遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

「遊行七恵の日々是遊行」の姉妹編です。
こちらもよろしくお願いします。
2017.5月以降は主に心模様を綴ります。

同窓会に行くと色々思い出すことがある

2017-05-15 00:58:02 | 日記
中学の同窓会をした。
基本的によく出席する。
中学の時のクラスは1年5組、2年8組、3年10組だった。
その3年の卒業時の同窓会なのだが、うちのクラスはこまめな幹事がいるので大体2~3年に一度は顔を合わせるので、それに出席してる連中とは「おお、久しぶり」程度だが、やっぱり長らく会うてへん連中とは「イゃ~~久しぶり!」となる。
で、卒業以来の再会の人だと半分は「どなたでしたか」になり、また「わーっ久しぶり、変わらへんーっ」となる。
大抵前者は男子向け・後者は女子向け。

去年の今頃か、生徒ばかり集まっての同窓会をしたが、今回は先生も招いての会。
ただし盛況だったのは前年の方、とはいえ今回は珍しい連中も来てたからそれはそれでいい。

このトシくらいになると人生も色々あるようだが、わたしのように同じ会社に居続け、身辺に変化がなく、好き勝手なことをして生きていると時間の流れがのんびりする。
一方、結婚・出産・離婚・再就職などをするとこれはもう本当に変化が激しいようだ。
しかし離婚して子供もようやく手が離れて楽になったわ、という言葉を聴くとほっとする。

話の内容は大抵が昔話である。
今も付き合いがある連中は近況報告になるし、遊ぶ話も出る。
だが価値観は様々なのでわたしの暮らしぶりが理解できないという人の方が多い。
面倒なので話したくないのだが、話すこともその場の義務の一つとなる以上はなんだかんだと言う。
幸い、同じテーブルにいた男子がヲタで、わたしがフジョシだということで納得してくれ、理解できないという相手に向かって、「こればかりはわからんやろーけど、毎日一切退屈なしで多望で多忙」ということを話してくれた。

その顔でシングルのままは惜しいとなにやらほめ?てくれたりもしたが、まあはっきり言うてこの忙しい日々に実際の恋愛なんか入れられない。
「壁はないが溝がある」とは今回のわたしの名言?だが、その溝の深みに落ちていることを言うひともいて、わからないひと・わかった気になるひと色々だと思った。

同窓生に当時女子のアコガレの女子がいた。
彼女は勉強もよく出来たが水泳もよく出来、K高ではなく女子優位のT高に進学した。
そのことがまたとてもかっこよかった。
大阪を代表する進学校のK高も凄いが、女子でKでなくTに行くのは自主性が高くてカッコいい女子だと見なされていた。
去年の会には欠席で今回は出席していた。
彼女は父上・姉上と三人でジャム屋さんになっていた。
TVにも時々紹介されるジャム屋さんで、彼女は営業として世界を駆けまわっていた。
先月移転してリニューアルしたそうだ。前の店は行くのに道が複雑だったので、今回はわたしも行きやすい。
今度必ず行くつもり。
そして行った暁には、詳しくお店のことも紹介したい。

さてその彼女と話しこんでいたSという男子は一浪の末に東大に行って、それっきり東京住まいだということで、だから大阪に帰るのも久しぶりだと言った。うちのクラスは秀才が多かったが、Kくんはガリ勉でも人気者だったのに対し、Sは今でいうドヤ顔をするのが多く、人気がわるかった。
わたしがそのことを言うとさすがに歳月が人を丸くしたのかSも「いやどうも申し訳ない。Kにだけは勝ちたくて」という意味のことを言ったので、男子も複雑だと思った。

中学の頃、わたしはムダに体力が有り余っていたが体育会系ではなかった。
2歳上の友人らが大勢いたが、こいつらとの関係は平らなので、今更上下関係なんかにしたくなくて、体育系の部には入らなかった。
またわたしは体格はいいが、運動神経がわるいので、入ってもまあ役には立たなかったろう。
それで体育会系の体質は嫌いで、同級生と歩いていると向こうに2歳上の三年がいたとする。
わたしは「よぉ」向こうも「おぉ」だが、同級生は飛んで行って「コンニチハコンニチハコンニチハ」と3回も頭を下げる。
これがあほらしくてならない。
「なぁ、ええんかこれ」「まぁ伝統や」「ウチはせんぞ」「そらせんでええがな、ジブンはツレやん」
そう、わたしは中一の時から今に至るまで上下関係を踏みにじって生きてきた。
結果として、他の三年にもなれなれしくふるまうし、それがまた許されていたので、逆に同級生に憎まれた。

わたしは男子の部にもずうずうしく入り込んでいた。
野球部の連中とは特に仲が良かったが、3年の主将いわく「あいつは色気も愛想もないからまぁええ」ということだったらしい。
当時すでに阪神タイガースのファンだし、高校野球も好きだし、で野球にもうるさい。
外部のものだが、声援は懸命にする。時々バットを振ったが、球はやはり打てなかった。

やがて三年の時、学年でも文武両道で有名なS君が野球部の主将になった。
彼は紳士としてふるまうことを好み、成績の悪い女子生徒に勉強を親切に教えることで評判も良かった。
確か1組だったし、一度も一緒のクラスになってない。
わたしが野球部に遊びに行くとよくランニングをしていたしノックをしていたので、おしゃべりもしなかった。

そんなある日、わたしは例によって廊下を走っていた。
わたしはなんだかんだと日々遅刻し続けていて、先生方が校門から去りチャイムが鳴り終わる一分半の間に校門を飛び越えて四階の教室へ駆け込む、ということを毎日していた。
上履きの履き替えがなかったのでそれが可能だったこともある。
今でもそうだが逃げ足だけはかなり早い。
中学高校の運動会、必ずリレーの三番手にエントリーしていたのも「逃げる」走りをしていたからだ。
それに「よーいどん」がニガテで仕方ない。
とはいえ、マラソンはダメである。

で、わたしは学校でよく鬼ごっこ・探偵ごっこをしていた。
小学校の時より複雑なルールを加えていたので面白くて仕方なく、毎日駆けずり回っていた。
そんな風にして走り倒していると必ず誰かにぶつかる。
ある日のわたし、野球部主将のS君と正面衝突した。
二人は同時にひっくり返る。ひっくり返ったわたしはその勢いで跳ね起きるや、咄嗟にS君の片手首を掴んで片手で引き起こし、「ごめんね、大丈夫?」と言って相手が立ちあがったのを確認してからまた走り出していった。

衝撃を受けたのはS君だった。
S君は自分からさっと立ち上がり、紳士としてわたしに手を差し伸べ「大丈夫か」と起こすつもりだったそうな。
それがわたしが瞬時に跳ね起きて自分を片手で(!)引っ張り上げてしまったので、S君のプライドもなにもかもズタボロ。
ひえーーーっ
彼に勉強を教わっていたクラスの女子から苦情を言われて、それで初めてわたしも気づくというのをやらかした。
いや申し訳ない。
S君はあの衝撃が大きく、わたしは野球部の他の連中から「当分は来たらあかん」と出禁。
全く申し訳ない。
今回その話を当時S君と仲良しだった連中に話すと爆笑されたが、ほんま、S君、すまぬのう。

ほかにも無限に思い出すことがあるが、まあここまで。
時間が地続きなので、遠い昔の話ではないのだ、わたしの場合。

これを吉書として(古い大阪弁や)、次から古い本の話などを始めます。

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