母は娘を溺愛していたのか、躾には厳しかったけど様々なものを娘のために、と残してくれた。
母はまだ生きてるけど生きる屍(しかばね)状態。
なぜあのような状態でも生きてるのだろうか?医学に疑問を感じる日々。
投薬窓口で切々と訴える人々。
本人も家族も「老い」と闘うには過酷すぎる。
昔なら老衰は長くはかからずにあの世に旅立てた。
でも今は医学が発達し、歯科治療が進歩し、一年中快適な温度で過ごせるから、老衰は緩やかに徐々に進行する。
動脈硬化性認知症は、切れかけた蛍光灯のように、まともなときとおかしいときがランダムに出現し、はたからみたら「普通の人 」。本人も普通の人と思ってる。
だから家族の苦悩はなかなか理解してもらえない。受診したときとか、介護認定員の前では「普通」なのだから。
自分に都合がいいときは問題は起きないけど、気に入らないことが少しでもあると180度変わるのだから相手に合わせるしかなくなり、介護者のストレスははかりしれず、これが心筋梗塞の引き金となったり、介護鬱の原因になったり。
親の介護の最中は自分のことは何もできない。
食事もかきこむ。
目を離すととんでもない事態に。
子育て中もそうなんだけど、トイレさえ慌ただしく用を済ますことに。
具合が悪くても休めないし、親を病院に連れていくのに精一杯で自分は診てもらえず手遅れになる人もいる。
さて、本題。
親は子のために何かを残してやりたいと願う。
かわいい我が子のためにと、家や財産や宝石や着物などなど。
でも、時代は流れて、着物なんて着ないし、宝石を付けていくところなどありゃしない。
旅行に行く友達もいないし、時間の余裕もない。
母をグループホームに預けたが、生きてる限りは母のものをむげに捨てることはできない。
実家に移住してはみたものの、道具の処分とか朽ちた部分の修繕とか、いろいろやるべきことが山積み状態。
娘のことも心配だし、母が施設に迷惑をかけてるんじゃないかとか、バカ息子のこととか、自分の身体の衰えとか、旦那放置への心ぐるしさとか。
台所用品も膨大に残してくれたけど、金縁は電子レンジにかけられないし、大皿は出番がない。
ホーローの蒸し器はでかすぎて重くて扱いにくいし、ホーローの容器は使いにくい。
親子でも好みは異なるし、ライフスタイルも違う。世代が違うのだから仕方ない。
自分のために残してくれたもの、それは母の愛情がつまりすぎていて捨てられなくてストレスに。
母の思いは必ずしも娘のためになるとは限らない。
ピアノのレッスンもそれさえなければ日曜日は好きに過ごせたし、プレッシャーにつぶされそうで楽しめなかった。
音楽とは音を楽しむものなのに。
いつしか母と同じように子供たちに自分の考えを押し付けていたのかもしれない。
この無限ループから脱出するには自分の楽しみをみつけて、生活改善をするのがベターかも。
娘の城の片付けの次は息子の寮の掃除にいかねば。
「離れて暮らすより一緒に暮らした方が安心じゃん。さびしくないし。」とすっかり髪が白くなり薄くなってじいさん化してきた旦那君が言った。
今ご近所さんの課題はいかに娘や息子を呼び戻すか。
呼び戻さないのに戻ってきたってか。
これからの人生、新たな気持ちで仕切り直そう。
エンジョイしないとね。今まで苦労してきた分。
本当に本当に大変でしたが、だれも誉めてはくれないから自分で自分を誉めてあげよう。
息子はなんだかんだいいながら、ちゃんと仕事を続けていて、娘は今やりたいことを見つけて元気になりつつあります。
自分で始めたことは永続きするから。
母が残してくれたもので役にたったのはお金かな。
いや、何事にもくじけない強靭な精神力が身に付いた。
それほど怖かった。
根性なしだから誰かに叱ってもらわないとできないのかも。
ブレイン君に感謝。あなたのおかげでプロになれました。
どんな人ともわだかまりを作らずに過ごそう。人生はあとわずかなのだから。
金曜日に出勤したらジュースちゃんがいなかった。
はかりしれない不安に陥った。
「おはようございます♪診察にいってたの。異常なしでしたー。」と現れて、ホッとしました。
どんな人でもいなくなると心配だしさびしい。
今いるメンバーでやるしかないのだから、わだかまりはないほうがいいに決まってる。
我慢することはないけど、自分一人で解決しないといけないこともないんだよね。
みんなで助け合えばおばさんでも頑張れる。
母が残してくれたもの。それは「薬剤師免許」。
様々な経験をして辛いことの方がはるかに多かったけど、薬剤師にならなければたくさんの人と接してたくさんのことを感じたり考えたりすることなどなかった。
いろいろな経験があったからこそ人生の修羅場や難局を乗り越えてこれたんだと思うし、様々な場面で父の名言が蘇る。
私は父と母からたくさんのことを教えてもらったんだなあと今更ながらに思う日々。
子供に残すべきなのは生きる術かもしれない。
物には魂が宿る。
その概念を捨てないと居場所がなくなるから、使わない物は思いきって捨てよう。
ネットオークションほど危険なものはない。欲を出すとロクなことはない。
お茶道具は引き取り手がみつかったので母が天に召されたら処分しよう。
ゆうこが生きてるうちに不用品を捨てないと残された家族が困るから、元気なうちにクリーンセンターへ。
母の思いは娘に届いたからそれで勘弁してもらうとしよう。
ごめんなさいっ。おかあさん。
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