yukaの読書・音楽・旅行日記

好きな本や曲、旅先での出来事などを、マイペースで綴っていきます。

震災後に初めて聴いた音楽

2017-08-10 | 音楽

 前の記事で、カラヤンに劣らぬ指揮者・ムラヴィンスキーが出たので、長々と私事を……。

 3.11時は職場に泊まり込み、対応に追われていました。翌朝、夕刊よりペンペラペンな朝刊が配達され、第1面の写真(津波に襲われた名取市閖上)に、居合わせた一同が絶句しました。こちらは停電で、正直、乾電池が電源のラジオしか情報源がなく、他の地方に住む知人のほうが、被害の大きさを把握していました。携帯電話の電波が復活し、メールを受信したら

「ご家族の皆さんも大丈夫?何か欲しいものがあれば、すぐ送るから」

等と言ったメールが、それこそ何通も来ていました。有り難かったですね。……それよりも、最初の揺れの後に自分からメモ用紙を取り、記録を取り始めていましたが、ラジオで伝えられるマグニチュードの数字がどんどん大きくなる恐怖は、今でも覚えています。

 職場の後片付け等、震災対応に追われ、少しひと段落できたのは、約1週間ぐらい後でしょうか。電気は復活していたし、職場では交代で休みが割り振られたので、家の片づけが終わった後でCDプレーヤーのコンセントを、電源に差し込みました。

  チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調op.64 / エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 1960年11月(YouTubeより)

 録音から既に半世紀以上経過していますが、今も第4番・第6番『悲愴』と並び、チャイコフスキーの後記交響曲の録音の代表に挙げられています。震災発生後、初めて聴いた曲がなぜ『レクイエム』ではなく、この交響曲だったのか……。震災前に、通訳を手掛けた河村みどり氏による“ムラヴィンスキーと私”を読んでいましたが、ロシア革命で運命が一変したこの指揮者のことが、頭に思い浮かんだのかも知れません。貴族の子弟として生まれたムラヴィンスキーは、革命で財産を失い、才能で何とか生き抜きました。ソ連当局からの陰湿ないびりも、この本に詳しく書かれています。……大地が夕焼けに包まれるような第2楽章では、不覚にも涙腺が緩みました。

 震災後、初めて知人に会った時の挨拶は、

「あの日はどこで何をしていた?」

でした。あのように犠牲者がたくさん出たので、“家族や兄弟・親類縁者は無事か?”というのは、相手を問わず、とても聞くことはできませんでした。

 毎月11日等、何かの節目によく聴くのは、この交響曲と、ブラームスのピアノ協奏曲第2番です。

 追伸

 リヒテルやムラヴィンスキー、バレリーナのプリセツカヤ、最近はリプニツカヤと、なぜかあの国の芸術関係者は日本好きが多いです。リヒテルとムラヴィンスキーが、アメリカに抱いた印象は、共通して「あんなけばけばしくて騒々しい国、2度とごめんだ!」でした(苦笑)。

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