大足彦忍代別天皇【景行天皇】の御宇18年(88年)7月7日、天皇は八女縣(やめのあがた)に到着され、藤山(ふぢやま)【久留米市藤山?】を越えて、南の粟岬(あはのさき)を望まれた時に「その山の峯は幾つも重なり麗しく見える。きっと神は、その山にいるであろう」と仰せになると、水沼縣主猿大海(みぬまのあがたぬしさるおほみ)が「女神がいます。名を八女津媛(やめつひめ)といいます。常に山中にいます」と申し上げられたことから、『八女(やめ)』の地名の起源になったことが日本書紀に記されています。
丁酉 到八女縣 則越藤山以南望粟岬 詔之曰 其山峯岫重疊 且美麗之甚 若神有其山乎
時水沼縣主猿大海奏言 有女神 名曰八女津媛 常居山中 故八女國之名由此而起也
【丁酉(ひのととり)、八女縣(やめのあがた)に到りましき。則(すなは)ち藤山(ふぢやま)を越(こ)へて、以(もち)て南(みなみのかた)の粟岬(あはのさき)を望(おせり)たまひき。詔(の)りて曰(まをしし)く。「其(そ)の山(やま)の峯(みね)岫重疊(くきかさな)り、且(また)美麗(うるは)しき甚(にへさ)なり。若(けだ)し神(かみ)有(あ)らす。其(そ)の山(やま)を時に水沼縣主猿大海(みぬまのあがたぬしさるおほみ)奏言(まをし)たまはく。「女神(めがみ)有(あ)り。名(な)を八女津媛(やめつひめ)と曰(い)ふ。常(つね)に山(やま)の中(なか)に居(ゐ)ます」故(かれ)、八女國(やめのくに)の名は此(こ)れ由(よ)りて起(おこ)るなり。】
~『日本書紀 卷第七』~
その八女津媛神を祀る八女津媛神社は、養老3年(719年)3月に、その昔、八女津媛神のお住まいの地、八女津媛神が政務を執った地である『神ノ窟(かみのいはや)』に神社として創建されたものだそうです。大足彦忍代別天皇【景行天皇】の筑紫巡幸からおよそ630年後のことになります。
八女津媛神社
[所在地]福岡県八女市矢部村北矢部字神ノ窟4015(地図)
[御祭神]八女津媛神(やめつひめのかみ)
八女津媛神社が鎮座する『神ノ窟』の地名の由来でもある、境内の岩屋からは『媛(ひめ)しずく』とよばれる石清水が滴っています。八女津媛神が洗顔に利用された水とされ、今では美肌や美白によい「美人の水」といわれているそうです。
また、八女津媛神社の境内のシンボルとして大きな杉が立っています。樹齢は600年と推定され、直径は1.69m、樹高は44.75m【昭和56年9月】だそうで、八女津媛神社の愛称である「権現さん」に因んで『権現杉』とよばれています。
石清水『媛しずく』が滴る『神ノ窟』のあたりから水の氣でしょうか?薄っすらと靄のような気流を感じることができます。『八女』の土地で政務を執られ神となった女神『八女津媛神』を祀る神社として今も親しまれています。
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