愉快な認知症🇯🇵

我が家流/父から学ぶ「これでいいのだ!」人間本来の姿

父との楽しいおもひで②/拾い物は宝物

2016年12月24日 | 出来事日記
ちょっと昔の文章を読み返してみた。
こっちに転載してなかったので、そのまま載せておこう。
在りし日の父との楽しいおもひで・・・②

(ブログ【神子屋教育】 2007.06.23掲載文から)
父の突然のマジック「不思議なポケット」から出てくるものは、飴やチョコレートなどのお菓子のほか、道で拾った壊れたキーホルダーや鍵などの金属物や、家の庭で拾った小石や昔のタイルだったり、『え!?』と思うような見覚えの無い時計やどこかのお店の領収書だったりとさまざまです。
どういう基準で拾い物をしているのやら??と、首をかしげるものも多いのですが、どうやら父にとってはそれなりのこだわりがちゃんとあるようで、石などは確かにいい色や形をしているものが多くなかなかマニアックだったりします。

壊れかけの落ちている物や修繕すれば使えそうな物は、工夫上手(だった)な父にとってはきっと宝物に感じられるのでしょう。
今とは違い、物自体があまり無く貧しかった父の子供時代、物を大事に大事に使っていた時代、そんな時代を生きた父の目に映る拾い物はおそらく大事な宝物なのでしょう。
今までで、父が拾ってきた究極のお宝は、手彫りの飾りが施された立派な長方形のテーブルです。
買えば結構なお値段だと思われます。

仕事から帰宅したら、いきなり部屋の真ん中に見たことの無い大きなテーブルが現れ、さすがに母もビックリしたそうです。
とても一人では運べない大きさと重さの代物に、母が事情を聞いたところ、それはまだまだ使えそうな物たちが捨てられていた「粗大ゴミ」の山から、父に拾われて来たもののようでした。
しかも、どうもかなり遠くの集積場所から時間をかけ、休み休み運んで来たらしいのです。(父は言葉を覚え始めた子供ぐらいしか、ちゃんとした言語が出てこないので本当のところはよく分かりません。)
しかし、一人で運んで来たのは間違いなく確かです。

母からそのことを聞き話を分析するにつけ、かなりの時間と労力をかけ一所懸命運んで来たことが推測されました。
ヨロヨロになりながら自宅まで運び切った父の姿を思うと、私は何とも言えない切ない気持ちになりましたが、しかし片方では父の「勿体無い精神」とその根性には大いに感心もしました。
父は部屋の真ん中に自分のその戦利品をドーン!と置いて、誇らしげに母に見せ褒めてもらいたかったのでしょうが、当の母は拾ってこられたその迷惑なお宝には内心喜べずにいました。
子供のように自慢する父に対しそんな思いを露骨に出せず、いつしか父の知らぬまに再び「粗大ゴミ」へと目論んでいました。

実際のところ、そのテーブルは捨てるには「非常に勿体無い!」と思える立派なお宝であり、まだ十分使えて捨てるには忍びない宝物でした。
そんなテーブルの命を父は救い出し生かそうとしたのだと、私は勝手に解釈していました。
なので母の目論みを聞き、父の関心が冷めたころ我が家に引き取ることを私は申し出ました。
現在、そのテーブルは我が家にあり父の拾い物の命はちゃんと生かされて大いに活躍しています。
でも当の本人は、テーブルが自分の家から移動したことなど全く気が付いていない様子ですが・・・クスクス!(笑)

思えば、きらきら光るガラスの破片やきれいな色をした石、壊れていて明らかに捨てられたようなものでさえ、宝物に映ったそれらを発見し拾うときの私の子供心も、とてもウキウキ!ワクワク!したのを覚えています。
父もそんなウキウキ!ワクワク!な気持ちで、宝物を拾っているのかも知れません。
今もって子供心を感覚的に維持している方の私なので、子供心を持った父の取る行動の源を実はかなり理解できたりするのです。
でもこの感覚は、父のような子供心を持つ認知症の人に対するポイントかも知れません。

自分が子供のときに感じたこと思ったこと。
こういうとき幼い自分ならどんな気持ちになりどのような行動を取るのか。
そんな風に父を眺めた時、父の奥底にある父をそうさせる源たちが見えてくるような気がします。
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