遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

「遊行七恵の日々是遊行」の姉妹編です。
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2017.5月以降は主に心模様を綴ります。

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拝啓ルノワール先生 梅原龍三郎が出会った西洋美術

2017-03-08 00:12:44 | 展覧会
続いて「拝啓ルノワール先生」


三菱一号館所蔵品が大変多く出ていた。三菱のあの空間で見る楽しみも捨てがたいが、今回は時間の都合でハルカスで見た。
こちらの副題は「梅原龍三郎が出会った西洋美術」。

最初にルノワールのこの少女が出迎えてくれた。
麦藁帽子の若い娘 1888-1889

肌の白さに帽子の青い結び紐が映えて、玉虫色または真珠色のように見えた。豊かな若い肉の盛り上がりがいい。

今回の展覧会で梅原が稀代のコレクターでもあることを知った。
時折西洋美術館などで「梅原龍三郎氏寄贈」とあるのを見て「外国によく行ってたしなあ」くらいしか思っていなかったが、そんな軽いことではなかった。
梅原もまた大原孫三郎、松方正義らと並ぶ「日本に西洋絵画の魅力を広めた一人」だったのだ。
改めてそのことを思い知らされた。

ところで昔から梅原の「ルノワール先生を見に来た」という言葉は知られていたが、近年の研究ではルノワール一筋ではなかったことも知られるようになった。そうした教示をうけて梅原の絵を見ると、なるほどセザンヌやピカソの影響も感じられる。
しかし若い頃の作品はやはりルノワールの影響下にあることを感じさせた。



1. ルノワールとの出会い
梅原龍三郎 自画像 1908  眼のぱっちりしたハンサムとして描いている。
二十歳の梅原青年。

梅原龍三郎 少女アニーン 1908  コバルトを背景にした少女の絵。このコバルトは濃い染付のようにも見えた。いかにも「洋画」だという感じがある。

梅原龍三郎 はふ女 1909  絵自体はルノワール描く女のようだが、この体勢がなんだかすごい。他にはあまり見ない。

梅原龍三郎 チシアン ドンカルロス騎馬像(自由模写)1911  よくわからんが「自由」すぎるぞ、この模写。

梅原龍三郎 自画像 1911  近美でおなじみの青年。

梅原龍三郎 モレー風景 1911  色彩の良さがとても大きい。赤い屋根の並ぶ町。緑の大きな木々。しかしこの絵は別に梅原でなくても描ける。まだ梅原は完成していないのだ。これからどんどん「梅原」になる絵を描いてゆく、その端緒の絵。
箱書きがある。ルノワール先生との温かな関係を示す、幸せの記憶を記したもの。

ピエール=オーギュスト・ルノワール 手紙 1911年秋  優しい先生は丁寧な電車の乗継などを示した手紙をくれた。

梅原龍三郎 読書 1911  緑の服を着た赤茶けた髪の女。くっきりと描かれた顔。わたしの友人に似ているので親しみを感じる。

梅原龍三郎 黄金の首飾り 1913  これも東近美でおなじみの一枚だが、単品でみたとき「ルノワールの弟子」という感じがしたのだが、こうした中で見てみると案外そうでもないことに気付く。
影響下にあるというより、共通項が多い、というのが正しい気がする。

梅原龍三郎 ナルシス 1913  でました。肉付きの良い体が好きなのだろうなあと思う。

2.梅原龍三郎 掌の小品
以下、*マーク付きは梅原の旧蔵品・寄贈品の証拠。
そしてこの章ではすべてが*つきである。

*ピエール=オーギュスト・ルノワール バラ色のブラウスを着た女(ガブリエル?) 1914年頃  柔らかな黒髪(むしろここでは茶髪に近い)に黒のバンダナをつけた福々しく、たれ目の可愛い女がいる。夢野久作風に書くと「ムクムクと元気」そうである。

*ピエール=オーギュスト・ルノワール 手紙 1918年8月2日 北品川にいた梅原へ。妻の死のこと、二人の息子が大けがをしたことなどが綴られている。しかしそれて゜もルノワール先生は息子らの回復を喜んでいる。
「君のルノワール」というサインがいい。梅原を大事にし、心の頼りにしている様子がある。

*ピエール=オーギュスト・ルノワール バラ  フルーツのようなボリュームを感じさせるバラたち。
これは絵だけでなく梅原が選んだという額縁ごと鑑賞するのが楽しい。




ここで梅原の1980年代のパレットが出ていた。
明るく元気な色が多かった。梅原のパレットと言えば彼と仲良しの女優・高峰秀子がパレットを貰い、それを梅原の仏壇に見立てて自宅で飾っていたという。

梅原は古代の像などを購入し、それらを日本国内だけでなくギメにも寄贈したそうである。とても立派な行為だと思った。

*女性偶像(キュクラデス彫刻)B.C. 2500-2000 大理石(外箱蓋に梅原龍三郎による油彩) 
*アポロ神 青銅(外箱蓋に梅原龍三郎による油彩) 
*イビス神  B.C. 600-500 青銅・大理石 

納める箱を飾るのも梅原の楽しみだったろう。とはいえ宇宙人ぽかったり、なんだか怪人風なのはどうなのだろう。
ここまでくると冗談なのかと思ってしまう。

*ピエール=オーギュスト・ルノワール バラの花束  形は既に曖昧模糊となっているが暖色系のその分優しく暖かい。

*ピエール=オーギュスト・ルノワール 樹木  オリーブである。ルノワール先生は日本にもオリーブがあるのか尋ねたそうだ。橄欖(かんらん)は小豆島にある。有島生馬も描いている。
そしてこの木はルノワールがこれを守るために購入した地に活きた。

ルノワール先生はドガの彫刻を評価していたので、ドガが目が悪くて良くわからないからかドカドカ壊すのをとても惜しんでいたそうである。
面白くて仕方ないのは、仲良しのモネのことをちょっと悪く言うあたり。
それを分析する梅原がやっぱり京都人らしくて面白くて仕方ない。
ルノワールはムクムクとよく肥えた人々を描くことが多いが、ご当人は病弱でやせてしまっていたので、ついつい肉付きの良いモネやロダンを妬むというかニクらしく思ったようでもある。
それにしても、やせてたルノワールも小出楢重も、描くのはニクニクしい裸婦がとても多い。

3.私蔵品から公的コレクションへ
(梅原龍三郎氏より寄贈)という作品が並ぶ。
*ピエール=オーギュスト・ルノワール 横たわる浴女 1906  ああ、いいほてり具合と言うか、みりん干しした肉付きとでもいうか。

*ピエール=オーギュスト・ルノワール 勝利のヴィーナス 1914ブロンズ これも親しい像。絵筆をとりにくくなったルノワールが彫刻にいったというのを思うと、少し不思議な感じもある。彫刻家のある人は体力を無くしたことで彫刻をあきらめて絵画に行ったからだ。

エドガー・ドガ ラファエロ《アテネの学園》の模写 1857-58  元の絵を知らないのでトリミングしたようにも見えたが、それがまた面白い。

パブロ・ピカソ オンドリと、スイカを食う人 1965  スイカ、実が少ししかなさそう。これは母子なのかな。

*ジョルジュ・ルオー エバイ(びっくりした男) 1948-52 なんだか面白い表情で、ルオーはこうした表情の絵がうまいと思う。

いい色彩のが二枚並んでいた。 
ジョルジュ・ルオー 冬の夕暮、または「聖書の風景」 1953-56
ジョルジュ・ルオー 日の出、または「聖書の風景」1953-56
赤と黄色、青と黄色。そして家がオバケのようで可愛い。



4. 交友と共鳴 梅原と時代、梅原の時代
梅原はエッセーもいいのを残している。
戸板康二は「ぜいたく列伝」で梅原の楽しい素敵なぜいたくを明るく描いている。画家の、特に洋画家の文筆の才もまた「ぜいたく」で結構なことだ。

*アンリ・マティス 若い女の横顔 1942  さらっとカッコいい。

ところで梅原はマティスと出会ったのは意外に遅かったが、ルノワールの法事(!)に仮装パーティを次男のジャンが企画していて、 そこでエジプトのファラオに仮装していたマティスにあったのが初めてだったそうだ。

*パブロ・ピカソ 横たわる裸婦と画家 1969年 ペン画で男女のぐねる身体を描いているがどこがどうなっているのかわからない。
こういうのを見ると山田風太郎の小説で、極度の骨軟化症の女がシーツ状になって男をくるみこみ、ついつい窒息死させてしまう話を思い出す。
この絵にはピカソが「わが友梅原へ」と記している。

梅原龍三郎 芥子 1910年 金地扇面に芥子図、というものである。しかも芥子そのものはアールヌーヴォー風。これは一種のお遊びなのかな。
どちらかといえば梅原の最初の先生でもある浅井忠の作品のようにも見えた。

その浅井忠が意匠を担当した明るい大津絵のお皿がある。天を仰ぐ鬼の念仏とか。浅井忠は洋画より日本画やこうした意匠の方がずっといい。

そして昔の大津絵の現物がある。
鬼の念仏と長刀弁慶と。いきなりこういうのが出てくるのが楽しい。

*ジョルジュ・ルオー 青髭 髭は黒いが反射により青く見える、という「青髭」奥眼で二重のとろんとした眼ではあるが、あの青髭なんだね。
アナトール・フランスのかいたのをここに引いているが、梅原の書きようがまた面白くて仕方ない。

ポール・セザンヌ リンゴとテーブルクロス 1879-80  ルノワールよりセザンヌの方がいいとか言い出すし。

カミーユ・ピサロ 窓から見たエラニーの通り、ナナカマドの木 1887  赤い花が綺麗。ナナカマド、いいなあ。



5.ルノワールの死
温かな師を懐かしむ老年期に入る梅原。
師弟と見做されるのをちょっとどうかなと思っていた時期も過ぎたか、彼は「ルノワル先生」の懐かしい話を書きとめ、その絵を模写する。

梅原の1920年のカンヌの風景画があったが、日本の野島の別荘を描いたものと色彩が似ていて、梅原はパリでなく南仏、むしろイタリーの影響を強く受けているのをつくづく思い知る。

ピエール=オーギュスト・ルノワール パリスの審判 1913-14  チラシのヘルメスがいる方の。むちむち・ピカピカの女たちの肌。中身もぎっしり詰まっていそうな体。光っている。

*ピエール=オーギュスト・ルノワール ココ 1907年 石膏  ココ坊やのふっくら可愛い横顔レリーフ。
ルノワールの描くふっくら人々は本当にふくよか。ご本人だけがやせている…

梅原の裸婦が続く。
裸婦図 1921
裸婦脱衣立図 1921
どちらもポーズは違うが共通するのは力強いこと。



ピエール=オーギュスト・ルノワール パリスの審判 1908  こちらのはニクニクしさが増している。そしてこの絵を模写したのが次の梅原の絵。

梅原龍三郎 パリスの審判 1978  チラシ。老大家の肉付きの良い裸婦群像。一種の戯画のような顔立ちだが、梅原は若い頃の「ルノワル先生」への愛情と懐かしい日々への想いで描いたようだ。

6.ルノワールの遺産
梅原の言葉がある。「半死の様子を隠さなかったルノワル先生」
なんだかすごいことを書いているぞ。愛情や尊敬はあってもその冷徹な眼差しはすごい。

*ピエール=オーギュスト・ルノワール ヴェールを持つ踊り子 1964年鋳造  この彫刻を梅原は絵の中に描きこんでいる。私もこの像は好きだ。古代風な様子を見せつつ、ルノワールが若い頃に見たであろう踊り子たちの様子を思わせる。

梅原龍三郎 薔薇とルノワルのブロンズ 1972  背後にこの彫刻がある。

梅原龍三郎 艷子夫人像 1974  60年間連れ添った奥さんの肖像。やはり背後にルノワールの絵。奥さんと言えば、戸板康二「ぜいたく列伝」でこんな話がある。外国に行った夫人の帯に弁当箱があり、そこに札束ぎっしり…
いい話やなあ。

梅原龍三郎 霧島 1938  ヴェスビオ火山と霧島連峰と。梅原の山岳図は雄大で明るくてとても好きだ。これも色彩はモアモアしているが、力強い。
わたしは霧島(栄ノ尾)が最愛だが。

梅原龍三郎 紫禁城 1940  梅原のもう一つの名品シリーズ。彼の描く北京の明るい青空と巨大な紫禁城は本当に魅力的だ。
裸婦も天壇も北京シリーズは何もかもがいい。

梅原龍三郎 バラ、ミモザ 1955  真っ赤な背景に力強い花々。
枯れることのない梅原のエネルギーがスゴイ。

梅原龍三郎 青楓煙景 1955  ルノワールが「君の国にオリーブはあるのか」と問われた答え。

南仏風景も浅間山も本当に色の競演であり、生気溌剌としている。
他に、ひまわりもチューリップも形は崩れてるというか、リアルなんかどこかに飛んで行ったが、とにかく力強い花の絵が多い。
いや、花も山も裸婦もみんなアブラギッシュでとても強いのだ。

ピエール=オーギュスト・ルノワール マッソーニ夫人 1870年頃  随分昔の絵が出てきた。青いドレス、青い髪飾り、しなやかな身体。
ここで少し気持ちが落ち着く。
展示が巧い。 

ピエール=オーギュスト・ルノワール 長い髪をした若い娘(麦藁帽子の若い娘) 1884年  可愛い娘。三菱一号館の愛娘。


ピエール=オーギュスト・ルノワール ピクニック 1912年頃  何人もの女たちの中で立っている黒髪の女が綺麗。
その箱書きを梅原龍三郎が書いている。

最後にこの絵がある。
ピエール=オーギュスト・ルノワール マドモワゼル・フランソワ 1917  バラをつけた元気な明るい笑顔の女。その口紅の色の綺麗さにうっとりした。

豊饒な二人に圧倒された。とても楽しかった。
梅原はやはりぜいたくな生涯を過ごしたのだなあとつくづく思う。
ルノワール、マティス、ルオー、ピカソ…
長生きして晩年まで楽しく暮らせたのは本当に立派だ。

いい展覧会をありがとう。
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