喫茶・野菊

ゆるく書いています。

「それはどうか?」と思う、ゆるまとめ。

2017年06月04日 | 日記
唐突だけど、

私はあまりにも「女性のために!」を連呼する女性政治家や
プロ市民団体の輩を見つけると引いてしまう。

今の世の中、どうかすると戦後かと思うくらい
「女性女性!」という。

もっと女性が働きやすくだとか
女性のために専用ナニガシを作るべきとか
差別をなくそうして
かえって性区分しているように感じるのだ。

どうだっていいじゃないか。

そうやってヒステリックに
女性女性っていうから
「すぐ女は…」って嫌われるんですよ。

まぁ、百歩譲って嫌われてもいいだろう。
女性は弱いという時代は
とっくの昔に歴史博物館入りしているにもかかわらず
「まだゆーか!」と私は思うのだ。

女は
男が逆ギレするくらい
立派で強い口を持っており、
ともすると
夫婦ケンカで殺されてしまうほどだ。

私は別にリベラルでもなんでもないけど
特に性別を口にしないようにしている。
「らしく」あればいいんでないかと思う。

子育てについて
男に協力を仰ぎたいくせに
女性女性と言うでなし!

女なら意地を見せい!と思うのだ。

男の力なんぞ借りなくても
立派に子育てしてみせるわい!と
なぜ言えないのそこの
女性女性いう輩ども。

主張していることと
実はやってほしいことが矛盾していると思わないのか。




あと、

人権とか傷つかないようにとか
守りましょうとか
うるさいよと思う。

ひとは

他人を傷つけ、そして傷つくもの。

そんなこと言わなきゃよかったと贖罪するからこそ

人間になっていくというのに。

守られ、
傷ついたことのないひとに
何がわかるというのか。

傷ついたから、私はそんなことしない。
傷つけてしまったから、後悔をする。

実に人間臭く、そうやってのたうちまわって生きていくのが
人間だろう。

誰かを傷つけたら謝罪をするね、こころから。

守られてばかりで傷ついたこともないひとは
表面的に幸せかもしれないけれど、
実質の向上は計れない。

失敗して泣いたりわめいたり
悩んだりいろいろだ。

自死をする若者もいるけれど、
それはしかたのないことだと
ほとんどの人は
心の奥底で思っているけど
表だって言えないだけのことだろう。

「死にたかったら死ねばいいよ」

これは私が泣いてわめいて
高校の野球部を辞めさせてくれとほざいた息子が
「辞めさせてくれないと死ぬ」と
親を脅迫しるようなマネをした直後に
私が言い放ったひとことだ。

そしてひとことつけ加えた。

「そんなくだらんことで、お前は死ぬんだな」

そうしたら
自分で普通に退部して
普通に退学して
普通に次の通信制高校に行った。
甲子園に行った直後の話だ。

私のひとことで
本当に死んだかもしれないが
それはそれまで。

その後私は一生贖罪をして生きることになっただろう。

それも、

しかたのないこと。

世の中にはしかたのないことが
あふれかえっているのに
「そこに何かの責任を求める」のは危険な行為なんじゃない?

努力を怠ってはいけないが
「しかたのないこと」に悩む必要はないということだ。

愛情をかければかけるだけ反発した我が子。
よしわかった、もうしない、と
「あんたのことは我が家の中心ではない」と知った息子のその後は
それはそれは善良な青年となった。

なんでもよく話してくれる
優しい子に育ってくれたのは奇跡と言うほかないけれど

うちの息子のように
愛情をかければかけるほど
心に寄りそおうとすればするほど
猛烈な勢いで怒りに火がつき
人格が崩壊しそうになる個体は

存在する。

ほったらかしにするのが
母として
一番難しいことだったなぁ…。










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