como siempre 遊人庵的日常

見たもの聞いたもの、日常の道楽などなどについて、思いつくままつらつら書いていくblogです。

「太平記」を見る。その11

2012-08-14 21:53:15 | 往年の名作を見る夕べ
第21話「京都攻略」

 前回、高氏(真田広之)が叛乱の旗を揚げ、戦の様相は激変。いよいよ京都陥落…という流れですが、サブタイに反して、京都攻略の描写はごく簡単。足利軍の勢いに恐れをなした朝廷(仮)と六波羅探題が、自滅的に逃亡してしまい、高氏は2日くらいで京都を制圧。「帝を都にお迎えする日まで、この足利高氏が都を司る」と宣言して、京都に奉行所を開きます。
 で、高氏に合流を約束していた新田義貞(根津甚八)ですが、まだ新田庄を出発できてません。頭数を数えてみたら150騎くらいしかなくて、軍資金もない。これでどーやって鎌倉を落とせるというのです!とガミガミせっついているのが、ここから登場する義貞の弟・脇屋義助(石原良純)です。
 このあと東国の足利勢五千と合流する手はずなんですが、義貞としてはこれが屈辱なんですね。できれば自力で鎌倉を落としたい。落として男を見せたい。でも兵力ない。お金ない。
 そんなところへ、鎌倉からの収税吏が乗り込んできます。戦時特別税として銭六万貫を収めろと、無茶苦茶いうわけね。義貞は、千早城攻めから病気ということで離脱してるので、直接顔は出せません。
 どーしても払えないなら我らが領内を回って取り立ててやる、手始めにここんちの蔵から見せてもらおうか、と、収税吏の態度はエスカレートして、ついに新田家の蔵の前まで押しかけます。義貞はもう我慢ができず、飛び出していって斬り捨ててしまうんですね。
 幕府の役人を斬った。退路を断った。もう男のメンツとか言ってられない。鎌倉を攻めるしかない、というわけで、新田義貞軍は出陣します。とりあえず150騎で。
「めざすは鎌倉!我に八幡大菩薩のご加護を!」と、おおカッコいい。

 新田軍は速攻で国府を落とし、鎌倉に進軍を始めます。この知らせは鎌倉にもすぐ届き、幕府を驚かせますが、長崎円喜(フランキー堺)は、「新田ごとき…」と、一笑。それよりも、「憎き足利、佐々木、新田、これらはみな源氏ぞ」と、すこし顔を引きつらせるわけね。
 とっくに笑いごとではないのが金沢貞顕(児玉清)で、「言わぬことではない、だから足利を外に出すなと申したのじゃ。野に放った虎だわえ!!」と、パニクって、「足元に火がついておるのじゃ、京はどうでもいい、遠すぎる、それより関東…」と、目の前の地図をひっくり返してバタバタやり始めます。このパニクり具合にどん引きする重鎮たち(児玉清さんの小物っぽいドタバタ演技じたい珍しいね)。
 貞顕が紙にひっ絡まってバタバタしてるとこに、使者が急報をもって飛び込んできます。「六波羅は陥落。都の軍勢は跡形もなく討ち滅ぼされました、との報告に、凍りつく幕府重鎮たち…。

 高氏が京都を制圧したニュースは、四か月もの籠城戦で餓死寸前の楠木正成(武田鉄矢)の軍をこのうえなく元気づけます。そうか!足利が!よしっ!!うむっっ!!と激しく頷く正成。
 そして千早城を包囲している幕府軍が、勝手に敗走を始めるんですね。それを見て、ダメ押しに追撃をかける楠木軍。飢え死にしそうだったのに。敵を攻撃する喜びに打ち震え、元気百倍です。
 その中に石(柳葉敏郎)もいます、「都を落としたエライお方はどなた様なんじゃあ」とノー天気に聞いて、「知らねーのかお前。足利高氏さまよ」と言われてパキーンと凍結。そう、石にとって足利高氏は…。
 なあんてサイドストーリーのことよりも、この戦勝に狂喜乱舞するのが船上山にいる後醍醐帝(片岡孝夫)です。名和長利(小松方正)が、「大塔宮様や千種忠顕様、それにわが名和一族の働きにて…」とか、足利の名をさけて報告するのですが、いや足利のおかげじゃ、足利の働きあったればこそじゃと、帝は露骨に長利をスルーするわけですね。このあたりにも後々の遺恨への種まきが…。

 義貞の軍は、進軍途中、各地で同族や、源氏系の武士の合力を得て、数千の軍に膨張します。そして、いよいよ、一色右馬介(大地康雄)が連れてきた、足利の御曹司・千寿王とご対面です。
「和子は足利軍の御大将じゃ」と、千寿王に心構えを言い聞かせる義貞。そうなんです。関東の反乱軍の大将は、この小さい千寿王なんですよね。ハイ、と健気に頷く四歳児。「良いお子じゃのう」と、固めの杯のかわりにお菓子を一緒に食べて、誓いをかわす義貞と千寿王。
 で、このちびっこが担がれたことで一気に反乱軍が拡大、完全に足利の軍勢化したことで、義貞はあとで傷つくわけですが、それはともかく、破竹の勢いで小手指原の戦いを突破した義貞は、鎌倉に陣を進めます。

 得宗・片時(片岡鶴太郎)は真っ赤な布に絞殺される(平家の赤旗=滅びの暗喩か?)悪夢にうなされます。悪夢から覚めると、愛妾・顕子(小田茜)と侍女たちが、六波羅陥落を嘆いて泣いています。「仕方があるまい。人間がみなどうかしてしまったのじゃ…」と、無感動な高時。
 で、貞時が、高時のかあちゃんの覚海尼(沢たまき)に戦況報告をするんだけど、その報告がかなりヤバい。足利・新田軍に寝返る者が続出し、北条軍の士気はボロボロだというんですね。
「足利や新田は戦が好きなのじゃ。戦嫌いが戦好きに勝てるわけがない」と高時は自嘲的に笑います。なにを言うのじゃ、戦は政と同じぞ!と叱咤する母ちゃんに、
「高時は政にも疲れた。なんのわずらいものうゆっくりしたいのじゃ…」と、落ちていた鼓を拾い、打ちながら高時はいいます。
「わが父貞時は、公平な政で名執権とうたわれたお方という。その父上に母上はこう仰せられた。なにごとも公平と申されるからには、嫡子と生まれしこの高時をかならず跡目におつけくだされ。頭(つむり)がいささか弱いからとて、無きもののように投げ出されますな。それでこの高時は、執権になり、くたくたになり、生涯、名執権の父上に頭があがらず、母上に頭があがらず。はてさて、公平とは疲れるものよ…」
 だんだん泣き笑いのようになって、ぶっ壊れたみたいに笑う高時を、かあちゃんと貞時はボー然と見ています。
 
 そんなとこに、謹慎中の赤橋守時(勝野洋)が、戦装束で駆け込んでくるんですね。「太守、この守時を、新田軍の抑えに出陣させてください」と。
 すっ飛んできた長崎親子が、赤橋は寝返り者じゃ、謀叛の片割れじゃと指さして非難するのを押さえ、高時は、「赤橋ようたずねてきた…」と、同じ目線から語りかけるんですね。
「わけて高時は人一倍のさみしがり、わしの陣に、赤橋のごときつわものがひとり増えたとなれば、心が少しにぎやかになる。行くがよい。ともに鎌倉は祖先の血、御辺もわしも共に逃げていく土地はない。この鎌倉を、兵や馬で踏みにじるものあらば、戦いたすほかあるまい」
 武運をのう、と送り出した守時を、遠い目で見送る高時は、「赤橋め、永の別れにまいったのじゃ。生きて帰らぬつもりぞ…」と。
 ああもう、涙腺決壊。鶴太郎さん勝野さんすごい。アルビノーニのアダージョふうのBGMと相まって、胸かきむしられるような名シーンです。

 おっと、感動のあまり長くなってしまった。
 そして出陣した守時は、自ら鉄砲玉になって新田の軍に突撃していくのですが…。悲しいなあ。これが鎌倉の滅びの曲、序曲であります。

第22話 「鎌倉炎上」

 中盤のクライマックスであり、語り草の神回でありますが、この神回に、主役の高氏は最後の3分足らずしか登場しません。これも潔いよね。主役を潔くスルーして、だれが主役なのかといったら、ここだけはもう圧倒的に、北条高時@片岡鶴太郎。サヨナラ公演のグランドフィナーレを豪華絢爛につとめます。
 鎌倉に迫った新田義貞の軍勢は、三方山・一方海の鎌倉を、三方から攻めます。赤橋守時は洲崎で新田軍と激突し、退却を拒んでガチにぶつかって玉砕。瀕死の守時は家来に助けられ、戦線を離脱します。
 山中をさまよう守時主従を、一色右馬介が落ち武者狩りから助けます。高氏の命令で、守時を救出するよう命じられていたんですね。ですが守時は、「赤橋守時、幕府の長たる執権ぞ。足利ごとき外様連れに情けをかけられる謂われはない」と救助を拒否。登子と千寿王の無事を確かめると、「ではもうひと合戦…」と刀を杖に立ち上がり、戦場へと戻っていきます。それを、涙をこらえて深く深く平伏し、見送る右馬介…。
 守時の死は直接描写されず、このあと、登子への事後報告として表現されるのですが、この人の真っすぐな人柄の中にも気骨のある、見事なサムライぶりは、最後まで涙なくして見られませんでした。

 京都陥落の報せを受けとった義貞は、早く、新田軍の自力で鎌倉を落とさなくては…と焦ります。ですが、極楽寺坂口は難攻不落、海からの正面突破も難しい。焦る義貞に、干潮時に出現する稲村ケ崎の干潟を利用し、少数で海岸から鎌倉に上陸、市外に放火して混乱させ、混乱に乗じて正面突破という、奇襲がひらめくんですね。頭イイです。こんな新田義貞がどうして後年…というのは、まああとの話として。
 鎌倉では、いよいよ足元に戦火が迫り、長崎円喜(フランキー堺)が、高時に、いったん鎌倉を落ち延びるよう勧めています。ですが高時は頑強にこれを拒否。鎌倉を守って皆が戦っているのに、どうしてわしが逃げられる、と意外な骨を見せます。
「わしが死んで泣くのはのう、わしが育てた田楽一座の者、白拍子、闘犬の犬千匹…。おおそうよ、わしが逃げるなら、田楽も犬どももみな連れていかねばのう。あれらがのうなってはこの高時は死んだも同然ぞ」
…と、あきらかなクルクルお目目で電波なことを言い出す高時を、またこのバカが…と苦々しく見る近親たちの中で、円喜の表情が変わっていきます。なんともいえず、哀切に。
「太守は逃げぬと仰せられておるのじゃ。この鎌倉は我らが築いた北条の都。我らが築いた分身ぞ。それを失うて、いずくにか我らの立つべき処やある!」
 そして、この鎌倉を死守いたそうぞ!と檄を飛ばします。ようは、鎌倉という町と心中する覚悟を決めたんですね。あの手前勝手な幕府首脳陣が、最後の最後、全員一丸となって。

 そしてその丑三つ下がり、つまり未明。新田義貞は、稲村ケ崎の海にざぶざぶ入っていき、祈りを捧げます。「南無八幡、我をここより渡らせ給え」と、捧げ持った弓を海に投じると、奇跡のように潮が引き、義貞の前には月に照らされた鎌倉への道が……と、唱歌「鎌倉の歌」に出てくる通りの名場面。稲村ケ崎、名将の、剣投ぜし古戦場…って古いねー(わたしはこの歌、鎌倉に修学旅行にいくときに覚えさせられました)。剣ではなく弓を投じているのは、気にしなくてよいと思われます。
 そして、二方向を突破された鎌倉は、火をかけられ炎上。炎の中の市街戦となります。

 騒ぎをよそに、高時は落ち着き払っていて、顕子(小田茜)にお化粧をしてあげています。ここで顕子ちゃんが、あきらかに裸(か、半裸)なんだよね。鎖骨までしか映らないけど。漂う空気が尋常でなくて、首から下を生々しく想像させてします。
「顕子はよいおなごじゃ。わしが長年かけてようやくここまで美しゅうしたのじゃ…」と、裸の美少女と甲冑姿の男の組み合わせの異常さったらない。
「おもとはこの高時の申すことはなんでも聞くか。わしが死のうと申さばともに死んでくれるか?」と言われて、顕子がニッコリうなづくんですけど、いや強烈ですね。ここまで一個しかセリフがなく(前回「顕子の父も…」って言っただけ)、白痴のお人形みたいだった子が、フッと一瞬血の通った目をするんですここで。
 そこに、家を焼け出された田楽一座の芸人たちが駆け込んできて、「我らは太守様のご恩顧で永らえてきた者、このままお傍に…」と取りすがって訴えるんですね。孤独な変人だった高時にも、実は、民衆芸能の庇護者という一面があって、欲得抜きに彼の徳を慕う人たちがいたんです。
 高時は、柳営から避難するにあたり、この芸人たちを連れていくことにします。「灰となるわが鎌倉の供養をいたすべし。田楽舞をいたそうよ」と。
そして、地獄絵図が繰り広げられる鎌倉市中を田楽舞が練り歩くシーン。炎上する町をバックにおっぱいモロ出しで(!)祈祷する巫女、その前を、生首をぶら下げた武者が通っていくという、NHK的には相当ショッキングなモブシーンのアクセントもあります。

 で、幕府の人びとは最後の死に場所として、北条家菩提寺・東勝寺に集合します。高時が連れてきた田楽舞がエンドレスで続く中、別れの杯を干す武将たち。長崎高資(西岡徳馬)は手負って瀕死の状態です。
 陰気な空気の中、赤い衣の高時が立ち上がり、悠々と謡い舞はじめます。「年経たる 鶴岡辺の 柳原 繁るも苦し 青の乱るる 天狗がまわす この世車…」みたいな歌(謡曲の知識が無いので原典がわからなくて心苦しいのですが)。ここでの鶴太郎さんの立ち居振る舞いが、もう、神が憑いたか宿ったか、と思われるような凄絶な演技なんですよね。謡も上手。いや上手というか…。なにかこう、とんでもない悲壮感と、どっかつきぬけた明るさもあったりして、ほんとに何か憑いたか降りたとしか思えない。

(憑依演技というのは、本来このように、シンプルにスッと独り立って役と対峙したところで行われるものなんだと思う。特殊メイクとか特撮とかは論外でありますよ。ほかの大河ドラマを引き合いにだしたくはないけど、憑依の意味を勘違いしている作品がありますので)

 高時の舞を見ながら、瀕死の高資が自害します。「さても気短な。もう死んだかや。まだ舞は残っておるのに…」。高時一人では面白うもない、と、陰気な雰囲気の中、「太守、舞をおすすめ遊ばしませ。尼が相拍子を仕りましょうほどに…」といって、ひとりの尼さん登場。春渓尼(木村夏江)っていって、高時のかあちゃんの側にいる人らしいんですけど、ようはこの人が高時の最期を見届けに来たと。
 この春渓尼の謡で、高時はまた舞を再開するのですが、唐突に扇をばたっと落とし、「世の中謡のようにはまいらん」。
 ここで、顕子ちゃんのお人形のような目が、ほとんど死神の招きみたいに使われているんですよね。顕子を抱き寄せて、高時は、「されば高時も甘んじて地獄におち、世の畜生道をしばしあの世から見物いたすかのう」
 そういって、いよいよ太刀を逆手にとり、ギャラリーの見守る中、真っ先に自害…という段どりになるのです。この人がまず死なないと誰も自害できませんからね。そうなると、自害するほうは、もう異様な緊張感になってしまうわけ。で、生来の癖でテンパりかけた高時をフォローするように、春渓尼が、「太守がおさみしそうじゃ、皆まいれ」と声かけて、女たちが高時を取り囲み、一斉に読経を始めるわけです。ものすごい異様な空気。その中で、全員にじっと見つめられながら、高時はわが身に刀を突き立てます。
「円喜。これでよろしいか」「春渓尼。高時こういたしましたと母御前にお伝えしてくれ」
 これを最後の言葉に、舞うようにもんどりうって、高時は絶命。すぐに顕子が、「皆さま、お先に…」と、この子のたった2個目の最期のセリフとともに、喉を突いて果てます。
 で、金沢貞顕親子が…長崎円喜が、それぞれ、互いに刺し違えたり、割腹したりして、先を争って高時の死に相伴していく。ずっと、祭り上げられながらもバカにされてた高時が、最後に帝王として、家臣を引きつれてあの世に凱旋していくような。華々しくも壮絶な場面であります。

 焼け落ちた東勝寺では、もう焼死体の判別もつかぬ状態。その焼け跡で手を合わせる右馬介は、京都の高氏に書状を送ります。
 というところで、最後の2分でやっと主役のお出まし。「足利の陣営、戦に勝ったと笑うもの一人もなく、不思議な勝ち戦に候」…という文言に、高氏はおもわず席を立ち、空を見上げたところに、裸の大将みたいな赤松則村(渡辺哲)がやってきます。「足利殿、いよいよ我らが世じゃ」とか言ってガハハと笑う大将にも、笑顔なく、新しい世の前途多難なことを思う高氏なのでした。


1 コメント

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Unknown (えりや)
2014-09-14 01:11:45
はじめまして。突然ですが
>剣ではなく弓を投じているのは、気にしなくてよいと思われます
の場面ですが、あれは弓でなく飾り太刀か何かであろうと思います。長くて、曲がっているので弓のように見えたのではないでしょうか。
余計なお世話かと思いましたが、これだけ素晴らしい作品のまさに最高傑作と言っていい回の、しかも主様も歌で知っているというほどの有名な場面、それを刀でなく弓でいいや~と思って作っていると思われたらスタッフが気の毒だろうと思うので指摘させていただきました。

鎌倉炎上の感想を求めてたどり着いたこちらのブログのお蔭で、長年気になっていた翔ぶが如くも全話見ました。感動して泣いたり苦しくなったり、とても幸せな体験でした。本当にありがとうございました。どうかご無理のないよう、再開をお待ちしております。

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