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道元の発心

2017-04-24 11:08:42 | 日記
私は
人間は本来神の子であるのに何故迷うのか、
という質問を足を故障しているご婦人から
かつて受けたことがあった。
道元禅師は
18歳のころ
同様な疑問を持っていた。
そして栄西禅師の高弟であった明全に随って入宋し、宋にいた如浄禅師と対面したことから、
万教帰一が分ったというのである。
「身心脱落」の一語によって
道元は大道を会得したという。
(参考 正法眼蔵を読む 弁道話の巻 谷口清超著)
<発心>
その後栄西禅師の高弟である明全が建仁寺を継いだので、そこへ道元は投じた。建保5年、18歳の時のことであった。しかし当時の道元の心中には、本来法性清浄身である如来が、どうして発心したり悟りの道を行じたりしなければならぬのかという疑問があって中々解決しなかった。そこで三井寺の光胤(こういん)僧上を訊ねたところ、僧上から入宋して(支那へ渡って)はどうかというすすめられたのである。

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