ボーダーを見つめながら

川柳と俳句と短歌……そして、君と僕。

「三越のライオン」

2008年11月15日 | Weblog
◇三越のライオンに手を触れるひとりふたりさんにん、何の力だ(荻原裕幸)

 ◆三越のライオンに手を触れちまふ(耕平)

三越の正面玄関にあるライオンの像は全国どこの三越にもあるらしい。
「三越のライオンの前で」などと待ち合わせの場所によく使われる。(使われた、かな?)
誰かを待っているときに何となく手持ちぶさたになり「手持ちブタさん」になる。
(「ぶさた」と「ブタさん」、ね)
このブタさんが特別な目的もなく大きなライオンさんに手を伸ばす。
思わずひとり…ふたり…さんにん、などと数えてしまう自分(=ブタさん)が居る。
(作中の「自分」はライオンには触れていないという「読み」をしています。)

そこでハッと我にかえって思わず叫ぶわけだ。
「何なんだこれは? 何の力なんだ?」と。
訳もなくライオンに手を触れるブタさん達へツッコミを入れると同時に
思わずそれを数えてしまったブタさんにもツッコミを入れる。
「大きなもの」への畏怖とかあこがれというものが人間心理にはある
などという分析的なことを言いたいわけではないのだろうね。
日常の見逃してしまいそうなことに強烈な違和感を抱いてしまった
ただそのことをストレートに31音字にしたわけだろうね。
というか叫ばずにはいられなかったのかな。
「自分」と「世界」のギャップの感じ方や表明の仕方に「若さ」を
感じるのは僕がもう若くはない証拠なのかもしれないね。
(ごめんなさい。荻原氏が何歳のときに詠んだのかは知りません。)

僕の17音字は「ひとりふたりさんにん」の中に自分も参加してみたよ。
元の短歌があれば、あるいは「三越のライオン」の前で「手持ちブタさん」に
なったことのある人となら、この「触れちまふ」感はある程度共有してもらえそうだけど
そこらへんはこの17音字だけでは、ちょっと難しいかもしれないね。

「三越のライオン」をネットで調べたら、こんなことが書いてあったよ。
この中に「触れさせる力」の原因の「尻尾」があるかもしれないけど
そんな原因を自分なりに発見しても、元の短歌も僕の17音字も
面白くはならないだろうね。

『このライオン像の大きさは、うずくまる形で、前足から尾まで269cm、
 頭までの高さが120cmあり、青銅製。モデルとなったのは、ロンドンの
 トラファルガー広場にあるネルソン提督像を囲むライオン像です。
 この広場のライオン像は、動物画家で彫刻家でもあったランドシィーアの作品。
 日本橋三越本店のライオン像は、それを模して彫刻家・メリフィールトの模型を
 鋳造家・バルトンが作りあげたものです。
 大正12年の関東大震災では火を被り、磨き直しました。昭和16年太平洋戦争
 開戦後、金属回収のために海軍省に供出しましたが、戦後、幸運にも溶解を
 免れ、東郷神社に奉納されているのを社員が発見し、昭和21年に本店に
 戻りました。』(三井広報委員会/三越の歴史より抜粋)

「このライオンは溶解すべきではない」と判断したのは一体だれだったんだろうね。
それにしてもお手柄だね。
歴史上にはこんな「隠されたお手柄」が沢山あるのかもしれないね。
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三井広報委員会 太平洋戦争 関東大震災 ネルソン提督 トラファルガー広場
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