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ブルガリア(バラ祭)&ルーマニア旅行(20060601‐10)3

2017-05-14 10:26:39 | 海外旅行

今日から大相撲夏場所始まりますね。稀勢の里声援の大きさに負けないように。優勝額2枚を前に立ちはだかるとマサニ横綱って様になり過ぎ。大関までは何となく自信が無さそうな風情でしたが矢張り地位が人を作るのか、時期的に花咲く時を迎えたのか。まあ久しぶりの日本人横綱って言うだけでなく、今は長生きする時代、30才はまだ若い。歴代の名横綱に並ぶ力士になって欲しいものです。

ルーマニア編 

6月5日、標高500m余のブルガリア首都ソフィアから始まり、トラキア平原、バルカン山脈、ドナウ平原を越えた旅、国境のドナウ河を渡るとルーマニアだ。先ず気づいたのは農家の屋根。ブルがリアでは殆どの家屋は屋根瓦が葺かれていたが、ここルーマニアは金属製。河一つでそんなに気象が変わり大雪が降るとも思えないが… でも北上するにつれて屋根瓦家屋も出てきた。 

夕刻ルーマニアの首都ブカレスト到着。宿舎インター・コンチネンタルが都心のせいか周囲が賑やかで大都会へ来たなと言うのが第一印象。ホテルの隣にあるブルガリアには無かった私設両替所で両替をするが1レイ≒40程度。ざっと周辺を小一時間歩いてみたがブルガリアよりカードOKの店が多い。地下鉄周辺には怪しげな連中もたむろしており、ブルガリアより悪しき西欧の影響が強そう。インター・コンチネンタルではさすがにスープやパンは美味しかったが、肉は今一つだった。

ブカレスト夕方

インター・コンチネンタルホテル 

ブカレスト出勤時間

国立オペラハウス 

ルーマニアってローマ人が作った国だとはじめて知りました。でROMENIA‐ROMANIAとなったとか。人口も面積もブルガリアの数倍はある。石油も出るとか。地下鉄も鉄道もあるが、道路はまだまだ。ルーマニア人以外にドイツ系やハンガリー系移民が北部に住む。少数だがロマと呼ばれるジプシー系の非定住者も5%程度いるが定かではないとか。現地ガイドは23歳のモニカさん。 

旧ソ連崩壊後、チャウセスク独裁政権下で苦しめられ、食料や主だった生活必需品は配給制、法律で最低でも5人の子供を持たないと重税が課され配給も減らされたとか。その結果クーデターにより1989年に現体制に移行。チャウセスク政権の負の遺産を象徴する世界二位の馬鹿でかい「国民の館」の建設等もあるが、地下鉄など社会資本の充実などプラス面も無きにしも非ずとか。 

6月6日、首都ブカレストのあるワラキア地方から北上し、カルパチア山脈中にある標高800mの高級リゾート地シナイアへ。チャウセスク元大統領が奥さんのために開発したと言われる「しわ取りクリーム」買占めに女性軍は走る。はじめに訪れたのは「シナイア僧院」。続いて王政時代のカルロス一世が建設した「ペレシュ城」へ。昼食はアガサ・クリスティも訪れたと言うホテルで。

シナイアの街路

シナイア修道院 

ペレシュ城

ドラキュラ?城(プラン城)

午後は宿泊地のプラショフへ移動。途中吸血鬼ドラキュラの居城のモデルになった「プラン城」へ。現在の城主はアメリカ亡命から帰国した末裔だとか。プラショフのホテルは今回始めての連泊なのでなんだかほっこりとする。夕食までに市内をざっと歩いてみたがこじんまりしたきれいな街だ。今回は事故者が出た。一番若い女性が酷い下痢、中年女性の父上が危篤の報で途中から離脱された。また石畳が多く、厚かましい写真狂オバちゃんといつも一番前に出たがるババさんがこけて捻挫し2日間歩いて観光できなかった。つづく

 

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