喫茶・野菊

ゆるく書いています。

憂鬱な日。

2017年02月12日 | 日記
またしても2月14日が来てしまう。

俗にいうバレンタインデーとはいったい何なのか。

【好きな男性に愛の告白をすると同時にチョコレートを進呈する日】だそうだが、
私の場合、ここ何十年も好きなひとにチョコをあげたためしはない。
むしろ、好きでもない人にあげなくてはいけないと悩まされる日であって
ちょっと前からかなり憂鬱になる。

夫がいるじゃないかというけれど、
そういうことをいう人は
じゃあ訊くが、
ご自分の夫が好きな人なんですか?
たいていの場合「そうでもない」と応え、
バレンタインデーの主旨から外れ、
自身の心にウソをつくことに
何の疑問もないのかと
言葉に詰まる。

これがあの曽野綾子女史なら
どういうだろう。
夫の三浦朱門氏に対して
チョコをあげているという想像はできない。

彼女は自分の心に真っ直ぐな人で
寸分の狂いもなく思想に揺らぎがない。
ガンコという古臭い物体が
首から十字架をさげて歩いているような人だ。

きれいごとが何よりも嫌いで
人間というのはいかにとんでもなく
いい振りこきで、薄汚れた考えを隠しながら生きるものだと
様々なエッセイにしたため
その後の酷評シャワーを浴びて喜んでいるドM作家でもある。

三浦朱門氏が死んだ。

私はこのひとの書いたものを読んだことはないが
曽野綾子が惚れた男なのだから
それなりに素晴らしい物書きなのだろうと思う。

けれど、好きという気持ちを最後まで持続していたかどうかまでは
わからない。
三浦氏の晩年は介護生活で
認知症でもあったようだ。
それを自宅で介護していたというのだから、
曽野氏も見上げたものである。

カネのかかる
それなりの病院施設に入所させれば
もう少し生きたのかもしれないが、
曽野氏の性質上、そういうことは選択の中にはなかったように思える。

夫を自宅に置き、
仕事をしながら様子をみて
容態が悪化して、よもや
逝ってしまったとしても、
「それはしかたがない。人間だものシヌわよ」と言いそうである。(想像です)

「バレンタインのチョコ?冗談じゃないわそんなもの。味のわからない認知症の人にあげてなんになるのよ」と
鼻で笑うだろう。正論ですね。

ただ、上記のことを世間にいうと
なんてひどいひとだ、病人をなんだと思っているんだと
吊るしあげられるだろうね。

世の中には
「こころにしみるいい話」を欲し
感動した、泣けたともてはやすけれど
物事を斜めに見る係りであるエッセイストや作家は
その後に必ず
「しかし、このイイ話の水面下では」と
本当のことを書かねばならない。
そして本当のことを書くと叩かれる。

米粒を残した子どもに
躾けとしてゲンコツを張るのが正解でも
イイ話好きの輩からは
残酷なオカルト映画になってしまう。

正論は嫌われ
ファンタジーは好まれる世の中になってしまった。

ハナシをバレンタインデーに戻すと
好きでもない男にチョコをあげるなんて
私らかすればオカルトなのだ。

まぁ年に一回、
安物をチョコを夫にあげて気分を良くしておき
じゃんじゃん働かせるという手口には使える。
男は単純だから
チョコごときで自分は妻に愛されていると勘違いするだろう。
安いもんですね。

こちとら全然、愛してなんていませんが、
その日に当然のごとくチョコをもらえるという
図々しさはどこからきたんだと感心しますよ。


恋では胸いっぱいになるけれど
愛では腹いっぱいにはならぬということを
妻は結婚生活で学んでいるはずなのだから。

時々、何十年経っても夫を好きの対象者にできる
奇特な妻もいることはいる。
10人中1名くらいはいる。
その1名の人は奇跡という名の世界で楽しく生きているので
そっとしておくことにしよう。

さて、

私は今年も好きなひとにチョコをあげられない。

どうしたもんかなぁ。







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