82 コメント

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うんうん (Fam)
2009-08-31 09:15:10
そうですね
全てを知って初めて答えに辿りつく

段階があるのは間違いないのですよね

イリス様がこうやって書かれることは無駄ではありませんしね。

神は黙して語らず

御釈迦様が相談してくる相手ごとに発する言葉を変えていたのもそういう理由ですよね。

相手が受け入れられない事を諭しても意味が無いのです。

今、この時に必要な事を伝えてあげることが重要なんですね。

ですので教義などの経典を残すなとおっしゃるわけです。受け取り方により変わってしまうから。

私は仏教って答えの無いなぞなぞ本だと観じています。
これこれ、こういう時に、こういう話をしました。それを観てあなたはどう思いますか?
と、いうのが仏教の真髄なのではないかな?と、思います。

ま、私も仏教をきちんと勉強したわけではありませんが、そうだと確信しています。
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ドラマの中での役柄 (ものぐさ)
2009-08-31 12:31:54
大丈夫ですよ。イリスさんの意図するドラマの
意味は私にはちゃんと伝わってますから(笑)

私の人生のドラマの役は前もって決まっていて
変更はできません。一生悲劇の役を演じてください
生まれる前からの約束です。と捉えたら
これほど理不尽で納得いかないことはないかも
知れません。

けれど、自由に生きていいのですよ。
どんな役を演じて生きていくのも自由です。
与えられた環境や状況の中で幸せな役でも
不幸な役でも好きな役を
好きなだけ演じていいですよと・・・。

あなたの人生のドラマでは、あなたが主人公です。
あなたはどんな成長をしていきますか?
でもあなたの人生で出てくる脇役の方も全て
あなたが演じています。

自分ではそんな意識は持てないでしょうけど
でもあなたが一人何役も演じています。

だから誰かを傷つければ自分を傷つけることになり
誰かを愛せば自分が愛されることになる。

自分のドラマの中で自分に関わる脇役の方を
よく見てください。
あなたの知らないあなたを鏡のように映し出し
憎まれ役もかって出てくれます。
優しさや思いやりであなたは「愛」だと教えてくれます。
きっとあなたにも同じ部分があるはずです。

決して認めることも許すこともできない方でも
出来事でもあなたも役が変われば同じ事をする
可能性があります。

同じでありながら、どうして私のほうがマシだと言い切れるのですか?

どうして私が正しいと言い切れるのですか?

人を殺めることもだますことも裏切ることも
傷つけることも批判することも私はしない!!

そう言うほうがよほどの奇麗事だと思ってしまいます。

光にも闇にも傾く可能性がある自分を知っていくからこそ
自分のあり方に意識していくことが大事なのですよ。

と言う私の人生のドラマを私は演じています。

ちなみに息子のドラマの中では私は「鬼母」の
役のようです(汗)

演じているつもりで、無意識でいると
鬼になりきってしまっていますけど(T-T)
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きゃ~!! (ものぐさ)
2009-08-31 12:45:03
自分のコメント離れてみたら、長くなりすぎです。
イリスさんごめんなさい(汗)
あくまで私の場合ですので、皆様流してくださいませ~(汗)
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思ったこと (neko)
2009-08-31 13:16:09
あきのさんの言いたいこともわからんでもないが(というか、私自身もさわらさんの伝えることがまだまだしっくりこない方ですが)、さわらさんの仰るように、「ドラマ」とか「演じる」という意味について、完全に解釈が間違っているように思います。

「演じる」といっても、何も演じていることを意識して、「本当の自分とは違う人柄の役を演じている」ということではないですよね?

だから、母親の我が子に対する愛情は、「本当は愛情などないのに、愛情があるかのように演じている」わけではないと思いますよ。

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『丁度よい』 (旅がらす)
2009-08-31 14:12:30
たぶん、誰にだって人に云えない苦しみや哀しみは あるものですよね

それぞれに その人なりの
いまを『体験』してるだけだと思ってます

もちろん、自分を取り巻く世界や因縁の影響も受けもし、いろんな事象からメッセージを受けつつ、その時その時の判断、選択、他に委ねることで・・思いもよらない変化は起こっていきますけど

体験してる
体験しにきてる

昨日、動物園のおサルさん親子に学んだこと・・

『愛すること』

『信頼』

生きてりゃいろいろあるけど・・自分には

良寛和尚の『丁度よい』のことばがしっくりくるんだけれど

おまえにはそれが丁度よい・・

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ありがとうございました! (まかろん)
2009-08-31 14:16:45
お早うございます。土日とパソコンから遠ざかっていたため、イリスさん始め、多くの方のコメントを頂いていたことに気付きませんでした。お礼を申し上げるのが遅くなり、申し訳ありませんでした。

「本当は何一つ傷ついていない」というのは、以前イリスさんがおっしゃってた、ゲームの中の話、と思えばそうかもしれません。
正直なところ今は、本当に渦中だった日々は10年以上昔で、後はその後遺症にずっと悩まされてきた、という、今地獄をみている人から見ればユルい状況だからイリスさんの言葉を受け入れても良いかも、なんて思っているだけかもしれません。

そう信じたがっているだけでしょ、と言われたら、にわか信者には返す言葉もありません。

なので、大変恥ずかしい感想なのですが、それでもやっぱりイリスさんの言葉は分かるような気がしました。

「本当は傷ついていない」というのはまだ実感として分からないのですが、あの体験があったからいろいろなことを考えることができた、と思うんです。
(残念ながら、ずっとずっと考えてはきたのですが、まだご覧の通り、ウロウロしております)

そして、それをやった父はそれがどんな衝撃を子供に与えたか分からないでしょうが、私は分かります。
また、自分の子供を持った時どうすれば良いか、さっぱり分かりませんが、アレはダメだ、ということは分かります。

ものぐささんがおっしゃってた、「負の連鎖を断ち切る」ことができるかもしれません。
舞姫さんがおっしゃってましたが、「親も自分のドラマを必死に生きてきただけ」。
全くそうだと思います。
最近、少しずつ父への感情を切り離してみるようにしていたところ、父もそのまた母親へ遺恨があったようで、そういった話をする父を見て、「この人も一人の人間だったんだなぁ」と思う時があります。
きっとそういった負のエネルギーの行き場を子供に求めるしかなかったのかもしれない、と少し思います。

こはきゅさんのおっしゃる通り、「~であるべきなのにっ!」と父に期待していた自分がいます。そうして「私は可哀想なのよ、なんとかしてっ」とやっていたように思います・・・。

イリスさんの記事を読んで思ったのですが、別に父のやったことを「許す」、つまり悪いことに目をつぶれ、ということはしないで良いのかな、と。
彼は間違ったことをした(いや、この判断もいけないのかもしれませんが)、その通り、そこは認めて良い、でも、彼にも事情があった、私も過大な期待をかけ、また可哀想な自分に酔っていた、だから悪いことを悪い、と認める以上の責めはもう止めよう、っていうか・・・。

真摯に感想を書こうとすればする程、ほころびが大きくなってしまいます・・・。

長文・悪文ですみません。
イリスさん、Famさん、ものぐささん、舞姫さん、みぃさん、ポケチューさん、その他、お時間を取って頂いた皆様に心から感謝を致します。

匿名希望さんの「なんで自分の母親を殺さないでこれたのかわかりません」という言葉には胸を突かれました。
またあきのさんがそれだけ深く追求されるのは、やはりそれだけ深い痛みがあるからだと思います(30日の質疑応答はこれからじっくり拝見いたします。すごく勉強になる内容と見受けました)。

イリスさんより更に言葉足らずで申し訳ないのですが、イリスさんとコメントを下さった皆様、またいろいろ派生して意見を寄せられた皆様、本当にありがとうございました。
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連投 (^_^;)ゞ (旅がらす)
2009-08-31 14:29:11

いろんな紛争や事故、病気で命をおとしてゆく人もいる

神もそれを承諾してる

自分でさえ多くの動植物の命の犠牲の上に生きている

互いに生きて、生かされている

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時間はないけど (かるら)
2009-08-31 15:24:53
10年前、おそらくさわらさんの言ってることは理解できなかった。
スピ知らずで必死に生きていた。

今、水が染み入るほど
さわらさんの言ってることが理解できる自分がいる。

では今、どちらを選びますか?

さわらさん言ってることを選びます。
自分の中の「揺るがないもの」と同じだから。
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目指すものは同じ (Leaf)
2009-08-31 16:10:52
こんにちは。

それぞれのアプローチの仕方が違うだけで、
イリス(さわら)さんもあきのさんも、自分もどんな人も
目指すところは一緒なのかもしれないな、と感じました。

心(感情)や身体は傷ついても、
その奥にあるもっとも神聖なもの(魂?)、
その人の存在そのものは傷ついていない、穢されていない。
そう解釈してもいいのかな?

「夢」や「ゲーム」「ドラマ」という言葉を使うと、
どうしても現実逃避をして虚構の世界に逃げているような
イメージが浮かんでしまうけど、
イリスさんのおっしゃっていることは、
厳しい現実世界を生き抜いていくための”軸”を
しっかりと持つということ、
苦しみや悲しみと正面から向き合うために必要な生き方の姿勢、
そういうことのような気がしています。
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初めまして。 (篠崎由羅)
2009-08-31 17:40:46
記事、拝見させて頂きました。
イリスさんのように、すべてを「達観された」方であれば、是非、このことを一度ご一考頂けたらと存じます。

◆地獄の中で、愛を唱える勇気があるか?

1994年に起こった「ルワンダ紛争」のことは、ご存知と思いますが、その実話を元にして作られた映画「ルワンダ・ホテル」「ルワンダの涙」という作品のことは、ご存知でしょうか?
もしよろしければ、一度ご覧になってください。
そして、ご自身で是非、問いかけなさってみて下さい。(勿論、イリスさんが「これ以上枠を広げられない」という状態であれば、無理強いは致しません。)

◆自分が紛争時フツ族だったら、虐殺されるツチ族を目の前にして助けに行けただろうか?

◆自分がツチ族で、家族が目の前で殺されていく中でも、すべてを赦せるだろうか?

◆自分がフツ族で、ナタを手に渡され「ツチ族を殺せ」と言われた時、それを拒めるだろうか?

◆自分が国連職員だったら、残されるツチ族達と運命を共に出来たか?

この時、ご自身の姿勢をどれだけ維持出来るか――是非、ご一考なさってください。
愛とは、「地獄の中」でこそ本当の光を放つものだと――私はそう思います。
その証明を、映画「ルワンダの涙」の中で、クリストファー神父が証明してくれています。

所詮私達は、先進諸国で、豊かな国と飽食の中で生きる存在です。
日本は、管理された「熱帯魚の水槽」のようなものです。(でも近々、この境界が解かれる危険性を、私は感じています。)
自分達の苦悩を卒業した後は、地球上に生きる兄弟達の苦悩を取り払う番ではないでしょうか?
勿論、そこまで強くなれる人間は――そうそういません。(それだけの強さがないから、私達はこうした「甘い国」に転生してきたのだと、私はそう痛感しています。)

私は今、日本のカルマの深さを体感している最中です。

>旅がらす様

初めまして。横レス、失礼致します。
紛争や飢餓を、神は決して承諾されていない――私はそう確信しています。
それは、資本主義国家の揺らぎが証明しています。もし神が紛争や飢餓を承諾し、理不尽な支配の元で苦しんでいる人々を承諾しているのであれば、金融不安が果たして起きたでしょうか?
原因不明のウィルスが流行るようなことが、あったでしょうか?
日本が、先進諸国であるにも関わらず自殺大国と言われるような現状が起こるでしょうか?

時代は、究極な局面を迎えています。
世界の現状を知ることが、先進諸国で甘い蜜を吸ってきた私達にとって、優先すべき事柄なのではないでしょうか?

※ご自身の問題をまずは優先的に考えたい、という方は世界の問題に目を向けなくて結構です。何故なら、それほどまでに「闇が深い」からです(私は事実、そうしたアフリカに関するNGOの知人、国際機関の友人・知人が大勢いる為、現状を見聞きしているから知っているというだけの話ですので)。

ただ、「日本の現状が、世界の現状だ」とだけは、絶対に思わないでください。
そして、日本で言う「愛」が、世界で通用するとは思わないで頂きたいのです。

世界の闇は――もっと「深い」のです。
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