先週の木曜日大学公開講座の日本語の授業に行ったら、生徒のみんなが教室に突然出てきて、サプライズ誕生日パーティということで僕の誕生日を祝ってもらった。
風船で教室を飾り、生徒はとんがり帽子をかぶり、プレゼントにポルトアレグレの住民が使う語彙の辞書、ケーキまでもらった。本当にありがたい。教師冥利に尽きると言える。
サラリーマンをしていたら、まず起こりえない事であり、日本でもあまりしないことなのではないかと思う。やはりブラジル人の心の温かさとパーティー好きの国民性からくるものではないだろうか。ブラジルに住んでいて良かった点ではないかと思う。
そもそも生徒が僕の誕生日を知っていたのは、今年3月末にOrkutを始めたからである。プロフィールのところに誕生日を記載する欄があるのだ。
3,4年前に流行したのにも関わらず、僕自身がOrkutを頑なに拒んでいた大きな理由は、個人情報の公開で、プライバシーが侵害の件であった。でも、本当に公開したくなければ情報を記載しなければいいだけの話である。
ブラジルのOrkutとMixiの大きな違いは実名・写真の公開だと思う。Mixiを見ていると日本人で実名を出している人を見たことがないし、本人の写真を公開している人も少ない。一方、Orkutの場合、多くのブラジル人が実名でアカウントを作り、写真も本人の写真を公開している人が本当に多い。
Orkutに関する新聞の記事で、これらの情報を使った誘拐事件や詐欺事件などが行われている状況が報告されている。また、他の記事ではOrkutにおける友達・人脈やその他の情報が会社への就職時に審査されるという記事も見かけた。ブラジルでのOrkutの影響力は絶大であると言える。
3ヶ月ほど試して見て分かってきたことだが、ブラジル人のOrkutの使用目的は、友達にメッセージを送ってコミュニケーションを図ったり、自分が打ち込んでいることを皆に見せたり、写真を公開して自分が楽しんでいる様子を皆に知ってもらうことのようだ。つまり、ひたすら目立つことである。
この辺が日本のMixiと趣旨が少し異なるような気がする。日本の場合、目立とうとする人は嫌われる傾向がある。「出る杭は打たれる」文化だからである。従って、日本人の場合謙虚にひっそりと自慢するという形が取られる。でも、本心としては自分の世界を知ってもらいたいという気持ちもあるわけで、そのへんのさじ加減が難しい。
実はブラジル人も高慢な人は嫌いなのだ。だから、あまり自我が強すぎる人は避けられる傾向がある。でも、基本的に普通に目立つ場合には問題ない。だから、週末に何か特別なことをして写真を撮ると、すぐアップロードする。
また、Mixiは日記機能がかなり利用されているが、Orkutには日記機能はない。日記を書きたかったら、ブログで書けということだろう。その代わり、個人のプロフィール欄はかなりの細かい部分まで書ける。
日本の場合、治安が格段にいいのに、個人情報は極力出さずに、偽名で日記なんかをこまめに書いて、知人からのコメントをもらったり、コンタクトを保つことを目的とする。一方、ブラジルの場合、治安が悪いにも関わらず、個人情報をかなりの割合で公開し、日記などチマチマしたことはせずに、写真なども公開して自分を大いにアピールすることを目的とする。
何だかその使い方に国民性が出ていて面白い。
風船で教室を飾り、生徒はとんがり帽子をかぶり、プレゼントにポルトアレグレの住民が使う語彙の辞書、ケーキまでもらった。本当にありがたい。教師冥利に尽きると言える。
サラリーマンをしていたら、まず起こりえない事であり、日本でもあまりしないことなのではないかと思う。やはりブラジル人の心の温かさとパーティー好きの国民性からくるものではないだろうか。ブラジルに住んでいて良かった点ではないかと思う。
そもそも生徒が僕の誕生日を知っていたのは、今年3月末にOrkutを始めたからである。プロフィールのところに誕生日を記載する欄があるのだ。
3,4年前に流行したのにも関わらず、僕自身がOrkutを頑なに拒んでいた大きな理由は、個人情報の公開で、プライバシーが侵害の件であった。でも、本当に公開したくなければ情報を記載しなければいいだけの話である。
ブラジルのOrkutとMixiの大きな違いは実名・写真の公開だと思う。Mixiを見ていると日本人で実名を出している人を見たことがないし、本人の写真を公開している人も少ない。一方、Orkutの場合、多くのブラジル人が実名でアカウントを作り、写真も本人の写真を公開している人が本当に多い。
Orkutに関する新聞の記事で、これらの情報を使った誘拐事件や詐欺事件などが行われている状況が報告されている。また、他の記事ではOrkutにおける友達・人脈やその他の情報が会社への就職時に審査されるという記事も見かけた。ブラジルでのOrkutの影響力は絶大であると言える。
3ヶ月ほど試して見て分かってきたことだが、ブラジル人のOrkutの使用目的は、友達にメッセージを送ってコミュニケーションを図ったり、自分が打ち込んでいることを皆に見せたり、写真を公開して自分が楽しんでいる様子を皆に知ってもらうことのようだ。つまり、ひたすら目立つことである。
この辺が日本のMixiと趣旨が少し異なるような気がする。日本の場合、目立とうとする人は嫌われる傾向がある。「出る杭は打たれる」文化だからである。従って、日本人の場合謙虚にひっそりと自慢するという形が取られる。でも、本心としては自分の世界を知ってもらいたいという気持ちもあるわけで、そのへんのさじ加減が難しい。
実はブラジル人も高慢な人は嫌いなのだ。だから、あまり自我が強すぎる人は避けられる傾向がある。でも、基本的に普通に目立つ場合には問題ない。だから、週末に何か特別なことをして写真を撮ると、すぐアップロードする。
また、Mixiは日記機能がかなり利用されているが、Orkutには日記機能はない。日記を書きたかったら、ブログで書けということだろう。その代わり、個人のプロフィール欄はかなりの細かい部分まで書ける。
日本の場合、治安が格段にいいのに、個人情報は極力出さずに、偽名で日記なんかをこまめに書いて、知人からのコメントをもらったり、コンタクトを保つことを目的とする。一方、ブラジルの場合、治安が悪いにも関わらず、個人情報をかなりの割合で公開し、日記などチマチマしたことはせずに、写真なども公開して自分を大いにアピールすることを目的とする。
何だかその使い方に国民性が出ていて面白い。















日本の若者達の間ではSNSやプロフサイト等、最近は小中学生も携帯で楽しんでいるようです。人間関係が広く、便利になる反面、生の人間関係を構築する場が希薄になっているようにも感じます。
よき人間関係を構築していく能力は社会の中で一番必要とされる能力だと思うのですが、そこにスポットをあてて、教育の中に取り入れている教育機関はフォーマル教育の現場でもノンフォーマル教育現場でも少ないと思います。
出る杭は打たれてしまう文化といのうは私も好きではあります。打たれたくなければ、打たれないような強い自分を作るしかないと思います。日本人は危機意識が高いのか、自分が打ち込まれない為にも出る杭を打ちまくる傾向があるようです・・・
学習者達が日本の社会を十分理解してしまったら幻滅してしまうような社会になりつつあるような気がします。
日本の文化は大変素晴らしいと思うのですが、その文化を他の文化の成長のために役立てようという考えに至らない若者しかいないという現状は非常に悲しいことだと思います。
人間と言うのは孤独です。だから、誰かとつながっているという感覚がないと寂しいわけです。
日本の教育は平均的な質の高いサラリーマンを大量に育成するのには適した教育です。その短所が没個性化。子供一人一人の才能を伸ばさせようとしません。従って、秀才は多く生まれても、天才は出てこない。
ブラジルの教育は個性の成長を許す教育。伸ばそうとはしていない。ただ、日本と違って子供の個性をつぶそうとはしない。従って、天才はたまに出てくるが、生徒全体の質はとても低い。
何でも中庸がいいのではないでしょうか。
私の近くに天才が1人いるのですが、頭の中のOSが普通の人とまったく違うような感じです。
近い将来、文化的に近いブラジルの日系人の子供達と日本の子供達とを交流させてあげたいと思っております。