夕日と海

日々の感動を載せて

私の「君死に給うことなかれ」

2017-12-06 16:32:16 | 金沢にて
 「この世界の片隅に」というアニメ映画をご覧になりましたか。日本中で多くの方々を感動させて今も尚ヒットを続けているそうです。

「この世界の片隅に」は、昭和19年、広島県呉市に嫁いだすずさんの戦前から戦後の生活そして生き方を描いています。
 すずは言います。
「周作さんありがとう、この世界の片隅にうちを見つけてくれてありがとう周作さん」
すずは、「記憶の器となって」交わった人々を思い出す、暖かく抱くように今はいない人々を思い出す。亡くした右手を思い出す。クレヨンや鉛筆で周作さんの顔や死んだ人や、四季折々の田舎の絵を描いていた右手を。
 私の母は、呉市で育ち、広島市に嫁ぎました。子供が4人いました。末っ子の照子は大層可愛い子だったそうです。昭和20年10月18日、庭にあったイチジクを子供達が食べていて、照子も食べたらしい、それがもしかしたら身体に悪かったのか(母はそう思っていたようです)、一緒にその場にいた兄が異常を感じて母を呼んだそうです。飛ぶようにしてやって来た母は照子を抱いて号泣していた、と兄は語ってくれました。母は、遺体を焼くマキの火は、2歳の栄養失調で小さな子供の身体を焼くには余りに強いので灰しか残っていなくて、と亡くなる十数年前に私に書き残しました。
その後、22年に生まれたのが私です。母は、幼い私を連れて歩くことが多かったのですが、母のうつろな眼差しは私に向けられるより遠くを彷徨う様子だった、と思うのです。戦争・原爆という異常な事態に必死に生きる家族の中で心を病んでいたのではないか、と今思うのです。
「君死に給うことなかれ」私のその想いはこれからもまだ続きます。


コメントを投稿