湧大の部屋

政治的・社会的問題、恋愛、テレビなどいろんな話題を一味違った見方で書いてみる

産業革命の手柄は誰のものになるか考えてみよう

2017-07-14 23:53:47 | 日記
タイトルの問題に答えはイギリスに決まっているだろうと即答する人が多いと思います。しかし、本当にそう言い切っていいものでしょうか。イギリスで産業革命が起こった背景について今回は考えてみたいと思います。当時のイギリスは本国とアメリカとアフリカとの間で三角貿易を行なっていました。これは大西洋三角貿易と呼ばれます。その内容を少し詳しく見てみましょう。イギリスは綿布、鉄砲などをアフリカに輸出し、そのお金で黒人奴隷を買います。すると、その黒人奴隷はアメリカ大陸に送られました。その黒人奴隷は砂糖、タバコ、などを作って、それらはイギリスに輸出されます。ここで、イギリスが作っていた綿布がポイントです。綿花がその材料で、それはインドから輸入していました。つまり、インドは大西洋三角貿易を支える役割を果たしていたのです。そしてイギリスは綿製品の生産を多くしたいということで、当時の技術を使って産業革命が起こりました。その結果、インドからはさらに多くの綿花が輸入され、逆にイギリスからは世界中に綿製品が売られました。さて、ここで産業革命が起こった場所は確かにイギリスだということを確認しましたが、それが起こる条件となったのは大西洋三角貿易とインドでした。つまり、「どこが産業革命を起こしたのか?」という問いには、イギリスが起こしたとはもちろん答えられますが、インドが起こしたとも、アメリカ大陸が起こしたとも、アフリカ大陸の一部が起こしたとも言える。一番正確だろうと思われる答えはきっとそれら全体が作り出していた貿易のシステムが産業革命を起こらせたというものだろうと思います。しかし、インドが産業革命を起こしたというと、その後インドはイギリスの植民地にされて悲惨な時代を迎えることになったではないかという人が出てくると思います。確かにその通りです。それはウォーラーステインが近代世界システム論で述べた世界の国と地域が商業活動によって中核と周辺に分割され、支配・従属という分業体制が成立していくとすることについてのことで、それは確かに正しいです。しかし、イギリスが支配したため、インドは容易に近代化できなくなったという面もあるのです。そして、そのイギリスを支えているのはインド自身でした。イギリスなどの列強が自分だけで近代世界システム論のいう世界を作り出したのではありません。従属した側もそのシステムを形成したのです。つまり、ヨーロッパの大航海時代から産業革命を通して形作られる世界は支配する側が一方的に押し付けた世界ではないということです。歴史を表面的な部分だけ学ぶと、ヨーロッパの国々はかつて自分たちの文化を世界中に押し付けたひどい国だなんて批判する人もいます。しかし、従属した側がそれを自ら受け入れたという面があるのもまた事実です。一方的にしか見ないのではなく、多面的に見ないと理解できないことがあります。世界史は本当に面白いなと思いました。
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