畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

連載47『小屋仕舞』その後

2016-10-17 06:09:20 | 登山



    小屋仕舞

 昭和45年の11月3日、文化の日の越後駒ケ岳は降雪の後の通例で、
眩しいほどに晴れ上がっていた。
10月の初雪から、何回かの降雪を経て、根雪となり深い雪に覆われるのだ。

 山友達が、駒の小屋の番人「星六松」氏と付き合いがあり、小屋仕舞の手伝いを約束していた。
そのため、私を入れて3人の仲間と、通称「駒の六さん」と彼の娘さんの、
小学校6年生のミチ子ちゃんの5人で新雪の駒に登ったのである。
 
 私にとって、その年は春山から初めて、最も数多くの山行をした年だった。
 駒の湯からの、コースの急登も徐々に雪が深くなり、小屋に到着する頃には膝を越える積雪となっていた。
元気な5人は小屋で、ゆっくりと昼御飯を食べ、小屋仕舞に取りかかった。

 私は小屋から一登りした山頂のステンレスの道標を外し、小屋まで担いで小屋に片付けた。
他のメンバーは、小屋の掃除、気象観測の結果を送信する無線機器の撤去等、
仕事は多かったが、天候の変化を考えると、小屋の時間を何時までも楽しむゆとりは無かった。

 取り外した、無線機器等を背に帰途についた。
雪で白く輝き、青空に吸い込まれるような駒ケ岳の、山頂を振り返りつつ、
他愛の無い冗談を交わしながらの下山は楽しかった。
交替で重い無線機器を背負ったが、なぜか六さんが背にすると、
斜めになり背中から落ちそうになるのが可笑しかった。

 真面目なのに、何をやってもユーモラスになり、しかし、何処かにペーソスを漂わせた、
独特の人格で多くの登山家に愛され、山好きな人達の間では結構有名な、小屋番だったのだ。

 その翌年の10月末、あれほどベテランで、駒ケ岳の気象にも地形にも精通した六さんが遭難した。
一旦下山してから、風邪気味の体調を押し、連休に登る登山者の面倒を見るために小屋を目指し、
小屋の直下、もう一歩でたどり着く所で、吹雪の中無念の死をとげってしまった。

 葬式に小屋仕舞の約束をした友と、駆け付けた。
その友も、十年余り後、越後三山の縦走中に、滑落して、六さんの後を追ってしまった。


(昨日は、驚きの対面をしました。なんと、この記事を目に留められた「星六松」さんの、

お孫さんが農天市場を訪問してくださったのです。だるまちゃんです。と自己紹介をしてくださいました。

 もうお会いしてから45年も経つというのに、だるまちゃんに星六松さんの面影を見出し、

不覚にも涙してしまったスベルべでした。スベルべママもこの山のお話と同時期に、高校スキー部の、

夏合宿で、星六松さんにはお世話になっていて、私たち三人はしばし昔話に浸ったのでした。

もっとも、あの遭難事故時には幼い子供だっただるまちゃんには祖父の思い出は残っていないとか。

いずれにせよ、ブログが取り持つ縁とも言える奇跡的な出会いでした。)

 

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9 コメント

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Unknown (ピースママ~♪)
2015-12-05 09:45:45
う~~ん つらいですね。

自然は本当にいいけど突然牙をむくんですよね~♪
ピースママ様 (スベルべ)
2015-12-06 07:29:49
 この「六さん」遭難には凄いドラマが隠されていました。
ある高校の山岳部がこの山をベースに使っていて付き合いが深かった。
その彼らが編集した追悼文集を偶然手に入れて、改めて感動。
本当に素晴らしい人だったが、素晴らしい人ほど早くいなくなり、
凡人スベルべの様なものが生き残っています(笑)。
ありがとうございます。 (だるまちゃん。)
2016-10-10 23:47:17
初めまして。
実は私は星六松の孫です。
とは言っても、まだ小さかった私には六松じいちゃんの記憶はありません。
両親や親戚の話や追悼誌からその人となりを想像し、心の中で特別な人として小さな頃から存在しています。
とは言え祖母も母も他界し、叔父や叔母も魚沼を離れ、長い時間が流れた今、なかなか六松じいちゃんの話題が上ることも無くなりました。
そんな折、偶然この書き込みを見て思わず嬉しくなりました。
今でもまだ、六松じいちゃんを忘れずに居てくれてありがとうございます。

どうかお元気で山を楽しむ時間が長く続きますように。
だるまちゃん様 (スベルべ)
2016-10-11 04:31:27
 驚きました。そして、思わず目頭が熱くなりました。
私の手元にも「駒の六さん」と言う追悼文集があります。
初版第二刷200部限定出版の通しナンバー43が偶然手に入ったのでした。
(初版第一刷は500部限定とありますから、要望が強くて追加出版されたようです)
追悼文集で見ると、六松さんがお亡くなりになられた前年に私たち山友達三人だけが、
小屋仕舞のお手伝いできたことも奇跡のように感じるほどです。
本当にたくさんの登山者に愛される人柄で、六松さんに会いたいだけで登る人も多かったですね。
六松さんの年譜を見ると、娘さんが4人いらっしゃったようですから、
貴女はそのうちのどなたかの娘さんと言う事になるのかな。
もしも、魚沼にお越しいただける機会がありましたら、ぜひ我が家にもお立ち寄りください。
上越線北堀之内駅前の、国道側から2軒目の緑の屋根が我が家ですから。
連載と銘打ったようにこの文章は地元の週一回発行の新聞に掲載したものです。
「越南タイムス」と言う新聞で、私は昨年の正月明けから連載を載せていただいています。
週一回と言っても今は84回目を数え、ジャンルも山菜採り、魚釣りなどと続け、
山も好きでしたので、登山のお話も一連で連載したのでした。
奇跡的な奇遇とも言えるコメントに出会い本当にうれしく思います。
だるまちゃん様 (スベルべ)
2016-10-11 06:51:48
 追伸
 連載49の「単独行」も星六松さんとの駒の小屋での触れ合いを書いております。
台風崩れの雨の中を強行して登山。
小屋では六松さんと二人だけになったのではなかったかなー、いやもう一人いたかな。
小屋の下の水場に自分のポリタンと、六松さんに頼まれたヤカンを持って、
水を汲みに行き滑って転び、足がけいれんしてしばらく立ち上がれませんでした。
そして、中の岳に向かうかどうか迷っているときに、ポツリと止めた方が良いと諭されました。
無理をして向かっていたら、きっと途中で遭難していたと思います。
そのことで、六松さんは私の命の恩人だったかも知れません。
スベルベ様。 (だるまちゃん。)
2016-10-12 20:34:30
早速返信頂き、ありがとうございます!
温かいお言葉が胸に染みます。

気がつけばもうすぐ命日がやって来ます。
このご縁も六松じいちゃんのお導きでしょうかね。

私は実家は魚沼市ですが、現在は南魚沼市に嫁いでおります。
もし機会があれば、私も是非お話を伺いたいです。
だるまちゃん様 (スベルべ)
2016-10-14 04:55:54
 そうですねー、もうご命日、雪の季節がそこまでやってきましたね。
「いつかある日~山で死んだら~古い山の友よ伝えてくれ~🎵」
そんな山の歌がありますが、涙をこらえて口ずさんだこともありました。
私は土、日曜日の日中は北堀之内駅近くの国道沿いで「農天市場」と言う直売所をしています。
そちらにお立ち寄り頂いても結構ですし、駅前通りの我が家にお越しいただいても結構ですよ。
ただ、普段は畑にいることが多く、朝夕とお昼前後しか在宅しないかもしれませんが。
Unknown (ミケ)
2016-10-17 23:55:58
山が好きで山小屋泊まりも多かったのですが小屋開きや小屋仕舞いは話に聞くだけでした。なかなか大変なんですね。小屋開き直後の山小屋では屋根に布団が干してありましたっけ。遭難の話も聞きました。山は危険がいっぱいですね。私もよく無事だったと今になって思います。
それでも若い頃に山に登っていたことはいい思い出になっています。山の歌を聞いても歌詞に出てくる山が行ったことのあるところだと灌漑深いものがあります。
ミケ様 (スベルべ)
2016-10-19 04:18:02
 あの頃は気象観測データを報告したり、連絡に使う無線も古くて重いものでした。
小屋だけではなくて、頂上の道標なども雪で壊れないように片付けるなど、
仕事はいくつもありました。
山は低山であっても、絶対に安全と言う事はありませんからね。
越後駒ケ岳はその後、下の娘が小学校一年生、義母が65歳の時に一緒に登り、
頂上直下の駒の小屋に一泊してきましたが、管理人は何代か後の人でした。

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