年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

もっと自分を離れて

2017-08-18 00:00:00 | Weblog
 いろんな相談事の中で、キャリアカウンセリングなどのことがあり仕事に就くことへのツールのようなものがある。考え方として、漂流しているかのような自分のこれからの行先の方向を決定するような内容が、例えば自分の強みは何ですか、とか辛いと思ったこと、面白い、やりがいがあったことは何ですか、とかそれらはどうしてだろうね・・などと隠れて見えないような自分の姿を発見するごとき、気づきのそれらの中から抽出して思い切って自分の趣く方向にかじを切りスタートするようなことに関わることに飽きてきた。

 こんなことをやってたら対象者が人として育たないのではないか、漂流中の対象者が安定する向こう岸に上陸するまでの幾ばくかの浮き輪やボートを与えて自分で泳いでもらう、自分で漕いでもらって自分の求める行先に走ってもらうようなことを支援するようなこと・・が。自分で考えて気づけよ・・と。

 近々釈放される二十歳過ぎの青年が薬物違反に押し込み強盗などの罪名がつき、長い刑期をようやく終えて塀から出ようとするにあたり、協力雇用事業主さんに来てもらい、面接を実施することになった。今年度でこれが10何回目かになる。本人が希望するのは介護職。受刑服の夏服は半そで半ズボン、その素肌から遠慮なく文身が現れている。濃紺の墨が見える両腕胸だけでなく背にもある。
 彼が介護職に就きたいと願うのは幼少時から育てられた祖母のことがある。祖母が認知症になり、そのような人たちをケアできるような仕事に就きたいと、私に言ってきたのが先月のこと。帰住地から協力雇用事業主さんを探して事業所からお二人に来ていただいた。

 足りないなぁと思うこと・・社会に貢献する仕事である前に、社会に貢献したいという強い意識を醸成すること。
 多くの求職者に出会い、話を聴いたことの中で、何か世の中に役立つ仕事を一緒に探してほしいなどのことは相談の中にはいっさいない。若年求職者においても中高年求職者においても、自己の利益最優先のことばかりが目につく。なんだか、先日のお施餓鬼の絵図にある“餓鬼”が食料を求める仕種を連想する。

 面接会を終えると4時も過ぎておった。母親の所に行くと食堂のテーブルで晩ごはんを待っていた。
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