多く、どうやらCMの撮影のようです。

TVと縁多い私だけれど、アテネでも撮影に遭遇します。

パリとは違うお洒落感がありますね。

バスも遺跡の街に合うオレンジ色。

ローマの休日で有名なスペイン階段。

階段から見ると、噴水があって街の中にあります。

ローマは噴水が多い、日本の井戸のような感覚なのかな?

古くても侘び寂びの世界を感じます。

ローマのカラカラ浴場の跡地。

テルマエ・ロマエはラテン語でローマの浴場の意味です。

歴史は面白いと思うけど、年号とか名前が入って来ないのが残念。

コロッセオやフォロ・ロマーノ、ローマは遺跡の街という印象がありました。

当時のインスタントカメラでは、その全景は撮れませんが、歴史の中に入った気分でした。

馬に乗る警察官を見たり、ローマ大学の食堂に行ったり、楽しく過ごせました。

結局、ローマに4~5日滞在してブリンディシに向かった。

 

ここから、ギリシャのパトラスまで船に乗り、パトラスからアテネまでの列車の乗車券が、

トランスアルピーノでパリで購入したチケットでした。

時刻とか詳しく調べないで、乗り継ぐままに乗船しました。

チケットの有効期限は2週間位あったようにも記憶していますが、

何となく流れのままに目的地に向かっていました。

つづく



 


1984年ヨーロッパの旅 TGVでイタリアへ バチカン市国

2018-08-15 07:38:14 | 

1984年の1月の末

ユーレイルパスの条件が合わず、購入できなかったので、

友人の勧めで、トランスアルピーノという格安長距離切符で、イタリアに向かいました。

パリからアテネまでの切符で、驚いたのはTGVに乗れた事

トランスアルピーノはアルプス越えの意味があるようで、

乗り換え駅でアルプスの山が綺麗に見えました。

当時、日本でも周遊券という安い切符があったが、新幹線など使えない。

青春切符は鈍行のみという事からすると、本当に乗っていいのだろうかと疑ったくらいです。

外国人専用のジャパンレールパスも、一週間3万円足らずで新幹線が利用できるから、

外人さんは優遇されているのでしょうね。

乗り換えてトリノかミラノに向かい、駅で一夜過ごして、ローマにたどり着いた。

サラエボオリンピックの開幕前でしたが、世間の事などまったく考えずに旅をしていました。

ローマはユースホステルを利用し、先ずはバチカン市国へ。

最小の主権国家、バチカン市国、1984年に全体が世界遺産に登録されている。

街がとても奇麗で、聖堂の屋上から写しました。

日本人の信者さん、女性だったように思いますが、

いろいろ説明され、案内をして頂いたが、あまり記憶が無いのが残念。

観光地にあるお土産物屋さんがなく、信者さんに必要な物だけを売る店が、通りに並んでいました。

そして街は清掃したばかりのような気配があり、宗教心の無い私でも感じるものがありました。

つづく


1984年ヨーロッパの旅 ヴェルサイユ宮殿

2018-08-13 07:00:19 | 

ヴェルサイユ宮殿と庭園が、世界文化遺産に登録されたのは1979年。

私達の世代なら、漫画「ベルサイユのばら」はあまりにも有名。

私が訪れたのは1985年、名所旧跡は意識しなかったけど、ここは特別でした。

ヴェルサイユはパリから20k程離れている。

 

日本人の観光客に紛れて、説明を受けました。

時間もたっぷり、庭園も行きました。

現実にマリーアントワネットが、ここで過ごしたかと思うとため息がでました。

侘び寂びの気配、美意識の高さ、さすがですね。

庭園内は解放され、歩けるようにもなっています。

毎日、世界遺産の中を歩いて通勤している人達にも出会いました。

ゴミ箱もゴミも無かったように記憶しています。

ヴェルサイユ宮殿、特にプチトリアノンは今思うと懐かしい未来のようです。

21世紀になり、今でも変わらない姿でしょうか?

 

私はパリからスイスに行き、スキーをして帰国する予定でした。

友人から「日本でスキーは出来ないのか?」と問われ、南へ行くことを勧められました。

そしてバチカン市国は見るべきだとも言われ、

イタリアへ南下して、その先は後で考えようとパリを離れました。

つづく